光と音が薄れゆく世界で

NHK教育TVに「ろうを生きる難聴を生きる」という

聴覚障害者向けの番組があって、大体は聴覚障害者の頑張っている姿を紹介するケースが多く励みにさせられるのだが、先週10月1日のはこれまでの放映の中でいちばん衝撃的というか胸に響くものだった。

盲学校(現・視覚支援学校)のグランドソフトボールで全国大会優勝を目指しているという、今回主役の彼以外は野球経験の無い中で懸命に仲間を引っぱろうとする、それだけでも番組の内容としては充分なのだけれど、彼が光に続けて音も失っているという最中であるということ...

15歳で視力が低下し高校卒業後に支援学校入学。21歳の今また聴力も失っているのは、難病ゆえらしいのだけれど、障害が無ければ野球の道でもかなり活躍したろう堂々とした体躯と一目でセンスの伝わる動き。グランドソフトという種目自体もそうだし、当然、普通には野球経験も持てないだろう周囲の視覚障害者のレベルとはまるで違って彼には物足りないだろうのに真っ直ぐで純粋な人柄が伝わってくる。

白杖を手にして歩く姿も、成長後に視力を失ってよくあれだけ歩けるなと思うほどに堂々と立派でそれだけですごい。色んな点で人間的な資質・能力の高さが素晴らしいのに、聴力までとは何とも惜しい、むごい。僕自身もそうだったが、聴力が日々、失われてゆく最中の心境は、失聴者には皆、同じだろうように、自殺も真剣に思うほどの、まさに絶望の淵。それを経験して分かるだけに、視覚の次に聴覚、というまだ若い彼の心情を思うといたたまれない。

三重苦を克服したヘレン・ケラーが、何かひとつを選ぶとしたらと問われ、答えたのは、きこえるようになりたいと望んだことだとされる(見えるようになりたい、ではなく)。人間は情報の大半を視覚で入手していて、実際に生活の困難度は視覚障害者の方が聴覚障害者をはるかに上回る。けれども、盲ろうの福島智さんも同じ事をいっているように、何かが見えないことより(人の声が)きこえないことの方がつらい。僕もこれまで、健常者には感じないけれど、比べられやすい視覚障害者に対しては羨ましい思いがあった。番組の彼にはせめて聴力は残してあげたいと切に思う。

正直、NHKも何かが提示できるわけでもなく、今まさに苦しみの渦中にいる姿を映して、あまりに重いものを残す形で終わるのもむごいんじゃないかと思うが、TVの中では(なんだと思う)明るい表情で終わっている。時間はかかっても頑張ってほしく、これからもずっと応援したいと思う。

光と音が薄れゆく中で ―グランドソフトボールと駆け抜けた夏―

20161009-3

 

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