歳々年々人同じからず

年々歳々・・・

昨日の続きで、この障害の本当に重たい苦労、悩みについて。何度立ち上がっても、際限なく立ちはだかる壁。

悩んでばかり苦しんでばかりでなく、明るく前向きに生きている人もいるよ、という励ましや、あるいは叱責も受ける。確かにその通りで、僕自身も明るく積極的で障害にへこたれず、仕事も普通にはこなし、マラソンで活躍し・・・と見た目には社会に期待されるような問題のないところがあるかもしれない。

でも障害自体が目に見えないのと同様、聴覚障害者にとって周囲の見る姿(外見)と本人の実情(内心)のギャップの大きさは際立っていると思う。見た目は明るく笑顔を振る舞っていても、心はずたずたのボロボロに腫れ上がり、傷付き・・・。

歳々年々人同じからず

さらに肝心なのは時期によって変動のあること。ある時期には好調でもしばらくすると激しく落ち込む、それが不定期に繰り返す。スパン、タームといった数年単位の、割と長期の期間で。

ある時には素晴らしいことがいえる。「障害は不幸でなく個性なだけ」「障害を克服し乗り越えてきた」「幸せは心の持ち方次第だよ」・・・。特に若い頃ほどそういう傾向があり、十代、二十代、大学生・・・最近はブログの普及もあって、前向きな生き方を積極的に表明して支持を集めている。

例えばネットを見ていても本当に立派なことが述べられていて、そうでない僕などは「どうしたらそんな立派な心がけと美しい心境になれるのだろう」と我が身の未熟さを思い知らされて劣等感をさらに増幅させられもする。

けれども、これも単純なものでなく、その発言は一時点のもので、数年、十数年が経過すると、一転、トーンダウンしていることが少なくない。

ネットが普及して十数年、かつてのホームページ、掲示板・・・そして爆発的に増えたブログも、その記された内容が三年、五年、十年たって時間の経過という評価にさらされるといえようか。かつては自信を持って障害の克服を、自分の生き方を語ることのできた者でも自信が砕かれ、再び深い沼に足を取られてもがくことになる状況。

かっこいい発言も様変わりし、口をつぐみ、皆を引っ張っていた元気が消えて、真っ先に身を引いている。立派なホームページもいつの間にか跡形もなく消えてしまっていたり・・・。

以前はあんなに威勢が良かったのに、とくすりと笑えることもある。でも時の経過とともに考えや心境の変わることは当然だから。むしろ、意地を張っていた、強がっていた、理想だけが見えて背伸びしていた頃から、等身大の自分と現実を見つめられるようになってへこたれる弱みも見せられる方が僕は共感できる。

成長の段階、過程

きこえない(きこえにくい)者が同障の仲間に出会い、やがて自分の障害を受け容れられるようになり、手話を身に付け、集団として運動してゆく中で自信を深め、成長してゆく過程というのは、人それぞれに経験することで、でも大きなところでは共通したものがある。

僕自身もそうであったし、次にはそうした仲間を手助け、見守ってきた。今また、深い沼に足をとられて動けないような状況も、きっと同じ道を辿った先人、先達の方というのは多いはずで、けれどもここから先は有効なモデルを容易に見つけきれない。

「壁の向こうに」で記したように、かつての高校球児が社会に出てから、特に40代という年齢を迎え、人として社会──障害が前提でない、聴こえることが当たり前とされる──の中での立ち位置が定かになっているはずの頃に、落ち着かせられないつらさが続く。


 

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