マラソンの青春、「私の履歴書」君原健二
あの電柱までがんばろう
エントリしようと思いつつ、オリンピックが終わり、8月も過ぎてしまったけれど、先月の日経「私の履歴書」が君原健二さん。五輪の開催された期間だったことと、近年の驚異的なランニング・ブームというのもあったのだろうね。
君原さんのことは既に色んなところで本になり、また挿話として語られている。僕も長距離で苦しくなった時に「あの電柱までがんばろう」というのを小学か中学のときに知ったが、当時はもちろんそれが君原さんのセリフだとは知らなかった。
標題の本書は3度目の五輪となったミュンヘン五輪後に話しが持ちかけられて発行された、だいぶ古い、そして君原さん自身もまだ非常に若い時の半自伝。こちらの方がまだ五輪の記憶やその間のトレーニング、自信の内面や周囲との葛藤など、生々しい記述で読み応えはある。
一方で今回の連載の方は、70歳を過ぎた今、穏やかに振り返れているという具合の優しさが紙面に出ているのがとても良かった。
几帳面な題字、三度の五輪出場、銀メダルにも尊大な書きぶりなど無く、至って控えめに等身大の自分を冷静に見つめておられた、家族のことなどにも触れておられた親しみやすさが印象的だった。
普通、なにかに成功したという人物の足跡をたどってみると、異常なほどの強固な意志に支えられて、運は二の次で鈍と根で終始変わらない努力をたゆみなく重ねている。君原のように懐疑と自得、絶望と奮発、反発と共鳴、自棄と自責などを目まぐるしく変遷させながらオリンピックに三度も10位以内に入るという破天荒なことをやってのけた例は少ない。信念のある行動といえるものがなくて、なぜこれだけのことができたかという回答は、彼のこうした「謙虚」に尽きるといえよう。彼は常に自らを過小評価し、世阿弥のいう「初心にかえれ」を地でいって、着実で取りこぼしがなかった。どんなときでも相手を侮らず、かさにかからず、思いあがったところがない。慢心は芸の行きどまりという言葉など、この世にあるなんて信じられないほどの君原なのであった。
高橋進
期待度:★★★★
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