走るという行為を軸にした「個人史(メモワール)」

村上春樹(2007年刊 文藝春秋)

2007/12/03 第3章読了、2008/01/02メモ


第3章「真夏のアテネで最初の42キロを走る」

2007年刊
文藝春秋

ハワイ・カウアイ島に滞在しながら著者は次のN.Y.Cマラソンに向けての準備を始めている。実は前回のマラソンは惨憺たるものだった。こんな目には二度と遭いたくない、と周到な準備を心がけながら、二十数年前の夏に初めて40キロを走ったこと、その年にホノルルでフルマラソンデビューを果たしたことの記憶がこの章では記されている。

この章で書かれるマラソンでの地獄のような苦しみというのは、ランナーなら誰しもが何度か味わっていることである。「何とか走れるだろう」という安易な自信が打ち砕かれ、傷ついたプライドと惨めさが二重にも三重にも覆いかかってくるレース後半。

でも今度こそは・・・、のためにまた練習を開始する、その積み重ね。

自分のたどってきた足取りを確認するために

著者が丁寧につけていると語るように、著者に限らずランナーとランニング日誌は切り離せない。ランナーはレースだけでなく、ひとつひとつの練習においてもその結果を書きとどめる人種である。日々の証を形に残したい。そして、日記のような散文でなく、距離にしろタイムにしろ──時には体重であり、体脂肪であり、心拍数であり──どこまでも冷徹で客観的な「数字」で全てを測ることができるからまた都合がいい。

昔からランナーのホームページは多かったし、ブログがそれに輪をかけた。今、空前のランニング・ブームと呼ばれる所以は、ブログの普及との相乗効果も大きな要因ではないかと僕は思う。

そして僕自身もまぎれもなく、自分の足跡を残し、折に触れ確認したいタイプである。こうしてホームページ(ブログ)に思いを残しながら、ことあるごとに振り返っている。振り返らねば反省を活かせないタイプであるから(それでも同じ轍を踏んでしまうのだが・・・)。本当に簡単に以前の思いを忘れてしまうものだから。

第3章:★★★

そんなわけで「次のマラソン」であるニューヨーク・シティーでのレースに向けてのトレーニングを続けながら、一方で机に向かってこのような文章を書きつづっている。二十数年前、自分が初心者ランナーであった当時のことをひとつひとつ思い返し、記憶をたどり、そのころにつけていた簡単な日誌を読み返し(僕は日記を書き続けられない性格なのだが、ランニングの日誌だけはわりに丁寧につけている)、文章にまとめている。自分のたどってきた足取りを確認するためであり、その時代の自分の心持ちを掘り起こすためでもある。自分を戒めるためでもあり、励ますためでもある。そしてどこかの時点で眠り込んでしまっていたある種の動機を、揺り動かすためでもある。言うなれば思考の道筋をつけるために文章を書いている。しかし結果的には──あくまで結果的にはということだが──これは、走るという行為を軸にした「個人史(メモワール)」みたいなものになっているかもしれない。



 

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