第60回福岡国際マラソン選手権大会 9

2006/12/03 平和台陸上競技場発着

迷わず、前へ

Aグループが平和台競技場スタート、Bグループが大濠公園スタートのはずだが、実際には2年前の完走記でも記したように、Bグループの上位、一部選手は平和台スタートとなっている。例年、2時間30〜31分前後のエントリータイムが分かれ目になるようだ。

今回の僕は晴れて、というべきか、2年前から降格して大濠スタート。Bグループで平和台スタートの選手はどう思っているんだろう。僕は両方を経験できて思うが、招待選手らと同時にスタートできる平和台の何ともいえない独特の雰囲気を味わえることも光栄だけれど、大濠スタートも決して悪くない。不必要に緊張することのない市民レース感覚で、けれども、Aグループ選手らに負けずチャンスをつかみたい、と闘志を燃やしている挑戦者の集まり、という熱気が心地よい。

競技場の最後尾(牛後)でなく、大濠ならば先頭(鶏口)に立てるのも幸運で、最前列からスタート。飛び出したつもりはない。普段は飛び出したくとも半歩、タイミングを逸してしまうのに、なぜか先頭に躍り出てしまっていた。他にも俊足ランナーは多数いるのに、皆、慎重になっているのか。「まずいな、下がろうかな」「今ならまだ・・・」とも思ったが、これは4年前のシティマラソン福岡の時と同じだ。あのときも奇跡が起こった。

大濠公園スタート
Bグループ、大濠公園スタート
(朝日新聞速報号外)

マラソンで集団に付くのは当然のセオリー。小学生のガキではあるまいし、飛び出して誉められることは何もない。前半ははやる気持ちを抑えて耐えること。後半に存分に追い抜いてゆけばいい。それが鉄則。周りは「最初はこいつに行かせとけ」とでも都合良く思っていたかもしれない。

でも、このときの僕は「ならば、このまま行ってやろう」と思った。このあたりは我ながら、どこまでいってもマラソンには不向きな性格である。でもかっこいいことをいわせてもらえれば、青いことをいわせてもらえれば、男気のある走りがしたかった。出てしまった以上、今更、後ろにもぐりこむようなことはしたくなかった。300mでそう決意した。

ここに限ったことでないが、自分のリズムを崩したくはなかったから、集団(──には、一度も付けなかった、集団、というより誰か個人の選手)についてゆくことはあっても、ペースを落としてまで他の選手に合わせることはなかった。追いついたら、迷わず前へ出た。

ロケットスタートで有名な長島さんが前方数十m先を終始、突っ走られたが、結局、明治通りに出る手前、満を持して3、4人が一気に僕を追い抜いてゆくまで、公園一周2kmを引っ張る形となった。

一匹走、くじけずに

明治通りで平和台スタート組と合流。このとき、後方を見なかったのは冷静さに欠けていたかもしれない。実力的にも、平和台スタート組の後方集団についてゆくのが一番、正しいはずだったのに、前方十数m先に見える集団を、何も考えずに追っていた。俊足ランナーらは簡単に追いつくが、僕にはそこまで一気に上げられる脚力がない。スピードの上げ下げに対応できる力がない。この時点で周囲の選手らと集団で並走することも、後ろに飲み込まれることも全く考えられず、何とか前方の集団につかなくては、と気ばかり焦っていた。

5kmの通過が手元の時計で16分59秒(発表は17分02秒)。早くも余計な力を使ってしまっている感じで、速いことは分かっていた。けれども緩めるつもりもなかった。

前半十数キロ、大学時代、暮らしていた福岡でも、今回のコース中、西新を通過した先は、あまり縁のなかったところで、見知らぬ街を通り抜ける感じだ。10km手前で数人、前方の集団から落ちてくるが、彼らに並走する力はないようで、すぐに追い抜く。都市高速の高架下は、2年前、風の非常に強かったことを思い出す。

相変わらず、前方の集団との差は詰められない。むしろ差は徐々に、はっきりと開いてゆく。13km、沿道のショーウィンドウに写る横姿をちらりと見る。1人で走っていることはもちろん、承知していたが、きっと集団がすぐ後ろにいるはずだ、とずっと思っていた。ところが、ほんのちょっとだけ振り返るでもなく視線を落としてみても、ウィンドウに写る様子を見ても、誰もいないことを知る。沿道の応援の視線でもそれは分かった。地元でもない僕に応援はなく、視線は皆、後方を向いている。

このとき初めて気付く。「前方の集団はAグループ入りを狙うランナーの集団で、サブ30狙いの集団は後ろなのだ」と――。

「あっ」と気付いたのが遅過ぎる。2年前の防府も昨年の防府も、別大、日本海も、前半はいい集団に付けながら、途中から遅れた。今回は何としてでも最後まで付いて行こうと決めていた。作戦なんて何もない、ただ集団に付いてゆくことしか考えていなかった。それなのに既に三分の一近くの距離を走って、自分が集団から全く外れていることを気付かされた瞬間。まるで予想しなかった、考えられなかった展開。

