あどけない笑顔の愛された青年だった

早過ぎた・・・

陸上部の仲間が急死したという報せを昨日の朝、知った。若過ぎる、無念過ぎる死。言葉がみつからない。

しばらくは信じられない時間が続くだろうが、故人へのせめてもの供養として、僕なりに彼のことを思い出して書きとどめておきたい。

彼とは、部誌の自己紹介が同一ページで掲載された、ちょっと面白い縁。随時、受け付けている入部の、以前はその都度、部誌に簡単に紹介されていた「新入部員紹介」(1996年)。たいして意識するほどのことでもないが、今、思うと不思議なものである。

僕は30歳のときに入部したといっても、数年間はほとんど部員としての活動もしていなかった。入庁入部後すぐに中国山口駅伝に出ていた彼のことも知らずにいた。ようやく僕がその気になって走り始めた、陸上部の練習にもほんの少し参加するようになったのが33歳の時。

彼はその才能と若さとで、いわば期待の大型新人としての階段を駆け上がっていた。ちょうど部の新陳代謝の時代で、それ以前の層の厚かったのが崩れ、僕のような者にも中国山口駅伝への出場が巡ってくるようになったとき。

2001年の中国山口駅伝に初めて僕が3区として出場したとき、付添にあたってくれたのが、その年、故障で出られなかった彼だった。駅伝に向けた練習で競技場に行くと、皆、各自の仕事もあるからまるで集まっていない中、それでも彼だけが1人で何十周走っていたのだろう、「やはり、速い人間は努力しているのだ」と思ったことをはっきりと覚えている。

好青年だった

親しみやすい性分で、誰からも一番愛されていたのが彼だったと思う。

僕はこのようにきこえない身であるから、陸上部といっても、なかなか他の部員とうちとけたコミュニケーションをとることは難しい面がある。普通に部員同士なら親しくなるような、同じようにはいかないバリアがある。

部という枠を取り払っても、例えば走るのが好きな者同士で一緒に雑談しながら走れば、競技場外周の1周1kmのジョギングコースを数周でも一緒に走れば、初めての者同士でもすぐに親しくなれると思う。ごくゆっくりのジョグ中でも、そういうことのできない僕は、それゆえ必然的に一人で走ることがほとんどで、それを知っているから誰かが寄ってくることもあまりない。

それでも近寄ってくる珍しい男が彼だった。近寄られれば僕も何か話さないわけにもゆかず、色々と必死に彼の口を読みながら、あるいは彼が身振りや空書や手のひらに書いたりしてくれて話したことを思い出す。走りながら、である。かなり苦労しながらも、彼の天真爛漫さを知るには充分であった。

ここ数年は故障で思うように走れなかったのを皆が残念に思っていた。間違いなく誰もが認めるサラブレッドで、これからというときなのに、その才能を発揮しきれなかった。ここ数年、僕が中国山口駅伝の1区を任されていたのも、本来なら彼がエースとして走るべきところのやむなき弥縫策であった。

今年の中国山口駅伝の練習に一度、彼がやって来た。本練習を終えて僕がダウンジョグしていたとき、やっぱり近寄ってきたのが彼で、「1区ですか」とたずねられて「君が走れないからだよ」というようなことを話しながら2周一緒に走ったのが僕には最後になってしまった。

余談になるが、4年前、僕が読売の賞を受賞して知事とお話しすることがあったとき、彼のことをも言及された。仕事を通じて、周りの誰からも愛されていたと思う。

4月の異動で本庁に戻ってきてからは、よく階段ですれ違っていた。元気にその長い脚で駆け上がっていた。彼もいよいよ練習できるようになって復活の近かった頃だというのに。

今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。



 

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