仕事の事故

いくつかあるうちの比重の小さい、まだ不案内だった仕事でミス、というかトラブル。

事故にたとえるなら、こちらもより慎重さが求められたものだったけれど、後になってみればいえること。また、相手側も事前に充分に避けうる方策がとれたもの。僕の前任の方がかなり長いこと担当されていたもので、今、残っているメンバーの誰も分からない状態で、僕も相手側もともに引き継いだ直後の若葉マークだったところが不運でもあった。

ともあれ双方の過失を言い争う状況でなく、起きた事態にどう対処するか。もちろん損害の回復には全力を尽くしたいのだけれど、起きてしまった人身事故を原状に戻すことは作業量のとてつもない上に完全に戻すことも非常に難しい。仕事の性質柄、本当に恐ろしいくらいに瞬間的に深刻な事態を引き起こしてしまう。

入庁後の長い経験でもこれほどの・・・というのがないくらいに頭を抱えてしまった。相手側の過失もあるにせよ、こちらがかぶる損害でなく相手にもたらしてしまった(結果的に加害の)立場であるから、申し訳なさでいっぱい。傷の深さを思うと、もう窓から飛び降りたくなるくらいだ・・・。

きこえないことで日常的に、絶対的に不足する情報の中で仕事を辛うじて行っているものの、ことこうした事故後は情報の重大さが増してくる。事故で保険屋が間に立つように、代理人、第三者が現れる段階になると、当然、事態の深刻かつ緊急な事情からも、やりとりは分かる者同士の会話で進んでゆく。そこに一番の当事者である僕が関われない。

普段からも担当外のことでも、今度の自分が当事者のことでも事態がどう動いているのか分からないのはしんどい。きこえない者が飲み会に出て話に加われず(というか、全くきこえないのだから加わりようがない)、目の前で、すぐ隣で大いに盛り上がってるのをさみしく見るしかない疎外感や孤立感というのは、まあ、もう何百回も経験していることで慣れっこのこと、それは二の次(本当はこれも生きてゆく上でとても大事なのだけれど、そこまで話を広げるとまた際限がない)、仕事の場面で本来、知るべきことをつかめず、こうした気分を味わわされるのは飲み会と違って自分が我慢すればおさまるわけにゆかないだけに、苦しいとかへこむとかの言葉以上にやりきれない。

きこえていれば何でもないこと。ふと耳にすること、電話や会議の自分が当事者でなくとも、他人の電話やちょっと離れたテーブルの打合せの内容が自然に分かってゆく、今回の僕の件も、きこえる人には自然に事態がつかめ(=当事者の僕以上に)、ある意味では他山の石とすることができても、きこえないとそうした当事者としてだけでなく第三者(傍観者)としての貴重な経験も積めない。日々の、毎時間の、毎分の・・・この積み重ねの大きなこと。

せめて相談・・・といきたくともそんな立場(年齢)でないことも分かっているし、これまでの経験からも、どうにもならないこともいやというほど思い知らされている(承知している)。上司、人事、組合、○○相談室・・・、どこにも引き受けられる器はない。重さに引かれてしまう。

ついこの前、ぎりぎりのところでやっていると書いたけれど、本当にこうした事態があると、それはそれで責任の大きさを自覚させられ、失敗やミスも成長する糧になるのだと分かっていても、つくづく、限界に近いのかなと思えてくる。

そんな思いを強くさせられながら、しばらく反省と謝罪の気持ちが続きそうだ。


 

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