シリーズ私家版 走る人生哲学

そろそろマラソンは最後にしようかと

海響マラソンでも書いたが、マラソンを一本、走りきると色々と考えさせられて有意義なので、その続き。先日も走ることと人生の無常について とエントリしたが、いわば、シリーズ「私家版・走る人生哲学」。

18km過ぎ
18km過ぎ
5km20分超と最もペース落ちた箇所

僕も弱気な心情を吐露したように、42.195kmもの距離を走るマラソンは「死に行く覚悟」という語呂が示すとおり本当にきつく苦しい。レースそのものも、そこに向かうまでの長い過程も。これまで記録を追い求めてきたせい、年齢的にも(とっくの昔に)ピークを過ぎてしまっているせい...色んな要因が重なってレースに向かうまでの練習の段階で心も折れる。マラソンは5km、10km、ハーフといった距離とは異質の世界で、その深さは簡単に言い表せないところがある。

気の遠くなるほどの練習をした上で、しかしそれが必ずしも実を結ばない上にケガも多い高リスクを何度も味わわされている。僕自身、そろそろマラソンは卒業して、5km、10kmのリスクのない(=ケガのリスクというのでなく、実力がそのままに出る、かつ何度も回転させられて極めて効率的だという意味でリスクのない)短いレースを楽しむだけで充分でないか、という思いになりつつある。

このブログでも特にマラソンに臨む際はここ数年「いつも最後のつもりで」と触れているが、古くには2005年の防府読売でもそう書いている。走りながらそうでも思わないことには走りきれないと感じたあのときの心境は今もはっきりと思い出せる。

「自分はマラソンに向いてない」と泣きたくもなった。「もう、こんなにきついマラソンなんてこれでやめよう」と本気で思った。30km以降で思ったことは以前にもあったが、まだ10kmである。「今日が最後のつもりで走ろう」──本気でそう思った。そこまで思わないと、この先を走り続けられる自信がなかった。

第36回防府読売マラソン 3

とにかく心身の消耗の度合いが大きいというか、また古くには僕にとって初の公認フルマラソン(かつ初の県庁イエロー・ユニフォーム)として勇ましく臨んだものの木っ端微塵に叩きのめされて、それが最初で最後となった2000年玉造毎日マラソンの例もある。

大好きな野球もバレーも、テニスもスキーも、その他もろもろの趣味を半分以上捨てて練習している、それなりの自信を持っていたつもりなのに、35kmでは「自分は走ることに向いていないのではないか?」と本気で考えた。「みんなも棄権しているし、僕ももう止めよう」「走ることそのものもやめてしまおう。テニスかスキーが上手くなった方が、よほど女の子と仲良くなれて楽しい」と思った。とにかくもう、それまで、ちょっと走れるつもりでいた自信なんてこっぱみじんに打ち砕かれた。

第43回玉造毎日マラソン

そんな玉造や防府の経験があったからこそ僕は夢だった2時間30分を切ることができた、一度でいいから、のつもりが四度もの幸運を味わえたのだが、それでも今なお、僕はレースばかりでなく、練習をしているときから「自分はマラソンに向いていない」とよく思う。

これも正直に打ち明けると3週間後の福岡国際マラソンで「もう終わりにしよう」と思っている。

弱気は最大の敵

そんな思いで海響マラソンを走ったのだが、走りながら、そして結果を見てまた大きく心を動かされた。県内ランナーが総結集する海響は福岡やびわ湖のような一部ランナーにとどまらない、レベルを超えて知ったランナーの結果が一堂に並ぶ。新聞に延々並ぶ名前を見ていると、同年代、また上の人らがたとえ実力が落ちてもケガがあっても安易に逃げ込むことなくきついマラソンに挑戦し続けていることが分かる。陸上部の回覧には名前を挙げたけれど、僕よりずっと若く速い実績もあるスピードランナーが3時間超かかっても走り抜いている。そんな結果を知ると、自分の弱さ浅ましさを突かれて心を打たれる。中島敦の「李陵」が思い出される。

