休日幸
休日にこれができると幸せ、なのが寝転んでラジオ(radiko)を聴く、又は本を読む、もしくはその両方。この週末は(相変わらず持ち帰り仕事や勉強は多いながら)、数ヶ月ぶりに出勤等の用なく幸せを叶えてYuming Chord を聴いていると、リクエスト2曲目で寝落ちzzz 朝、走ったわけでも体を動かしたわけでもないのに余程疲れているようで、眠れる幸せをかみしめる。
目覚めた後、気を取り直して聴き直す3曲目が標題曲で、流した後に読まれたリクエストがユーミンもジンとしたというように、いい話過ぎないか! というくらい、感動する内容だった。
結婚式はじめ色んなところで歌い流され続けている名曲、できっと多数の人に想い出のある曲なのだろうけれど、自分には、というと、川嶋紀子さん(笑)。
1989年、当時大学5回生時に飛び込んだ号外ニュースは!!! で、3LDKのプリンセスが社会に熱烈に支持された──ということに今ではなっているが、いやいや、少なくとも自分の周囲は全然そんなことはなく、ナマズの殿下にバッシング(というか、まあ、やっかみ)は強かった。学生寮の寮友らと「くそーっ!」て、何がくそーなんだか(笑)。
不遜かつ大変失礼な話ながら、当時の思いを激しくさせたのが、紀子さまが自分らと同い年で、殿下が1学年先輩、というところにあったことで(笑)、当時連載、TVドラマ化もされた「同・級・生」(柴門ふみ)のように同級生同士ならまだしも、その有利な立場、特権? を生かして下の子をさらう(さらわれる)、というのが憎かったんだね。今でこそ笑い話ながら、そういうことが学内にも多数! で日常的に煮え湯を飲まされていたからね(笑)。
すごいのは、この名曲が婚約の報道された少し前に出ていたことで、社会が段々、お祝い一色になるのと歩調を合わせるようにこの曲も売れて社会に溶け込んでいったような、まるでそのために作られた感じの、ユーミン神、みたいな、そんな当時の印象が自分には強い。
さて、その後32年の時が流れ、この曲を好きな母に送る、という娘さんが30歳、というのもまた真子さんと同じであり・・。また、ちょうど年賀状シーズン、当時野球部の自分達の学年に2人の女子マネがいて、その2人とも1つ上の先輩と・・であったことを久々に思い出したりもした。懐かしい時代。