秋の気配/ワインの匂い

音楽と記憶についての一考察

例により四半期世紀前のCDでオフコースは2枚、理由不明に残っていたが、ききたくなった標題曲の両方入っているのがこれくらいなので、夏に買っていたオフコースCD「SELECTION 1973-78」、キンモクセイ香り秋めいてきた今、満を持して? 開封。

オフコースはさすがに1回り上の世代ゆえ同時代にきけていたのは、小6~中1で「愛をとめないで」や「さよなら」をきいた頃くらいから。それより以前の初期のこのベスト盤に収録されているような曲は主に大学で。なので「港が見下ろせる小高い公園♪」は個人的には福岡の西公園。あそこも本家? に負けずいいロケーションですね。

ところで、人工内耳にしてから今こうして自分は聴き直しているわけだけれど、面白いのは、最初の手術入院中、この中にも収録されている「愛の唄」が突然に想い出されて頭の中をずっとめぐっていたこと。手術前なので、実際に耳にしたとかいうきっかけがあったわけでもないのに選曲も不思議。歌詞の内容の愛とかなんとかではないのだが(笑)、あの曲が手術直前もしくは術後の神妙な心境になぜだかとても沁みていた。

音楽というのは、時を経てきくとき、人それぞれ、何かのシチュエーションや想い出や当時の時代の雰囲気や匂いや・・・が蘇る、想い出されるもので、僕も色んな曲に、思い入れはあるのだけれど、また面白いのは、今回の(1年半前の)入院中の記憶として、冬の朝の川べりの散歩の光景がきれいだったとかの想い出がいったん植え付けられると、そうすると、以前の、この歌と結び付いていた、大切な! 若き日々の想い出の記憶のリンクが切れてしまうこと。

それでまた思い出したのが、これも先日の人工内耳の講演でDr. がいっていた、ヒトの脳には言語を司る聴覚野があって、そこが聴覚でない別の刺激を受けて先に占拠されてしまうと本来の機能が発揮できなくなる、というもの。

記憶というのは多少薄らいでも複数の蓄積ができるものだけれど、今回のようなケースでいうと、逆に音楽と結び付く記憶は新しいものに容易に置き換わってしまう、そうすると、以前のものが消えてしまう── のかもしれない。ちょうどヒトが睡眠中、たくさんの夢を見ていても、起床直前の最後に見た夢しか覚えていないように。

すぎゆくは若き日々...


 

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