絶望と希望のアナウンス

先週末の東京出張で感じたこと

22年前も確かちょうど今頃に入院していたが聴力悪化が止められなかった。退院後の4月、5月と続けて出張で上京していた時のことをはっきり覚えているのは、音が欠けてゆく、割れてゆく恐怖の日々であったこと。

電車のアナウンスが割れてゆく。ホームに流れる「間もなく〇番線に電車がまいります。危ないですから・・・」さえ遠くなってゆく。よく訪ねていた友人からは「こんなに大きな音量も分からなくなってゆくのか」と驚かれ(呆れられ)もした。

東京には大学時代から順に遊びで、就職活動で、仕事(出張)で、失聴後は団体活動等で・・・と30年超、常に訪ねられる友人のいたこともあり、なんだかんだとよく出かけているが、2/3超の期間は音のない雑踏の地を歩いていたことになる。

今回、色んな騒がしい音が耳に入ってくる中で、特に印象深かったのがやはり、ホームや電車内のアナウンスを久々にきいたなということ。別にそれは東京でなくともよい、山口を発つ空港や機内やのアナウンスもそうなのだが、やはり、東京という都市の地で感じる心細さ、どころでない、当時の絶望の思いは強かった。そしてまた、今回、22年という時間が長かっただけに、不思議な希望が感じられて何だか可笑しかった。絶望には無いが希望には笑みがあるのだな。

22年前のことなのによく覚えているものだ。そんなに昔のことだとも思えない。人生というものは分からないものだと感慨深かった。

20160218

 

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