第18回夕やけマラソン1/10inほうほく

2006/09/02 角島大橋発~角島小学校着

幻と消えた総合初V

角島から見る日本海
好天の一日

残り1km少々というところだろうか。今年また変更された新コース。灯台公園を2周して、後は元、来た道を戻ってゴールに向かうだけ。途中から先頭争いを競って4、5回抜きつ抜かれつを繰り返した2位とも根比べに負けず、はっきりと引き離して差を広げていた。夢にも思わなかった総合1位──。

けれども、目の前にあったのに夢は幻と消えた。

「最後の灯台公園周囲は2周する」こと。主催者が注意喚起して自分でも分かっていながら、誘導に連られるまま、ゴールへと戻る道でなく、結果的に3周回目への道に進んだ自分がバカといえばそれまでである。僕自身、「そんなはずはない」と思った。2周回目を終えようとする50m手前で大きく左手を差し出して「(今度は)左だろ!」と叫びながらアピールした。

しかし、数人立っていた誘導は皆、右へ行けと大きく手を回すばかり。何しろ、選手の内、この時点で1周回目を終えた者さえ1割にも満たない数だったろうから。誘導の係員にとっては「2周回させること」が至上命令で、僕が既に2周回目を終えたトップだとは気付かなかったとしても不思議ではない。でも、気付いて欲しかった・・・。

けれども、審判や主催者のいうことは絶対である。このまま右に3周回目に突入することがありえないとは思いながらも、そう指示されたら右に行くしかない。最大限、好意的に解釈して、いったん右に曲がって少し進んだところをUターンするか、あるいは突き当たりの防波堤を左に折れてゴールに向かう(昨年度の序盤コースと逆に)ことも考えられたが、無論、そんなことはなかった。

救いようのないバカ

今、思えば、この時点で踵を引き返していたならば、2位(=結果の1位)に追いついての総合Vは無理でも、3位以下はかなり大きく引き離していたから、せめて30代部門のV5は達成できたろう。今年は5千m14分台に届こうかという30代前半の選手がエントリーしていて年代別V5も絶望的に思っていたから、それだけでも価値はあった。

けれども、1周回目、2周回目のランナーがごったに入り乱れている中を、ひとり、今更、逆走することなどできようはずもない。「取り返しの付かない」3度目の海沿いに出た頃には、悔しさと腹立たしさで涙が出かけた。

3周回目を終えて、係員の立つ地に戻ってきたときはさすがの僕も感情をあらわにした。怒り心頭に発する、とはこのことである。たかが市民レースで大人げないこととは分かっている。ボランティアで立っているスタッフを、大会が無事、終わることが最大目標の主催者を責めることはできないが、僕にはあまりにも非情な結果となった。

昨年の十種ヶ峰、過去のもみのき・・・、トップ選手がコースミスしたことを僕も何度か実際に知っている。今回と同様に、先導をミニバイク(や車)が通れない箇所では、トップの選手にとってコースに立つ誘導以外に頼るものがないのだから。皮肉的になるが、今回の場合、逆に誘導がなかったら僕は2周回後にためらわずに左に行ったろう。

主催者によると、公園1周は1.8kmあるらしい。「そんなにあるかな」とも思うが、途中で緊張の糸もぷっつりと切れて7分以上、余計に走ったことになる。選手はどんどんゴールしている。ゴール後に記録証は次々と即座に発行されている。上位入賞選手には賞状と副賞が速やかに手渡されている。この状況でどう説明しても、今更、僕の順位が変わるものではない。主催者にとっても、僕がトップであったかなかったかなど関知したことでない。参加した選手にとっても1位がAだろうがBだろうが、どっちでも大差ない。AとBの当事者以外にとっては・・・。すべては後の祭り。覆水盆に返らず。

市民レースは数多くあれど、この大会は若い俊足ランナーもいるし、コースもタフで、僕にとっては挑みがいのあるレース。今回、あのまま終わることができたら、夢にも思わなかった総合初Vを得ていたら、先週に続いての大金星であったが・・・。

