第16回十種ヶ峰登山マラソン

2006/08/27 嘉年小~十種ヶ峰山頂(標高989m)

夏休みの思い出

十種ヶ峰ゲレンデ
十種ヶ峰ゲレンデ

夏休みラストサンデーの恒例行事。

子どもの頃の夏休みの想い出というと、小学校時代はプールに通うだけで毎日が幸せであった。それともうひとつ、地区の子ども会で競う学校区のソフトボール大会。夏休み前から仲の良かった男子は練習していたが、夏休みにはいると、メンバーに加えないといけない女子を含めて地区総出で練習していた。ラジオ体操、プール、ソフトの練習、の平凡という言葉を知らずに幸せに明け暮れていた日々であった。

大会は市内の各学校区で決勝に進んだ上位2チームが市大会に出ることになる。高校野球の県予選のようなもので、当時の僕らには防府市スポーツセンターグランド(防府読売マラソン時、駐車場となる向かいのグランド)は甲子園に匹敵する聖地であった。何とか市大会に出たい一心で懸命に練習したが、小6の夏(=最後の夏)の大会も準決勝止まりで終わってしまった。これまた甲子園の夢やぶれた高校球児同様、悔しさと悲しさに涙を流し、しばらくは何も手につかないほどに真っ白に燃え尽きていたくらいである。

中学2年生までが2人、今風にいうとオーバーエイジ枠で出場できる仕組みになっていたが、中学生になると部活の方が忙しく、熱意はありながらも準々決勝止まりで、やはり市大会進出の夢は叶えられなかった。それが僕が中3の時、監督を任されると、あれよあれよと見事に優勝してしまった。選手としてより監督の方に才があった・・・訳ではないのだが。市大会は3回戦くらいで惜敗したように記憶しているけれど、僕も長い念願をかなえられて選手以上に嬉しかったのを覚えている。よく、高校野球の優勝監督が「選手達に幸せにしてもらった」と語るけれども、そのとおりの心境であった。

子ども会

ロッジ前、まだ手始めの坂
ロッジ前、まだ手始めの坂

防府市華城(はなぎ)小学校区の一番はずれ、小さな地区であったけれど、隣近所に同じくらいの年の子どもがたくさんいて遊び相手に困らなかった。僕が中学を卒業するとき、隣の小学校区に越したので、子ども会やその地区ともお別れとなった。僕の家も小さかったし、借家の人も多かったので、当時の人達もほとんど皆、その後に越してしまって末長いつきあいというわけにはゆかなかっけれど、それでも昔の良きコミュニティというか、当時は近所付き合い以上の濃さが親にも子どにもあって、「うちの子よその子地域の子」というが、ソフトボール大会での指導や応援や打ち上げや・・・は一例で、地域の大人の深く大きな愛情を感じて無心に遊びまくることのできた幼少年時代であった。

職場に「防日新聞」というローカル紙が届く。週2回だけの発行、わずか表裏2面の1枚紙で防府市のローカル記事に徹しているから、ほとんど読まれることもないと思うが、僕は地元出身で親しみがあるから割とよく目を通している。大会前日、読んだ記事に今年の市大会の結果が出ていた。見ると、母校・華城小校区代表の、まさに僕の所属した小鳩・ひまわり地区が市大会でV2を果たした、とある。

昔と今とでは時代も変わっているし、子どもを取り巻く環境や事情も大きく変わっている中、この大会は今も続いているんだ、と驚き、また、嬉しくなった。少子化で連合チームになっていることもうなずける。昔は“ひまわり"はライバルチームだった。“小鳩"地区である僕の家の前の小川一本隔てた向こう側なだけであるが、これは大人になっても何でも同じように、近い相手ほどライバル意識は激しく燃えるものである。ちなみに越した先の今の僕の実家は華浦(かほ)小区になるのだが、中学校では一緒になる同じ通学区ながら、これもお互いに「はなげ小」、「あほ小」と舌戦を繰り広げていた。この地域一帯は、華西、華陽と中学校名にもなる「華」という、本来なら素敵な漢字が、小学生には意味不明で難しかったせいもある。

記事に戻って、「指導に当たられた」と紹介されているのが僕の隣の家の方である。当時、まだ20代と一番若い大人だった分、子どもらにも親しまれていた。あれから30年近く経った今も、深い愛情で地区の子を見ておられるのだな、と感心させられた。

