福岡国際 すぎゆくは若き日々

レース展開

今年はケガの癒えた7月以降、普通に走ったレースが11月の海響マラソンと秋穂20kmのみ。レースを練習代わりとする方ではないので予想タイムはたてにくい。海響はゴールタイムこそ前年差1分落ちにとどまり予想以上に良かったが、前後半差は6分もと失速度合い大きく、20kmの秋穂ですら失速しての4分落ちと悪かった。ここ十年でいちばんの練習不足が明らかなので、残り3週間で走り込みに努めた。

そのせいか、直前一週間で痛みが出て疲労も大きく、の海響前の方がだいぶよいくらいだったが、そこは両者相容れず。疲労は残すことになったが、調整を捨てて最後まで足を作る方を自分で選んだ訳で、結果的には前後半差2分半に抑えられたなら最後に選んだ手段の目的は果たせたと思う。

レースはペース設定せず体感のみを頼りに走る。入りの1kmが3分31秒、次の2kmも同タイムと充分。以後は時計見ずラップも押さず、5kmごと通過地点の計時車を見るのみ。5km19分までは落として大丈夫と思っていたので、最初の5kmが17分54秒(324位:以下、速報で表示された参考順位)とだいぶ速い。以後、10km(18分13秒 384位)、15km(18分22秒 414位)とどんどん追い抜かれる。タイムも落ちているのだろうと分かるが気にせず。

護国神社前を通過してけやき通りあたりから少し楽になり(手元時計を見ていないので走っている最中は気付いていないが結果的に3分40秒/kmペース)、20kmが18分18秒(408位)。ハーフ通過は1時間16分49秒と昨年より3分半遅れ、25kmは4分遅れ、ということは考えないようにし、とにかく完走までの足を残すことにのみ注力。最近のハイレベルな福岡の良さは、2時間35~40分のマス層なら常に最低、数人の集団ができること。これまで福岡では何度か集団から離れた一人の走りのこともあったから、数人と一緒にいれるだけで充分な集団の恩恵。

川内選手は博多駅前がいつもきついらしい、僕にも一番きつく感じる大博通りを今回は余力残して25kmを通過(18分20秒 393位)。千鳥橋折れ3号線に出て集団を抜ける形で先行を追ったが、ここで一気に抜け出して独走できるほどの力はなく、すぐにまた後続に追い付かれ追い抜かれる。ケガの出た昨年はここで収容車に乗った名島橋、落ちてくる選手の目立ち始める30kmが18分30秒 359位。千早を折り返す頃には僕ももう余力なくなっていた(35km 19分04秒 348位)が、あとは根性の世界。

痺れ出した足で40kmの失速を最小限に抑え(19分13秒 283位)、感激のラスト2kmへ。フルマラソンでゴールまで競い合えるのもまた愉しいことだと気付かせてくれたような、最後も抜きつ抜かれつ、せっかくなら、とそこで力を振り絞るタイムでもないのだけれど(^^;) ゴールは前の2人に追い付く形で3人同タイムゴールとなった(抜き切れないのが残念(^^;) 。ラスト8分21秒 272位。

2015fukuoka-4
初出場含め3人、無事、Finish

友人(とその友人)の応援には本当に力付けられた。だいたいの応援スポットは分かっていたが、ボードを持つでも派手な応援でもない中、3号線では予想しなかった反対車線側の歩道にいるのも気付いたくらいの、普段、なかなか応援には気付けない自分が計4箇所全てではっきりと分かったというのも、やはり、感じさせるものがあったのかな。横浜に帰る便前のスケジュールでの応援、本当に感激している。次は一緒の大会に出たいものだ。

── と、書いていたらあらためて色々と懐かしい。話にも出てきたアメフト部の後輩は平和台での試合が多かったはずなので、福岡国際をランナーになった立場で見るなら、ゴールには一層、感じるものがあるだろうし、昨年も書いたが十代の頃を過ごしたキャンパスも学生寮も今は跡形も無くなっている等、福岡の街の変貌ぶりは激しいが、

いつまでも変わらない 心でいたい♪

とA2フロアの若き日々が思い出された。みんな元気でいるかな。

2015fukuoka-3
起居を共にしていると「そのシャツ30年経っても覚えてるよ」(T_T) な談話室のヒトコマ


 

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