懐かしい沈黙の中を

村上春樹(2007年刊 文藝春秋)

2007/11/05第1章読了、2007/11/11メモ

ダイレクトな肉声

2007年刊
文藝春秋

一気に読んでしまうと惜しいので、大事に一章ごとに読み進めてゆく。

まえがきで既に陶酔させられていたが、本章に入るとさらにまた濃度が高まる。

「一章目でここまで書くのか!」というくらいに春樹の思いがダイレクトに語られている。小説では物語の中に設定した人物に投影させられて、かすかにうかがい知るだけの著者の一面が、ここでは赤裸々に語られている。肉声がストレートに現れている。

本書もジャンルとしてはエッセイということになるのだろうけれど、以前の面白おかしくのシリーズとは、はっきりと一線を画している。どこまでも真摯な態度で、走ることに向かい、そして走ることに対しての思いと「自分」という存在を、「我が身」を真剣に語っている。

自分だけの沈黙の時間

これまで色んなところで繰り返し語っていることを、今回も春樹はここであえて繰り返している。

  • 自分がチーム競技に向かないこと
  • 他人と一緒にやるゲームにのめり込めないこと
  • 誰かとの勝ち負けがメンタリティーにそぐわないこと
  • 一人でいることを好むこと
  • 一人でいることを、一人でやることを苦痛としないこと
  • 一人きりになりたい思いが強いこと

そんな著者にとって独りで行う「走ること」はうってつけなのだ。

もちろん、最近、小説のテーマとして陸上における友情や仲間の絆が取り上げられることが多いように、また、昨今、ランニング・クラブやランニング・チームがかつてない隆盛を見せているように、走ることと孤独とが単純にイコールとして結び付くものではない。

春樹も社会性を身に付けること、一人きりではいけていけないことの当然さを語っている。

僕自身も「走ること」に関しては一人が多い方である。多い、というよりほとんどだろう。自分の好きなときに、気ままにできるから、というのが最大の理由なのだが、これは僕が周囲と違って「きこえない」からという点が非常に大きい。誰かと走ることの楽しさやチーム競技の醍醐味を知る一方で、一人にならざるを得ない。

いうまでもなくコミュニケーションがとれないことは大きなストレスを生じさせる。走るという単純な行為でも、そこに人がいれば必ずコミュニケーションは起きる。そこに加われない、届かないのは何ともつらく悲しいものである。

「話す」、「きく」って何か特別な努力を要することじゃないよね、普通。でも、その当たり前のことができない。

仕事やその他の場面ではそれがずっと続く時間であり、空間である。仕事でならまあ、我慢しないといけないものである(そのくらいの社会性は持たないといけない)。でも、趣味として走っているときにまでストレスを生じてしまっては身が持たない。たまらない。

僕にとって「走ること」は、ストレスからの解放という意味も大きい。仕事を終えて夜、一人で川沿いを走るとき、週末、一週間をリセットして次に備える気持ちを培うための大切な時間である。

ボストンのチャールズ河が人を走らせるように、僕にも山に抱かれ、川の流れるマイ・コースを走るときの精神的な落ち着きが日々を支えてくれている。

(ただ今は、故障でそれもままならないでいる・・・)

満足度:★★★★★

一人きりになりたいという思いは、常に変わらず僕の中に存在した。だから一日に一時間ばかり走り、そこに自分だけの沈黙の時間を確保することは、僕の精神衛生上にとって重要な意味を持つ作業になった。・・・ただまわりの風景を眺め、自分自身を見つめていればいいのだ。それはなにものにも換えがたい貴重なひとときだった。


つまらない正論を述べるようだけれど、いろんな人がいてそれで世界が成り立っている。他の人には他の人の価値観があり、それに添った生き方がある。僕には僕の価値観があり、それに添った生き方がある。

考えてみれば、他人といくらかなりとも異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ、自立したものとして保っていくことができるのだ。・・・ひとつの風景の中に他人と違った様相を見てとり、他人と違うことを感じ、他人と違う言葉を選ぶことができるこそ、固有の物語を書き続けることができるわけだ。


しかしそのような孤絶感は、時として瓶からこぼれだした酸のように、知らず知らず人の心を蝕み、溶かしていく。それは鋭い両刃の剣なのだ。人の心を護ると同時に、その内壁を細かく絶え間なく傷つけてもいく。そのような危険性を、自分なりに(おそらく経験的に)承知していたのだろう。だからこそ、僕は身体を絶え間なく物理的に動かし続けることによって、ある場合には極限まで追いつめることによって、身のうちに抱えた孤絶感を癒し、相対化していかなくてはならなかったのだ。意図的というよりは、むしろ直感的に。


僕はホームメードのこぢんまりとした空白の中を、懐かしい沈黙の中をただ走り続けている。それはなかなか素敵なことなのだ。誰がなんと言おうと。


 

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