二人の走りには常々、力付けられているし、また、個人的に尊敬している県内ランナーの方が出場していたことを知り、やはり走り切られている結果をみると、記録とか順位とかが立派だからではないところで人間の心を動かすものがあるのだな、むしろそちらの方が大きいのだな、とつくづく思う。年をとったからか、これも2月にエントリした「心に残る内なる記録」のような、世の価値基準としてでない、そのあえて困難な道に挑み続ける姿というものに自分は突き動かされる。

自分がマラソンには「向いていない」と書いたが、これも体のいい言い訳で、結局のところ向き不向きでなく、やるかやらないか。挑む人は何度でも挑み続けている。一度ならず何度叩きのめされて懲りていても這い上がれる強さ、もっというと、弱い自分を晒せる勇気をもって。

マラソンには箱根駅伝のような20km、ハーフ前後までの距離を颯爽と駆け抜けるかっこよさはない。必要なのはかっこよさより無骨な泥臭さ。潰れた後はとことん惨めで、できれば人の目にはさらしたくない。でも、今年も雨で身体が冷えた中、ゴールして震えたまましばらく動けない人、泣きそうになっていた人を羨ましく思えるのは、やはり完走と挑戦の尊さを知るから。海老沢泰久の「走る理由」もまた思い出す。

39km過ぎ
39km過ぎ 終盤、本気に

今年の雨はまだたいしたものでもなかったが、先の2005年防府の大雪大寒波など、マラソンには悪コンディションがつきもので試練ばかりが襲いかかる。でも、そんなレースほど心に残っている。久しぶりに2005年防府の完走記も読み返した。試練や逆境に向き合うだけ人生も陰影と深みは増すのでないか。

「結果」でなく、挑戦を続ける人を尊敬するように、今の自分はそんなふうに試練に立ち向かえているだろうかとふと恥じ入る。僕自身が弱いので、口でいうほど、ここで書くほどには簡単でなく、またマラソンを走れるかどうか分からないが、海響マラソンを走って感じさせられた出来事である。

そういえば地元新聞に連載していた読者エッセイが4年前。学び尽きない奥深さで問い続けたい世界だと締めた「走る理由」。本当に学び続けさせられている。

画面が変わると、力つきたらしい女の人が沿道に車椅子を止め、係員に抱きかかえられて泣いている姿が映った。彼女の両脚は細く、ほとんど筋肉がついていなかった。おそらく歩くことができないにちがいなかった。その女の人が泣いていた。完走できないことが口惜しくて泣いているのは明らかだった。石井進は、それを見て、なぜかとつぜん心を揺すぶられた。


・・・


それでも彼らは走ろうと思い、完走できなかったレーサーは、それが口惜しくて泣いていた。彼らが走る理由はひとつしか考えられなかった。彼らはただ自分自身のために走っているのだ。ほかの何のためでもなかった。その意志の前には、同情心も何も、いっさいはいりこむ余地はなかった。じっさい石井進は、完走できなかったことが口惜しくて泣いていた女の人を見ても、同情心はまったく湧かなかった。同じ競技者として彼女の口惜しさが正確に分かっただけだった。きっと彼女は完走できなかった口惜しさを克服するためにまた走り、何としても自分を満足させようとするだろう。


自分はまだそんなふうに考えて走ったことは一度もない、と石井進は思った。


海老沢泰久「走る理由」



 

  Related Entries


 comment
  1. みっちー より:

    羊さんは市民ランナーにとってあこがれのサブ30を達成され、大きな大会にも出場されているので、モチベーションを保つのが難しいですよね。
    マラソンへの取り組み方(目標の持ち方)は色々ですが、私もベスト記録を狙えなくなったら、こんなキツイ環境を続けられるかどうか・・・とよく考えます。でも今マラソンを続けているという事は46歳になるというのに、まだベスト記録を狙えると思ってい訳ですが(^^;)。
    私にとっては羊さんや鐵人さんが高いレベルでマラソンを続けてくださっている事が励みになっているので、まだまだ一緒に頑張りたいです。

  2. より:

    みっちーはまだ実力を出し切れていないところが多々あるので、記録更新は当然に狙ってゆけると思います。
    僕もみっちーの姿勢は励みだし、
    前にもいったような、やはり確かにみっちーが好記録を出せるまで一緒に頑張っていたいですね。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。