やっぱり1人。どこまでも一人・・・。今シーズンは特に、誰かと一緒に走るとか、仲間と練習するということが一度もなく、一匹走を意識させられていたが、レースの日まで、最後の最後までとは・・・。孤高を貫いているつもりはないが、求めて仲間に加わろうとしなかった天罰かと思った。泣きたくなった。

けれども逆に、すぐに気持ちを切り替えることもできた。普段がそうなのだから、慌てることはない。むしろ、集団から遅れても、一人で走ることは、きっと他の誰よりも慣れているはずだ、と。

2週間前の東京国際女子マラソンの土佐の姿にも大いに力づけられていた。土佐は、第一人者Qちゃんにひるまず、終始、先頭を走り続けた。時にはペースメーカーさえ追い抜いて、一度も後ろを振り返らず、前だけを見て走った。昨日もらった参加賞の過去の大会資料の中にも、大会4連覇を果たしたフランク・ショーターは、スタート後、トラックで先頭に立ってからそのまま1位を譲ることなくゴールしたと書かれてあった。20年前、僕も沿道で応援した、あの歴史に残る氷雨の中の中山の激走もそうだった。

ひるむ必要はない。周囲の選手を気にせず、一人で行けばいい。自分の思うように走ればいい。

14km、早良区から城南区を示す標識が現れて別府になる頃からなじみのある風景が広がってゆく。別府大橋手前でナンバーカード2桁の、Aグループランナーに追い抜かれる。随分、若いようだ(27歳だった)。一人でも仲間が現れて嬉しくなる。この後、しばらく抜きつ抜かれつの並走となった。

六本松を過ぎ、けやき通りに入る。野球部の時に利用していたライオンズショップ。店主は防府出身の方だった。平和台も取り壊されて、今ではもうとっくにないだろうな・・・。もちろん、横を見る余裕はないし、思い出に浸っている場合でもない。コース中、一番の都心部で、風が全くないでいた。片道二車線の、その名の通り、けやきが道路をすっぽりと覆うトンネルのようで、沿道の応援が届かない僕には、風も音もない静寂の中を突き切っていく感じであった。

2年前を越えて

相変わらずペースは速く、それが幸いして、もうそれ以上に余計なことを考えず、走りに集中できていた。2年前と比べてもペースは速い。ただ、今回は余裕を感じられている。

20km手前から中間点、2年前はもう既にいっぱいの状態であった。実は2年前は、2週後の防府を本命と見据え、最初から途中棄権のつもりで臨んだものであった。ハーフレースのつもりで、序盤から飛ばした。それでも走りはふるわなかった。これは後になって振り返ってみて、初めて気付けることだが、福岡の2週前から調子は下降曲線を描いていた。福岡での走りが追い打ちをかけた。本命のはずの防府で、速いはずでもないペースについてゆけずに最後はボロボロになった。

当時、渦中にいる本人は平気でいたつもりでも、客観的に助言できるコーチがいたなら、体調の悪化を見抜れていただろう。デフリンピックは勝負にならなかった。地に足のつかない走りで、雲の上を彷徨っているようだった。帰国後、もうサブ30を狙うどころではないコンディションなのに、なお諦めがつかず、2月の別大をパスした悔しさから3月の日本海に挑んだ。案の定の途中棄権は、今に続く、坐骨神経痛を決定的にしてしまう弊害しかもたらさなかった。

そうした、はっきりと体調を崩していた2年前に比べれば、今回の調子の良さが際立つ。悪いときを経験しておいたから、今回は全てをいいように捉えられる。ただ問題は、この先、2年前に経験できなかった24km以降である。

中間点を過ぎた22km前後だったろうか、3人のランナーに追いつかれる。一人は昨年の別大で知っていた選手。一人はナンバーカードが500番台の、おそらくハーフの資格で出場してきたろう選手。もう一人は忍池と背中にも有名なクラブチームの入っている選手。3人は容赦なく僕を追い抜いてゆく。ついに僕のペースが落ちかけたのかと観念した。ちょうど博多駅前から北風の強い大博通りに向かう手前の箇所で、今回、一番、苦しいところだった。

2年前、途中棄権した24km過ぎが迫る。なぜに24kmだったかというと、ちょうど地下鉄呉服町駅の入口で、収容バスに乗らず、そのまま平和台に戻ることができたからである。応援の妻と前もって示し合わせていた。手前の祇園駅でもよかったし、もっというと、そのまま山口に帰れる博多駅前でもよかった。ただ、24kmで棄権したから、そこに妻が居合わせたからこそ、思いがけない応援を知ることのできた幸運があったことは完走記に記したとおりである。

けれどもこの時の途中棄権は、僕のランニング人生でも初めての棄権であり、何とも後味の悪いものを残した。最初から計画的な棄権の、完走が全てではない、といいきかせての、そう分かっていても、心のもやはぬぐえなかった。もうこんな気持ちは味わいたくないと思った。

その2年前を越えないといけない。ここで遅れる訳にはゆかない。練習の時から24km以降のイメージを強く持った。2年前に経験できなかったこと。今年はここからが勝負。



 

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