一応、レース展開を記すと

空にも秋の気配
夕暮れ、空に浮かぶ雲も秋の気配
1km
スタート後、飛び出す前回V選手に僕がついてゆく、昨年と全く同じパターン。でも昨年と違い、1km持たずに3m、4m・・・と離されてしまう。スタート後、すぐにゆるやかな坂となる1kmを2分57秒。最初1kmがフラットなコースだった昨年は2分51秒。自分の力からいうと暴挙な入りであるが、理屈ではなく突っ込む。
2km
2km、コース変更となって、一番、苦しい坂がしょっぱなに。きつかったせいか、キロ表示は見落とした。
4km
4km過ぎ、1位に追いつき、そのまま追い越す。たとえ瞬間的であっても1位に追いついたことは「すごい!」と自分で興奮した。ゴール地点となる手前の、最も沿道の声援が多くなる道の駅も1位のまま通過(でも帰って来れなかった・・・)。
中間点
既に充分、息は上がっているというのに、ここでゴールとなる5km選手も含めて、誰もが凍てついたと思うが、今、下りを駆け下りて、目の前に真っ直ぐ伸びる道路の何とも美しく、空に向かってせり上がっていること! 韓国に飛んで行けそうなくらいに!
この上り坂で再び、2位に落ちるが、それでも中間点を15分57秒で通過。走っていてもどしてしまいそうな吐き気を感じたのは初めてだった。それほど、はっきりと、もうレッドゾーンを越していた。
6km
苦しい坂を登り切り、先導の車がなくなる灯台公園に入ったところで、また、抜き返して1位に立つ。下って、防波堤となる行き止まりを左に行きかけたので、また2位に抜かれる。すぐに追いついて抜き返す。
7km
2周回目、係員のもつマジックに手を差し出してチェックの印をつけてもらう。ここで根をあげそうになった。マラソンで後半、つぶれるような、このまま突然、ジョグペースに落ちてしまいそうに思えた。気持ちが切れる、なえる、折れる・・・。憎らしいコース。でも、きっとみんなも同じだったろう。じわりと差が付きつつあった8kmを26分07秒。このままなら32分40秒。最後、多少、落ちたにはせよ、ラストは下りもある分、33分は切ったと思う。

でも、また次

このタフなコースで充分過ぎる展開を見せたが、今回は自分でもそれくらい死力を尽くしていた。たかが田舎の(本州最西端に浮かぶ島の)市民レースくらいで、といってしまえばそれまでだが・・・。

過去の完走記でも繰り返しているように、眺めもいいし、主催者のホスピタリティもいい。参加賞品、抽選のラッキー賞もいい。満足度の高い大会である。今回もまれにみる好天に恵まれ、素晴らしい夕やけの空が青い日本海に広がった。僕には、力を尽くした結果が残らず、何ともやりきれない、後味の悪い大会となってしまったが、それでもスタッフの方には最大限、配慮していただけたことには感謝している。

まあでも、人生、思わぬハプニングやアクシデントは多いもの。こうしたイレギュラーも試練のひとつ。また次、頑張ろう。

人あれこれ

Nさん
開会式前にNさんにお会いする。3月の津和野以来だが、全都道府県で1位になることを目標に、全国各地の大会に頻繁に出場されているから、遠方からの参加なのに珍しさもなくなってくる。今回は50代で惜しくも2位。このレース後は翌日の聖湖を走るために広島に向かわれた。元気な方である。
通訳者
Nさんが手話通訳を依頼してくれたおかげで、僕も今回はトラブルがあっただけに大いに助かった。何しろ、主催者に何かをたずねるのも、確認するのも自分一人では難しい。遠方のNさんとお会いした以上に驚いたのが、同じ県内の通訳者の方。久しぶりに再会を果たせたMさん。Mさんは全国でも数少ない厚生労働大臣認定の手話通訳「士」である。ここ豊北が地元の、中学教諭をされながらこうした活動もなされているヴァイタリティあふれる方である。地元だけに、大会主催者の用意する通訳者として「来年以降もやる」と約束してくれた。僕も大いに心強い。
クラスメート
会場到着後、プログラムを見ていると高校の同級生3人がエントリーしているのを見つける。昨年の萩もそうだったし、時々、大会に出ているみたいだ。会えるといいなと思っていたのだが、僕のレース後が忙しかったので会えずじまい。3人中、2人は40代としてエントリー。僕自身が、というより、かつてクラスメートだった友人が40才になったのだと思うと妙に現実的である。記憶にある面影は18歳のままなのに・・・。もし、このホームページを見ることがあったらメールか掲示板かでも連絡してもらえると嬉しい。
掲示板の
掲示板に投稿していただけるEさんとも初めてお会いする。エントリーしていることを知らなかっただけに驚いた。ランナーは練習やレースで頻繁に顔をあわせていても話をするきっかけというのはなかなかないものだが、ホームページのおかげでバリアを一気に蹴散らしてお話しすることができたのも不思議で面白い。
旧友
過去2年同様、翌日は八幡に眠る親友Yの墓参りへ。今年はちょうどレースの日が命日だっただけにいい報告をしたかったのだが、結果はともあれ、あれほどがんばることができたのも、きっと彼が力を送ってくれていたおかげと思って手を合わせた。

夕やけに染まる雲
夕やけに染まる雲


 

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