第15回鱒渕マラソン

2006/10/29 鱒渕貯水池周回コース

一匹羊

好天の一日
好天の一日

一昨年は上位2人に3周付いていった。ペースを抑えて慎重に入った昨年は4周目まで、2、3人との多少の順位変動があった。今年は8kmで2位に立った時点でもう1位とは大きな差を付けられていた。後ろもなぜか付いてこず・・・。99%独りで練習している上、レースでも単独走とは──。

限りなく99.999・・・%になってゆくなあ、と思っていたら、3周回目、25km手前で5人の集団に一気に追い抜かれた。どこから現れたのか? と思うくらいに、音(・・・はきこえないとして)も気配もなくサーッと駆け抜けていった。皆、先週のシティマラソン福岡の優勝を含め上位を独占した俊足ランナー達。最初から「先週走った分、今日は随分、抑えているな・・・」と分かってはいたものの、彼らも満を持してペースを上げてきた。

1万m28分台等、レベルが違うだけに、この5人はさすがの素晴らしい走り。独りでつまらないことをぶつぶつ考えていた僕も、突如、目が覚めた。独走していった1位の後ろ姿も軽やかだったが、やはり、上位陣はフォームからして全然違う。常日頃、一匹で走っている僕も、この集団には群れたいと思った。

がんばって追いついて、数百メートル付いていった(無謀にも前にも出たりした)が、力の差はいかんともせず。今回、最後の4周回目は両足裏に血マメ、水マメができて失速する等、あらためて自分のフォームの未熟さに気付かされた。今、長い間、臀部痛に苦しんでいる上、アーチ、アキレス腱、腓骨シンスプリント、膝・・・と、右足に負担が集中しているのも走りの拙さとも全てつながっていよう。

結局、9割を一匹で走り通すことになった。10km、20kmレースの独走ならともかく、マラソンでの独り走(一匹走)はきつい。1位が落ちてきて、かろうじて6位入賞に入れたが、結果のタイムも練習できていない通り。今の練習量、コンディションなら・・・とも思えるが目標には程遠い。がんばらねば。

マラソンを走って考えること

2→3周回目へ
3周回目へ向かう羊

僕が一匹で走るのは、走ることは、きこえなくても、1人(一匹)でもできるから、というのが最大の理由である。練習でもレースでも、チームやクラブで集まって走るのが嫌い、というのではなく。レースで集まっても話ができない(難しい)、JOGペースでも走りながらの話は至難、というだけのことである。駅伝などのように、チーム競技になればなるほど、「チームだから楽しい」訳で、僕には逆のベクトルが働く。以前、多少なりともきこえていたころは駅伝しか走らなかった(ロードレースには全く興味がなかった)ように、きこえていたら、今、走っているかどうか、自信はない。

それから、あらためてマラソンを一本、走ると、この競技の苛酷さ、奥深さを骨の髄まで思い知らされる。走りながら、また、走り終えて感じることはとめどない。上位陣選手の速さ、すごさは恐ろしい。ハーフ部門も含めて、1週間前にハーフレースを走ったばかりで、その年齢で・・・という人ばかり。一体、どんな生活をしているのか? と思う。僕は走れる状態でなく棄権した先週のシティマラソン福岡は、非公認走路の大会では全国1、2の市民レースであろうし、上位陣が再びこの日(の非公認フルレース)に集まってくるように、福岡のランナーのレベルの高さはきっと全国1、2だろう。山口も人口比では高い方だと思うが、強いものが集まってさらに強くなってゆく。

もちろん、そんなランナーばかりでなく、速くはなくとも、周回遅れになりながらも最後までマラソンを走ろうとする大勢の出場者の姿勢に、僕も走りながら頭が下がる。感動させられる。ハーフまでの距離なら考えることも少ないが、ことフルマラソンを走ると「人は何故に走るのか?」という哲学的な思いにいやがでも直面する。

深く大きな問いであり、僕にとっては、「音のない世界で(SILENT WORLD)」の命題でもある。

なぜ走るのか

(C)ALL SPORTS

一匹がゆえに、レースに同行する、朝早くに出発して、夕方に帰宅の、行きも帰りも眠くなるスケジュールに付き合ってくれる妻にはいつも感謝している。通訳を介するおかげで、少しでも、人と話せることがある。

長いレース中、待ってもらうことになる妻には酷である。レース会場で応援にくる家族はたいてい、手持ちぶさたなもの。以前、寒い冬のレースの日など、応援に出ることもなく更衣室の体育館で持参した座布団と膝掛けで、ずっと編み物をしていたおばあさんもいた(おじいさんは2時間以上かけてハーフに出走)。妙にうなずける姿であった。

今回は本を貸してやった。「『これだけは、村上さんに言っておこう』と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶつける330の質問」(朝日新聞社)。いくらヒマでもレース会場で本格小説は読めないだろうから、と細切れで読むのにうってつけのもの。それでもやはり、全く読めなかったよう(すぐにランナーが途切れなく目の前を4周回するのだから)。

せめてもの罪滅ぼしは小倉伊勢丹で少しの時間、買い物。といっても僕は興味ないので自販機前の無料椅子に座って、結局、僕がこの本を読むことになる。村上春樹もマラソンが好きで僕も大いに影響を受けているのだが、「なぜ走るのか?」という質問はよく繰り返される。

質問34 なんでマラソンをするの?(15歳の中学生)

僕自身は僕がこうやって走っているのは、たぶん「自分と対話をしたいからだ」と思っています。「自分と対話する」というのは、口で言うほど簡単なことではありません。「ほんとうに」自分と対話するためには、じっと集中して、自分の中に入っていかなくてはなりません。そしてそのためにはある程度「辛いこと」もしなくちゃいけなのです。

でもそれにもかかわらず、走るというのはすごく「楽しい」ことでもあります。


質問96 マラソンは何故始めたのですか(東大3年)

小説家になって、ずっと机に向かって字を書くようになって、「これは運動不足だ。いかん」と思って運動を始めました。『羊をめぐる冒険』を書いていたころです。ただ僕は人づきあいがあまりよくないので、野球とかサッカーとかテニスとかゴルフとか他人と一緒にやるスポーツが苦手で、それで一人でどこでもいつでもできるランニングを始めたのです。

追記(2006-11-08)
指摘して気付かされたのですが、鱒淵ではなく、鱒渕でした(「ふち」の字違い)。過去3年分も含めて訂正しています。最初、「ます」の字を「わに」と読んでいたのに続けてのミスで、主催者はじめ、ダムの神様にも重ねて失礼していました。


 

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