福岡国際結果 空を飛ぶ夢をもう一度

蛮勇を奮って挑戦

2週間過ぎてしまったが結果報告。

レース後は6ヵ月振り一日年休をとって飲んで帰る。途中棄権となった数時間後だけに苦味と痛みが沁みたが、齢五十の迫ってきた2人がこの歳で福岡を走れて、かつ打ち上げて帰れるのは非常に幸せなことだとつくづく有り難い。飲める相手がいただけで随分と気も晴れた。

月曜夜7時に帰宅して冬タイヤへの交換×2台。ついでにワイパーのゴム替えも。急ぐ必要も無いが、タイミング的に他に時間はない ── の、覚悟はしていたとおり火曜に出勤したら片付かない上になお降りかかる仕事の数々・・・。いきなりストレスモードも大に。2時就寝、身体も気も休まらない。

レースの方は28km手前で足の痛みが出てしまい、躊躇なく断念。収容バスまでの残り3kmを歩き半分で一応、関門に達したので、記録は30kmまで残る形となった。

5kmラップは以下のとおり。
17:37-17:22-17:10-17:23-17:34-24:23  ※ハーフ1:13:20

業務繁忙のストレスや制約もあったが、今回は久しぶり(7年ぶり)にケガなく練習できていた珍しいシーズンであり、また、出発前に書いていたとおり、常に最後のつもりで走っている気持ち的にも悔いのないよう、積極的な走りをするつもりでいた。

風なく気温の低い天候コンディションは絶好で、個人的にはこの先2度とないだろうと思えるくらいだったので、レース直前まで身体の休まらなかった疲労はあったが、スタート後は走りながら記録を狙う気持ちが一層、強くなっていた。

最初の5kmが17分30秒超もかかっているのには「あれ?」と思った、どうしても年々、重くなるナンバーカードゆえにスタートロスはあろうが、大濠スタートは7秒、合図が遅れたらしい。年々、ものすごい勢いでレベルアップする福岡の市民ランナーグループ、5km、10kmまではかなりの大集団。

今回は後半の失速は覚悟の上で飛ばしてみるつもりだったので、5km過ぎて落ち着いた集団からさらに10kmで一つ前の集団を目指そうと1人抜け出た。1つ前は実力ランナーが揃っていたようで追いつくのに3kmかかり、かつ、完全には追いつけず。

結果的には、抜け出た集団も後半にペースアップして追いついてきたくらいで、まさしくそれが福岡のハイレベルを如実に示しているように、その集団にいてもよかったのかもしれないが、全ては結果論。

10~15kmで少しペースアップした以外、20km、25kmと十分にいいペースを刻めていた。明らかな失速度も脚の残りの無さも感じられなかったから、サブ30+自己ベストを念頭に走り続けていた、この歳での蛮勇かもしれないが、練習でもそうだが、そのくらいの気持ちはあった。

── が、潰れる(失速する)より先に身体(脚)の方が耐えられなかったということ。残念ではあるがこれが現実。このペースでの練習もしていなければ、レースでも数年、走っていないゆえに足の方が正直だったか。

空を飛ぶ夢をもう一度

バスには関門ではなく同じような自主棄権組が乗り込んでいた。数人は目を腫らしていたようだった。僕自身はその時点では、痛みが出た以上、しょうがない、というサバサバとした気持ちでいたが、その分、レース後数時間、また夜、朝・・・と悔しさがじわりと広がっていった。

ただ、それもまた時間をおくと、結果は残せなかったが、走り自体は十分によかったと思える気持ちが強くなった。10年前にはこのペースで25km、30km行けずにもがいていた自分を思えば全然、捨てたものじゃない。このペースで行けた最後が5年前。今回、ちょっと戻れたことには大いに気をよくしている。

何より記録を、自己ベストを狙う気持ちで走れたのがうんと久しぶり。かっこよくいうと「挑戦」の気持ちが全身にみなぎっていた。マラソンは目標タイムありきでなく、現状で走れる実力によるペース設定が肝心、という論に異は無く、全くそのとおりだと思う。いわゆる5000m、10kmの記録から得られるマラソン係数的にも僕自身の経験的、感覚的にも今回は頑張って2時間32分台が現状実力だろうという気持ちはあった。

結果を残してなんぼ、完走者に名を残さねば全然ダメ、というのも僕自身、何度もの経験で身に沁みている。が、どうしてもここまできたランナーなら皆、同じだろうと思うが、「30分」へのこだわりが僕には強い。13年前の34歳から意識し、挑戦し始めたサブ30。もちろん31分も35分も立派なタイムで誇っていいことも承知しているが、30分が切れなければ嬉しくない、という不遜で贅沢な思いが今なお残る。自分の走力の坂の下りは認めつつも、なお夢は捨てきれない。

そういう意味では、久しぶりに夢を見ることのできたこと、そして実際に挑戦の気持ちを持ち続け、決して夢でないペースて走れたことには満足している。

10年前の初出場時、当時の記事には「夢の大会 夢の跡」と書いた。かつて学生時代は、競技場でなく、野球の方で利用していたこともある平和台球場の方に馴染みがあったがそれも早々に姿を消したこと。また、受付・事務局会場となる西鉄グランドホテルに隣接する大名小学校のことも書いた。学生時代、警備員(のおじさん)のバイトをしていた学校。(他の選手には関心は無いだろうが)自分には懐かしさあって今回、前日受付を終えてふと見るでもなく目が行くと裏門(北門)の校札が替えられているのを知って驚いた。「あれ!」「ウソ・・・」とショックを受けた。帰って調べてみると今年の3月をもって閉校し隣の舞鶴小に統合されたらしい。

それから、今回、車で出向いていたのだが、受付を終えて警固交差点~けやき通り~護国神社前とコースを逆走するように車を走らせていたら、六本松の教養部もついに建物が一掃されて更地になっているのを知る。既に校舎機能の移転していることは知っていたが、かつての学舎が消えているのを見るのはさすがに動揺した。明日のレース中でなくてよかったかもと思ったが、それにしても何だ、あのサーカスみたいなテントは(本当にサーカスのようらしい)。失礼じゃないか・・・って、これにもショックの追い打ちをかけられた。

平和台球場、大名小学校、そして六本松キャンパス・・・。福岡の街が変わりゆくのは在学中からダイナミックなものがあったが、こうして、とりわけ自分の想い出深い地が名を消し、名残を消し、形を変えてゆくのに、なぜだか今回は時の流れをイヤというほどに強く感じさせられた。

10km手前で黄色い団扇による金子誠一の応援、ありがとうございました。帰ってTVでも確認しましたが、早いものであれから十年、十数年。長くもあり早くもあり。ゴールは適いませんでしたが、大変、嬉しく懐かしく思っております。

2014fukuoka-2

 

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