人工内耳、22年ぶり音声

手術後ちょうど1ヶ月

音入れ後間もなく3週間。毎日が新鮮な驚きや感動の連続ながら同時に日々が忙しく、まとめての記録。

失聴後約22年を経て音入れ後の現時点の結論的には、とても順調な経過。

まず、人工内耳は人間本来がもっている聴力を「再生」させるものではなく、あくまで蝸牛に埋め込んだ電極に電気信号を送ることで代替させる、その意味での「人工」。ちなみに原語は「Cochlear Implant」で、直訳すると「蝸牛・植込(埋込)」。分かりやすいということで「人工内耳」という訳語になったのだろうけど、適当かどうかの評価は分かれようか。

蝸牛神経を電気刺激して聞こえるようにさせるというのもすごい原理だな、と装用してみてあらためて感じているが、手術前にも記したとおり「多少でもきこえれば」の願いは、手術直後の今のところ期待を大きく上回ってくれている。

装用者また難聴者に共通する「きこえる」は、聴者からすれば「全然きこえてないじゃないか」というケースも実際には多い。これから僕も使うことになるのだけれど、1%であっても「きこえる」を誇張してしまいがちなところがどうしてもある。それから「音」としてきこえていても「ことば」として理解できないケースも多い(=ちょうど知らない外国語をきかされているような感じ)。そういう点で装用者の言は割り引いてとらえないといけないところはある。

それを差し引いても、「健聴」はあり得ない難聴のレベルであるけれど、よく使われる例えの、コップに水が半分「しか」ないと悲観するのか、半分「も」あると喜べるか、といったところで、特に僕の場合は失聴期間が長く補聴器さえ使えていなかった無音状態が長かったので、再び、外界の音声、人の言葉がきけていること(どこまでも限界はあっても)の不思議というか奇跡というか、また、この手術が一般には失聴期間の経過とともに効果が薄れてゆくといわれているだけに、そういわれる割には充分に長い22年という時間も一気に飛び越えてくれている気がする、逆に失聴後すぐの手術であれば「健」の記憶が新し過ぎて電気音声の限界に落胆するかもしれないところ、有難みが大きくて余計に喜べている点も大きいだろう。

以上、総論的になったので具体的なことは別途。

20160116

 

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