第57回別府大分毎日マラソン 14

職場の駅伝、東京マラソンと続いて中断していたけれど、別大の完走記分の再開。

こだわりたい一線

舞鶴橋上41km地点

2時間30分──東京マラソンの選考会の部と、びわ湖への出場資格。こだわりたい「一線」。30kmでサブ30への光明が見えたことが本当に今回の強いモチベーションになってくれた。

一昨年の福岡国際がまぐれだったといわれないためにも。一本でなく。一発屋で終わることなく。

そしてもうひとつ、僕の中での一番、大きな気持ちだった、価値あるものと思っていたのが ──昨年の完走記でも記した「40歳超(オーバー・フォーティー)で2時間30分切り(サブ・サーティー)」── この勲章をつかみ取るためにも。

最後まで気は抜けなかった。気持ちが切れてしまえば最後の2.195kmでも簡単に30秒、1分の差がついてしまうものだから。結果的には舞鶴橋にさしかかる41km手前の坂とそこからの強風とで大きなペースダウン。40kmまで何とか3分30秒/km台を維持できていたのに、スパートしているつもりでもラスト2.195kmは8分8秒(=3分42秒/km)。

競技場に帰ってきて残り400m、やっとサブ30を確信した。誰に示すでもなく、右腕を挙げてガッツポーズ。

がむしゃらだった。僕にとっては福岡でサブ30を果たせたことで一生分の感動は味わったつもりでいる。当時、記事にされたとおり、語ったとおり、記録更新を確信した最後の5kmは「人生で一番、幸せな時間」だった。感動に浸っていた。

第60回大会で第60位というラッキー賞的な順位にも、それから、これは書かなかったけれど、2:29:05のタイムの29分05秒部分は「フ」「ク」「オ」「コ」くさいとも読める、語呂のいいタイムに満足していた。

16秒に凝縮された思い

舞鶴橋上、無我夢中
舞鶴橋上、無我夢中

でも同時に、「5秒は惜しかったな」という、どこまでも欲張りな自分がいたのも事実。「幸せに浸っていなければ・・・」「ゴールポーズを考えながら走っていなければ・・・」。

記録を思い出すとき、語るとき、通常は秒単位でなく、せいぜい分単位だ。29分台と28分台ではやはり、雲泥の差。スーパーでも1000円でなく必ず980円にする、大きな違い。

最後のトラック1周を走っていたときでさえ、自己ベストはまだ意識になかった。ただとにかく「今度は最後まで力を振り絞ろう」と決めていた(苦)。残り100m、ラストのホームレーンで見た電光掲示板のまだ28分台だったことに気付いて初めて夢が現実に変わった。「このまま(28分のまま)変わるなー!」って心の中で叫びながら、今度もやっぱり──でも、福岡の時とは違う、鬼のような形相での力強い──ガッツポーズでゴール。

サブ30でも嬉しい上、結果的に自己ベストまで出たことは本当に信じられない。頑張っておいて良かった。ゴール後の気持ちは、終盤、思い浮かべていた色んな人にいい報告ができる嬉しさと同時に、「よく記録が出たなあ」という、本当に大きな大きな安堵感に包まれた。

わずか16秒の更新でも、終わった後では限りなく大きく見えてくる。数字だけにこだわりたくない、そのつもりの完走記であるけれど、記録面で極言するなら、今回のレースはこの16秒のために42kmを走りきったようなもの。いや、当日の42kmだけでなく、練習も含めて。数百キロ、千キロと走った練習が16秒に結び付いた。

トップランナーだけでなく、僕らもレースにはタイトルを付けよう。自分だけのキャッチコピーを付けて記憶に留めよう。谷口の「こけちゃいました」、有森の「自分で自分をほめてあげたい」・・・。僕には「最後の5km、人生で一番、幸せな時間」だったのが福岡国際なら、今回は「16秒に凝縮された42km」だ。


 

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