健全なる精神は... 

「健全なる肉体に宿る」というのは誤訳であり都合良い意訳らしい。僕自身気付くように、身体障害があったり健康でなければ健全な精神ではないのかという解釈も出てくるが、そうはいえ、あまり深くとらえず、どんな状態であれ自分なりに身体を鍛えていれば精神的に健康になるというのは充分にある。

ランニングは代表的なもので、僕自身もよく仕事に耐え精神的に耐え、というのはランニングのおかげというのがはっきり自覚できる。ふと昨年一年、また過去数年を振り返ってみるだけでも結構な忙しさ、特に年度後半~年度末は毎年休日出勤してやっと片付くような中、毎年よくダウンせずにやって来ているとしみじみ思う。冬場になると職場のメンバーは割と風邪をひいたり体調悪化で数日、続けて休んだりする(それも多忙ゆえ)、また長期療養というケースも少なくない中、僕は風邪無し、インフルエンザ(の予防接種すら)無しの皆勤でこなしてしまう(苦)。風邪の効用、というように、本当は適度に風邪を引いて半ば強制的に身体を休めるくらいの方がトータルではいいんだろうが、そんな人たちを少し羨ましく思いつつ、無理が効いてしまう自分が喜んでいいのかやや複雑な気持ちにもなる。

そうした仕事そのもののみでなく、大きいのはやはり、聴覚障害という精神を病みがちな条件の中でも何だかんだと適度にやり過ごし、適度に前向きにこれていること。方法はなんでもよく、仲間との団体活動(運動)や家族や趣味や・・・に皆、それぞれに救いを見出すものと思う。今、走れているのが有り難い環境でこの先も走れるかどうかはわからないが、今後も(記録は二の次で)精神の平衡に役立てば理想だ。

そういえば山口瞳のエッセイで「立身出世のにおいがする、競走の感じがするが、それを超越して・・・」というフレーズがあった。氏の好きだった高校野球(甲子園)も始まった。

20150726
健全というより転倒、ケガばかりな最近だが


 

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