選択事項(オプショナル)としての苦しみ

村上春樹(2007年刊 文藝春秋)

2007/11/01部分読了、2007/11/01メモ

待望の新刊『走ることについて語るときに僕の語ること』

2007年刊
文藝春秋

小説は無論、エッセイや旅行記の類が大好きな著者の作品。僕がマラソンの深みにはまり込んでしまっているのも、著者の影響を抜きにして語れない。

春樹があんなに走るから。走ることの魅力を書き立てるから。いつしか僕も禁煙し、野球もスキーも物置にしまい込んで、5km、10km・・・マラソンにのめり込むようになってしまった。

例えば、

ホノルルでもNYでもロンドンでもなく、ボストン/ボストン旅行記

*ちょうどいい機会だったから、ボストン旅行記もホームページからこちらのブログに移行

ボストン旅行記/SILENTSHEEP*NET


これまでもエッセイその他で、度々、語られてきた「走ること」について、丸一冊全てが、の本書。これほど手に取るのが胸躍るのも数年来のことだろうか。

本書の表紙をはじめ、中程に綴じられている著者の上半身、裸のランニング姿その他のカラー写真は、僕と同様、春樹好きの読者はご存じのかもしれない、『BRUTUS』1999年6月1日号(マガジンハウス)に収められたものである。

「村上春樹は、なぜ走りつづけるのか!?」と題した特集号、今も僕のバイブルである。

走ること、書くこと

今日は前書きだけを読んでみた。

手間のかかる性格というべきか、僕は字にしてみないとものがうまく考えられない人間なので、自分が走る意味について考察するには、手を動かして実際にこのような文章を書いてみなくてはならなかった。

走ることについて正直に書くことは、僕という人間について(ある程度)正直に書くことでもあった。

ああ、至福の時間。一気に、ではなく、じっくりと読み進んでゆくつもりだが、8年前の『BRUTUS』もそうだったように、このペースだと全文を書き写してしまいそうだ。

僕のこのブログ(かつてのホームページ)の中で、量的に大きな比重を占めているのが完走記やランニングにまつわる話題。

「完走記」でも僕が何より意識しているのは、今日の練習は何キロ走って何分だったとか、レースで何位だったとかいうことより(もちろん、それはそれで大事なことだけど)、何キロ、何分、何位・・・という「数字」には現れてこない自分の思いを言葉にして表現したい、記録という「数字」以上に感情やレースの周囲と自分との交わりを残しておきたいと思っていることだ。

山西哲郎編『ランニングの世界』(昭和出版)もそうだが(これは「本棚」には未収録ながら、後日、いつか必ず・・・)、

走るという自己の表現と言語表現とを融合した

世界。

レースの途中、頭の中で唱えているマントラは?

その中に一人、兄(その人もランナー)に教わった文句を、走り始めて以来ずっと、レース中に頭の中で反芻しているというランナーがいた。Pain is inevitable.Suffering is optional. それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。

あなたのマントラ(レースの途中、自らを叱咤激励するために頭の中で唱える言葉)は何ですか?

僕の場合、2年前からは「目標に向かって努力できる幸せ」です。「きつくても」自らが設定した「目標」に向けて頑張れることは、近付いてゆけることは、この上ない幸せだと。

ここには「哲学」とまではいかないにせよ、ある種の経験則のようなものはいくらか含まれていると思う。たいしたものではないかもしれないが、それは少なくとも僕が自分の身体を実際に動かすことによって、オプショナルとしての苦しみを通して、きわめて個人的に学んだものである。汎用性はないかもしれない。でも何はともあれ、それが僕という人間なのだ。

満足度:★★★★★


 

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