第63回福岡国際マラソン選手権大会 5

3年ぶりの福岡

スタートラインに立つことができて何より嬉しかった。欠場したここ2年は、今回も含めて3度目のサブ30を達成できた以上にいい練習が積めていた。調子というなら間違いなく過去2年の方が良かった、けれども40歳を超えた肉体にはそれが過負荷となってケガを引き起こした。当日、自宅のテレビで見ていてやりきれなかった。1年だけならまだしも2年も・・・。

福岡は単にステイタスがあるという以上に、個人的に思い入れの強い地。六本松と箱崎の両界隈で都合5年間を過ごし、野球部時代は競技場隣の平和台球場でもプレーした青春の地。ただそのキャンパスも今、順次、移転中。平和台球場が取り壊された上に母校までも・・・と本当にさみしくなってしまうのだが、それだけに「あの頃」の息吹を全身で感じながら走り抜けられる感触が最高の、今後も感じ続けたい大会である。

妻の帰省も兼ねられる、ご両親にも一年に一度、僕のマラソン観戦の機会を楽しみにしてもらえているのも果たせずにいたが、今年は合計4箇所で応援してもらえた。ご両親自身も応援できたことを非常に喜んでもらえた。

スタート前
スタート24秒前

福岡は参加賞も質がいいから、せめて少しだけでも走って・・・と考えないでもなかった、実際にここ2年の「もらうはずだった」Tシャツや帽子の他の選手を見ると嫉妬していたのだけれど、そんな気持ちでもらっても余計に虚しくなるだけ。果たせなかった思いはぐっと堪えて溜めておいた方がいい。今回もDNSの選手は多かったと思うけれど、気持ちがあればきっと取り戻せる。僕なんて2年も見送ったのだから・・・。

きついレースだった

5月の洞爺湖で2時間30分21秒。故障明け、練習の万全でない状態で坂のあるコースを7km以降、単独で走り抜いてのタイムだったから27分はゆけるという強い自信を持てた。今回そのつもりではいた、自己ベストはもちろん、Aグループ入りのサブ27を意識していたのだけれど甘くはなかった。

デフリンピック後まだ80日、例年のようにはしっかり走り込めなかったせいか、中間点をゆかずに苦しい走り。ラップはほとんど確認しなかったけれど、中盤以降は手元の時計を見るまでもなく失速がはっきり分かる感覚だった。3年前に比べても、同じようなペースでゆけた2年前のびわ湖に比べても余裕はなかった。

こだわりたいサブ30

それでも経験は大きい。というか、今回も最年長サブ30、若い選手のように力がない分、老兵はせめて経験でカバーしないと。2年前の別大でも「デジャブとしての経験の強み」と書いたように、苦しい中でも「最低限、サブ30」を走れる術(すべ)を発揮できた。

僕自身、一本だけならまぐれ、二本でもまだ幸運が続いたと思えていたのだけれど、それに近いタイムで三本、固めた洞爺湖で確信できたように、積み重ねてゆくと逆に切れない方がおかしいと思えるようになる。何度もサブ30を繰り返す、年をとっても強いランナーの秘訣が少し分かった気がする。僕もそうありたい。

自己ベストには3秒及ばなかった、昨年、孝一郎君に上回られた聴覚障害者記録、さらにはAグループ資格の27分もまだ遠いけれど、それでも一つの大きな分水嶺となるサブ30は果たせてホッとしている。

これでびわ湖の資格もまた2年間、延長。一度、出れるだけで名誉と思っていた大会に5度、エントリできることになる。3度目の出走予定だった今年3月、こちらも最後の資格年だから体調が悪くとも行くだけは行くかと迷ったのだけれど、「いや、もう一度、ちゃんと体調を直して30分を切る」「必ず資格を取り直して戻ってくる」と賭けた方を実現できて嬉しい。

デジカメでの撮影で、かつスタンドからの望遠なのでだいぶ揺れているけれど、競技場スタート後の状況。僕は知らなかったけれど、スタンド前ではこの間、音楽隊のラッパやら行進曲が賑やかなのだそう・・・。それも入れて雰囲気を伝えられるところだけれど私語も録れているのでカットして以下、掲載。


スタート後、競技場周回

 

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