今は少子化もあるし、子ども会の活動も全国的に廃れているという。僕は子どもがいないからこのあたりの事情には疎いが、今の子は隣近所や子ども会で遊ぶ余裕などなく、野球、バレー、サッカー、陸上、水泳・・・と本格的に練習するスポーツ少年団もあれば、ピアノ、英語、合唱に受験対策の各種の塾・・・と、お稽古ごとの方に目の回るくらいに忙しそうである。子ども会のソフトボール大会どころではないだろう気もする。

それでもV2はすごい。当時と今とでは事情は大きく違っていようが、子どもの頃からあまりに専門種目に走りすぎる、隣近所のチームワークを発揮しにくい今の時代にあって、昔ながらのこの地区の良さを見せてもらったようで、余計に嬉しくなった。

ちなみに“小鳩"、“ひまわり"というのは地区名(地名)とは別に、子ども会活動だけの愛称である。これも全地区がそうなわけでなく、他の学校区も含めて、他地区は地区名がそのまま子ども会名になる方がほとんどで、それが普通である。子ども心にも「なんで小鳩?」と不思議に思っていたが、今、あらためて思うに、“小鳩"に“ひまわり"とは何とも可愛らしくていい。子どもらの健やかな成長を願う保護者の愛情や知恵が込められていたのだな、と感じさせてくれる。

こんな訳で、だいぶ遅れて知ったニュースだが、このニュースは昔懐かしい夏の想い出をよみがえらせてくれたと同時に、レース直前の僕を大いに力づけてくれたのである。

10年連続10回目で到達

レースの方。

今年は間違えずに10kmの部にエントリー。山奥の極めてローカルな大会ながら、今年は昨年より70名出場者が多くなっていた。ゴール後にふるまわれるソーメンには、これまで見たことのない長い行列ができたくらいに。空自防府の「航空学生」もすっかり定着したようで、「空猿」Tシャツがよかったね。青春している感じで羨ましい。高校生は行事でもあるのか、年によって出たり出なかったりがはっきりしているが、今年は一昨年の上位陣も含めてしっかり出てきた。

1kmの通過が2年前よりだいぶ遅く、やはり体調の悪さに気も沈みながら、先頭でしばらく引っ張る。6月のナイター陸上等、スピードでは相手にならないはずの高専生ら若い選手が前に出ないのが不思議だったが、ロッジに向かう最初の坂でようやく高専生2人に並ばれた。ロッジまで並走したこの3人は一昨年の4人からトップを除いた3人で、全く同じメンツ。今回は前回3位選手がロッジ前で抜け出し、その後を果敢に引っ張った。山中道に入る手前で3位が遅れ、2位の僕が1位を前方20~50mに見ながら追いかける展開となった。

2年前と違い、今年は登山道に入ってもなお差は縮まらず、彼も最後まで若さで押し通しそうな勢いであった。僕は「また2位か・・・」と3度目の2位を覚悟したが、残り300mで図らずもかわしてゴールできた。結果のタイム差は大きく開いているが、実情はこんなものである。結局、一昨年の2、3、4位が順に今回の1、2、3位となった。僕は3度目の正直を果たせたわけだが、最後まで1位を譲らなかった彼の方が力量は上である。前方に目標がなく、追いかけられる方が数倍、きつい。トップで気の張っていた分、最後に力尽きてしまったんだろう。

走り終えて
走り終えて

でも以前も書いたように、僕が10年目(10回目)でまだタイムを短縮できているように、このコースは経験が大きくカバーするレースである。もっとも、速い選手は初出場でも、コースを知っていなくても1位をとってしまう。才能、能力があるとはそういうことで、歴代優勝者のほとんどもそうである。5年前まで入賞も縁のない世界だった僕は、30才での初出場から10年目、30代最後の夏にして、やっと辿り着いた1位。「初土俵から十両昇進まで○○場所」という、相撲界で言うところのスロー出世である。凡人ついに山頂に立つ。

今年も猛暑の夏。山口市では熱中症で運ばれた人が例年の数倍、熱帯夜記録日数は観測史上最多となったとか。暑い暑い夏だっただけに、山頂の風の冷たい心地よさはひとしおであった。

  • スタート時気温(8:20)
  • 嘉年小 22C(標高389m)
  • 山頂 21C(標高989m)

大会結果 (あっとほ~むあとう)



 

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