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第61回福岡国際マラソン選手権大会 3
2007/12/02 平和台陸上競技場発着
出場は断念
10月末日に痛めた左臀部の損傷が激しく、3週後の大会出場は諦める。
珍しくレース前の早くから完走記を立ち上げたのは良かったが、まさか、こんな展開になるとは──
前回、「諦めずに回復を待つ」と書いたが、今まだ、まともに歩けない状況かつ、回復の目処もついていない。悔しさは大きいが、これだけはっきりしていると気持ち的には振り切れている。変な例えだが、禁煙を何度も試みたときに似た状況だ。最初の数日が一番、精神的にもつらい。でも、やがて落ち着いてくる。
終結編
大会に向けている選手が今、気持ちを高めているときに一人、先に終結宣言をせざるを得ないのは情けないが、これも大事な記録として残しておこう。
10月初めに突然、出走を思い立つ。週末の金曜日、走り込み用のトレーニングシューズを購入。以後、集中して練習開始。
10月の一ヶ月間、手応えは感じられていた。昨年までの、苦労してきた数年の経験が活きているようで、自分なりにうまい案配で練習の組み立てができるようになっていた。
元々、なかった出走意思を翻意して出るからには、目標も高く掲げた。完走目的の2時間30分台で走れればよし、という気持ちは毛頭無く、サブ30は当然のこと、次なる目標としてAグループ(サブ27)入りを限りなく現実的に見据えて取り組んでいた。
敗軍の将ゆえの見栄で語るのではなく、経験的に非現実的な目標とは思えなかった。順調に近付いてゆけていた。
でも、これもマラソンの怖さ。
故障か自己新か
練習の負荷が高過ぎたとも思えないのだが、やはり、自己記録というのはこれまでの自分を越えること。昨年以上の練習ができていたこと自体、すなわち、自分のキャパシティのギリギリのところだったのだろう。
引き出せる部分は引き出してきた、自分の経験的にも年齢的にも、リスクなしに自己新はないだろうから。
兆候がなかった訳でない。月末にはそろそろ第一次の疲労が出てくるとき、という備えはできていた。二、三、痛みも出ていたけれども、その都度、翌日には回復できているような、これも自己再生力を実感できていた。
今回のケガがレースやハードなトレーニング中であるとか、野球やサッカーや・・・のような予想できない無理な動きの結果、というのなら分かるが、ランニングという極めて規則的な、しかも負荷の低いジョグの最中に出てしまったというのが、今まだ信じられない現実である。
それだけ疲労が局所的に蓄積していた、ということなのだろう。臀部の筋肉がうまく走りに使えるようになってきているな・・・と感じられるようになっていたのだが、それも両刃の剣だったということか。
2年前、やはりこの時期に腸腰筋の肉離れを起こしたときと同じ。これまで使えていなかった新しい筋肉、深部の筋肉を身体が使おうとしての結果。少々、恥ずかしい話だが、2年前はその後、春先までの数ヶ月、ずっと下腹部に湿布を貼って走っていたものである。
あらためて当時の完走記を読み返すと、あの頃もケガは頻発していた。
でも1週間で済んだ当時と違い、今回のは比較にならないくらいひどい。選手生命の危機・・・。今後はさらに、こういうケースが多くなるのだろう。
限界をこえようとする挑戦は、一歩手前でよしとしない欲でもある。折り合いをつけるのは簡単でないが、これからは9割以上のリスクを伴って自己新を狙うばかりでなく、その一歩手前で踏みとどまる技術も覚えてゆかないといけない。
この故障の回復にあとどれくらいの時間がかかるのか分からない。年内で済むのか、数ヶ月なのか。でも、これも My Running Life の避けて通れない経験、通過点。必ず回復して走れるようになりたい。
2007-11-12










とても残念です。。
夕方、幸せいっぱいのYukioさんが福岡を欠場するという
話を聞き、今年は陸上部から5人の出場で昨年と同じ人数に
なったなと思っていたところでした。
一日でも早い回復を祈っています。
僕もかなりの疲れとあちこちの痛みで湿布がかかせなくなって
きていますが、羊さんが走れない分、初福岡では最後まで
精一杯頑張りたいと思っています。