聴覚障害女児の逸失利益

多くのところで述べられているが、自分も一言。

5年前の事故を起こして損害賠償を求められた被告側が、女児の将来得られたはずの「逸失利益」は聴覚障害者全体の平均賃金を考慮して健常者の6割にとどまると主張したときから自分の胸の内はざらついていたものの、まあ、被告が罪を認めず開き直る、勝手なことをいうのはよくあること。

それがまさか、社会の良識を示すべきはずの裁判所(大阪地裁)の判断が、(1)被告の主張する障害者は健常者より劣ることを肯定し、(2)60%とする被告の主張に85%という根拠の不明な中途半端な数値を持ち出して、「一定の配慮」?をみせようとした不可解な判決には、失望を通り越して憤懣遣る方なし。

将来の可能性を現在 ──という以上に過去の旧弊の積み重ね── の結果のデータではじき出す愚策と、障害で「能力」が劣ると本気で思っている貴方の「能力」はいかほどか? という、憤慨は判決が出てから3週間、毎日、消えることがない。

各種メディアが紹介しているとおり、逸失利益の算出に男女差は既に無い。女性の社会進出が広がる中で男女差解消は定着されている。ただ、実際に賃金構造基本統計調査(厚労省)をみれば分かるように、「結果として」男女差は依然として大きい。でもそれと逸失利益との考え方は別。それが当然の、でも障害者差別は解消されなかった。大阪地裁の女性裁判長は、社会の良識の中で女性の地位が向上してきたことを障害には当てはめられなかったのだろうか。

ざっと見たところの新聞記事。

社会環境の変化や個々の事情を適切にくんだ柔軟な判断が必要(2023/3/15読売)

現在の統計は、「社会的障壁」を十分に除いてこなかった過去の社会の反映だ。それを判断の出発点にするのが果たして妥当だろうか。(2023/3/1朝日社説)

最近、公開された映画のなかで最も評判の高い作品の1つ「ケイコ 目を澄ませて」。聴覚障害のある元プロボクサーの自伝が原作。取材に訪れた記者の質問に会長が答える。勝利を重ねる彼女に特別な「才能はない」。でも「人間としての器量がある」。・・・他者の痛みが分かる、器量がある大人になったはずだ。その損失は計り知れない。(2023/3/1 日経 コラム「春秋」


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