そういう季節
ということで先月からラジオも高確率で往年の曲が繰り返し流れている。今回聴いたのは尾崎豊。この年は、続く菊池桃子、斉藤由貴と1ヶ月で今に残る名曲が3曲続けて生まれた奇跡的な年(・・と思う)。
自分達はその1985に卒業した年代で、個人的には当時、知名度・人気で抜けていた菊池桃子の歌にあるポプラが寮の敷地にあったのが印象的だったが、その後は3者それぞれに・・というのがまた時代の面白さ。
尾崎のは、その学生寮に入寮してすぐ「回帰線」を聴かせてくれた、どういう経緯だったか思い出せないが、隣室になった同じく新入生の友人がテープにしてくれて聴いていた。当時としては、卒業後に聴くこととなった自分らよりも、中高を過ごしていた最中の下の年代に突き刺さった曲ではないかと思う。
隣室の友人(両隣とも)とは、その後の在学中ずっと、音楽面をはじめ色んなことに影響を与えてくれた親友で、「回帰線」をくれたテープには余りの部分に1stアルバムの中から「ハイスクールRock’n’Roll」と「十七歳の地図」をそれぞれA、B面に入れてくれていた。今思えば、ラストの「卒業」と「シェリー」は普通には余韻の空白を残して然るべきところかもしれないが、2ndもながら、1stの良さを教えてくれようとした気持ちが伝わったし、おかげで自分は「卒業」を聴き終わると今も「ハイスクールRock’n’Roll」が自動で脳内再生されて当時のことが蘇る(笑)
進学したキャンパスに合わせて移ることとなった寮には、今度は中学校が隣接していて、そこで夜間警備員のバイトもしていたのだが、当時は、この歌のこともあってか、よく窓ガラスが割られていた。。。奮闘されていた教頭先生が大変そうだったが、今の自分らも気付くとそんな年代に。
1985~のJ-POPというのは浮世離れしたところがあって、そんな時代にストレートに刺さる良さがあったし、また、時代が異質過ぎたところもあったろうし、の懐かしき日々。