走る人生哲学 来週は福岡国際マラソン

ディープにオタクなマラソン・バカの集まり

そろそろ緊張感も高まってくる一週間前、しかも今回、最後になるかもしれない福岡ながら、出走前に気持ちが乗り切れていなかったことは実は3年前にもある。

僕自身、何の疑問も挟まず無邪気に走っているわけではなく、何のためにこんな苦しい思いをしてまで、それで何か社会的に有益なことがあるとか、実用的な見返りがあるわけでもないマラソンを走るのか、という迷いは常々、抱いてきた。

これは僕が2時間30分という目標に取り憑かれていた、囚われていたせいも大きいが、幸い、40歳を前にしてクリアし、以後、3度も達成できていた3年前は次の目標が見えにくかったこともある。年齢的にもピークを越しているし、福岡やびわ湖やに求められる、常軌を逸した努力と情熱を保つのは相当にしんどく感じられていた。

きっと家族や職場や、でも呆れられ疎んじられ(場合によっては蔑まれ)ているだろう、本当にただのバカだよな、と冷めてしまうところもあるのだが、けれども、いざ大会当日の平和台陸上競技場に出向いてみると、やはり、同じような(というより、僕なんか比較にならないくらいの)マラソン馬鹿の集まりを見ると、「うん、まあ、それも悪くないのかな」と、ふと思い直す気分になったことをよく覚えている。

ディープにオタクなマラソン馬鹿は趣味の世界ゆえの当然のことだ。よくテレビで見るような鉄道マニアの部屋が、レールの上を模型の走るジオラマそのものであったりするように、マラソン馬鹿の部屋もマラソン本やトレーニング・グッズや、であふれかえっているものだ(間違いなく)。どんな世界にもあるマニアの集まり。

(必ずしも全てが肯定されるわけではないが)一日のかなりな時間を割いてトレーニングに励み、晴れて福岡国際というようなハイレベルの大会に集まってきたランナーの目はやはり輝いている。あるいはギラギラと燃えさかっている。普段、一人で練習することが多いだけに、こうした数字の上からするとランナー全体の1%未満のバカでも、全国から一同に結集すると、これが集団の力というものか、何だかバカでも崇高なものに見えてくるから不思議だ(合成の誤謬?)。

趣味の世界だからこそ、ディープにオタクに極めてこそ見えてくる境地がある。

それで後押しされたところがあったのか、翌シーズンは4度目のサブ30をまさかの海響で果たすこともできた。そうして40歳直前でびわ湖に初出場してから幸いにも7回、びわ湖にはエントリできたのだけれど、びわ湖と福岡とではっきりと違う雰囲気というのも知ることができた。

びわ湖は実業団選手が多く出場し、箱根を走った学生ランナーが初マラソンに挑戦して話題になるような、やはり一部エリートの集まる大会。これが今の福岡になると、わずか10分資格時間が広がるだけで、実際にはこの10分にディープ・オタクランナーの数百名がひしめいているので、雰囲気がガラリと変わってくる。

30分を何とか飛び越えたい者、1分でも縮めたい者、先にギラギラした、といったのはびわ湖に集まる、一種、選ばれたエリートのクールな雰囲気とは違ったむき出しの欲望というか、「これぞ市民ランナーの到達点」とでもいえるような、メラメラと願望や魂胆や作戦やらが隠さず渦巻いている。

その挑戦者の集まり、という熱気がギラギラに漂っている雰囲気は好きだなと思う。

早々と年齢を言い訳にしてはいけないが、過去と比べても福岡に臨むには随分な力不足であり明らかな練習不足でありケガも癒えておらず、ではあるけれど、あの挑戦者の集まりの中に身をおける誇りと幸運を忘れずに、持てる力を出し切りたい。少なくともスタートラインにさえ立てなかった昨年よりかはずっと幸せだ。

39km過ぎ
海響マラソン2013 逆ランパン
まだ前半なので前布がダブついているがこの後、雨ではりついてゆく...

 

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