変わってゆくもの

今日は職場のソフトの試合。草ソフトにありがちな乱打戦となり、負けはしたけれど大いに盛り上がり楽しめた。

実は昨日も勤務後に練習をしていて、帰宅したとき「顔がすっきり(晴れ晴れ)している」と妻からからかわれた、自分でも言われる前に「野球チームの練習を追えて夕食前に帰ってきた小学生みたいな気分~」と思ったとおり。

昔、子ども会の大会でも夢中になった、特に小6の時は地区の同級生4名が燃えに燃えて結束した、懐かしい想い出は今も思い返せば心があたたまる。白球を追う青春、いいよねぇ~。

当時も大学の頃も就職後も、自分はこうした機会には積極的に自分から呼びかけてチームを作って練習して・・・と(ソフトに限らず)動き回っているようなタイプだったのだけれど、きこえなくなってからはそういうこともままならず、なくなった。

年相応に低下してゆくプレーの方はそれほどでなくても、やはりこうした、物事そのものに対する姿勢とか向き合い方というものが大きく変わらざるを得ないというのは悲しく辛いことである。野球にしろ、今、この理由も大きくて方向の変わった走ることにしろ、プレーそのものよりも、その周囲にある人との関係性とかコミュニケーションとかの方が人には大切なことであり。

後天的に聴力を失くしてゆく、また難聴になると、人格や性格や・・・が歪んでしまいがちで、それは本人のせいでなく、その障害がそうさせてしまう。

かにサブレ
かにサブレ


 

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