第62回びわ湖毎日マラソン (6)

2007/03/04 大津市皇子山陸上競技場発着、草津市新浜折返し

ここまで来たからには

第62回びわ湖毎日マラソン
62th Lake Biwa Mainichi Marathon

30kmは1時間46分48秒。

5kmのラップは18分台を通り越して、一気に19分21秒まで急降下。この先の35kmと40km関門の時間は知らずにいたが、例年の成績を見る限り、最終走者のタイムは2時間40分であったから、それを見据えての走りとなった。

3ヶ月前の福岡ではサブ30までの残り時間を計算していたのに、随分なレベルの低下だ。それでも、ゴールに向かう気持ちは充分、強かった。「マラソンは完走してナンボ」、「タイムよりまず完走」という原点を思い出させてくれた。

昨年迄の成績を見て、関門で脱落する選手の多いことを知っていた。あくまで自分には2時間40分かかっても、ゴールできるだけでどんなに嬉しいだろう。僕には最終走者が幸せに思えていた。

完走しないことには記録は残らない。福岡、東京と並ぶ日本三大マラソン中、最古の歴史を誇る大会。福岡、東京の門戸が開かれる中、2時間30分資格の最後に残っている大会。名誉ある大会の完走者として、末尾でもいいから名前を刻んでおきたい。

ハーフ資格で出場している選手や若いランナーなら、棄権して次のチャンスに賭けるのもいい。けれども、僕には年齢的にも「次」の「びわ湖」が容易に用意されているものではない。ここまで来たからには、初出場が最後の出場にもなりかねないなら、ワンチャンスを活かさないと。

厳しい時こそ

それから、これは10km前で暑さを感じながら頭に浮かんでいたことだが、気温の上がったこのコンディションで完走できたら、それはまた価値あるだろう、勲章になるだろう、と思えていた。あくまで自分の中での基準、個人的なランナー人生、ランニング・ライフの上で、ではあるが。

暑さの中でのマラソンといえば、僕には2000年玉造、2005年メルボルン・デフリンピックに次ぐ3度目。玉造は僕にとって最初で最後になってしまった(今はフル部門がなくなった)が、完走率が38.7%となった、おそらく玉造の歴史の中で最も厳しかった部類。デフリンピックという国を代表して出場している最高の舞台でも、他国選手は半数近くが途中棄権した。

暑さは苦手な方でないのだと思う。貧血、低血圧、汗をかきにくい・・・自分には暖かい方が身体もよく動いてくれていい。走っていて「今日くらいが程よく汗の出てくれる」気温と感じていた。

玉造もデフリンピックも、タイムはひどいが、その後の自分の走りに、また、生きる上でも大きな自信になってくれている。記録よりも記憶に残る、かけがえのない経験。ここはひとつ、何としてでももうひとつ、勲章を加えておきたい。

トップからは随分と差が開き、後ろに収容が迫っている最後尾に近い選手にも沿道の観客はあたたかい応援を送ってくれる。スタート直後から応援の多さには驚いていたが、これが関西人の情の厚さか、滋賀には縁もゆかりもない、一般参加選手の僕にまで熱く強い声援をかけてくれる。胸にしみた。時々、応えるようにうなずきながら走った。


 

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