第60回福岡国際マラソン選手権大会 8

2006/12/03 平和台陸上競技場発着

目標は公言してこそ

坂口監督と
中国電力・坂口監督と

2年位前から、それまでと違って、僕もはっきりとサブ30を公言するようになった。誰が見てくれているか分からないホームページの随所で「30分」の目標に触れるようになった。

レース1週前に、その決意を繰り返して固めたのが、第1回の「あと42.195km」であった。自信があったわけでは決してない。どこまでも可能性は小さいと思っていた、仮に数字を持ち出すなら5%くらいと思っていたが、たとえ今回またダメでも、目標に立ち向かっていったんだ、という自分を残しておきたかった。

数年前から目指していることは、一部の、親交のあるランナーなら知ってくれていたと思う。目指していることは明らかだったと思う。それでも、どちらかというと僕は、心に秘めるというか、やる前から大言はしない方だ。軽々しく言うことはあまりなかった。でも、よくいわれるように、目標や夢は公言した方がいい。口に出した方がいい。表に出せば、人が協力してくれる。応援してくれる。力を貸してくれる。

加えて、公言することで、自分の中でもそこから回転し始める何か、というのが絶対にある。果たせなかったとき、みっともないから、惨めになるから、それを避けたいがために目標を控えめにしておくのも手段ではあるが、あえてそのリスクを背負うことでこそ生まれてくる力の方が大きい。

ことばが応援を呼び、力に

この日の夜の「行列のできる法律相談所」にゲスト出演した新庄もそう。春先に自らの引退と優勝を宣言。正直、優勝の方は、また、大風呂敷のパフォーマンスに過ぎないと誰の目にも映ったろう。番組の中でも、本当に優勝すると思っていたか、と問われ、新庄自身が「全然」とこたえていた。「(あの)日ハムですよ」と。

それがまさかのシーズン終盤の猛追撃。そしてリーグ制覇&日本一。日本中が歓喜した。僕もにわか日ハムファンとして快哉を叫んだ。新庄が公言したから、チームメイトが、北海道のファンが、日本中のファンが後押しし、そして新庄自身にも力が乗り移った。ここでも、ことばに力のあることが証明された。

言葉にするから、自分でも明確に取り組めるようになるし、周囲からの協力やアドバイスももらえるようになる。知った人から激励を受けるのみにとどまらず、ホームページやブログを持つ人、また、コメントや掲示板に加わっている人は実感していると思うけれど、見知らぬ者同士が力を与え合っている、受け合っている。

見知らぬ誰かが読んでくれている。応援のコメントを寄せてくれる。掲示板に書き込んでくれる。「炎上」とやらというように、中には悪意の人や心ない人もいるかもしれないが、ゲブレセラシエのいうように、そんなのは黒板消しで消してしまえばいい。僕も、他人のブログやホームページを見て、意気込みの伝わってくるランナーを応援しているように、直接のコメントがなくても、陰で応援してくれている人はきっと多い。

僕のこの完走記はレース後に記す方法がほとんどであるけれど、今回、一週前に思いを述べたように、ブロガーが常にそうであるように、レースに臨む前の目標、そのときの心境を書き残しておくのも非常に有用だ。plan(目標)─do(実践)─ see(反省)が活かせるように。過去のストックを整理しやすいのがホームページなら、より現在進行形の良さを活かせるのがブログ。ホームページとブログのあり方について、その融合について、僕も以前から考え続けていたが、その思いが今また強くなった。

まあ、これは来年の目標として(──と、ここで静かに公言)。

活きた昨年の防府の経験

それから、前回、スタート前にリラックスできていたことを記したが、いうまでもなく昨年の防府を経験しておいたことが大きかった。

振り返ってみてサブ30を達成できた要因は色々あると思えるうちでも、練習内容や技術的なこと以上に、レースに臨む気持ち、立ち向かう姿勢として、昨年の防府の経験も大きかったように思う。あの経験が生きた。活かされた。

練習量、質でいえば、今年以上に力を注いだのが昨年の防府(続けて年明けの別大、日本海)であっただけに、いずれも悪コンディションに見舞われる不運等もあって、結果を出せなかったことへの落胆が大きかった。

防府では、二十数年ぶりの大寒波による前夜からのまさかの積雪に、気持ちは揺れに揺れた。当日、なお強風の吹きすさぶ中、スタートを前にして自分の弱い部分が一気に出た。「この日のために練習してきて・・・」と恨めしい気持ちになった。けれども、走りながらその気持ちは変化していった。一斉同時に走っている他のランナーの無言の姿を思うと、自らの甘えた姿勢を省みざるを得なかった。学べたものは大きかった。スタート前に挫けていた、折れていた心が走りながら次第に甦ってゆくのが自分で分かった。

完走記に記したように、走りながら実に多くの思いが頭をよぎった、これまでにないレースであった。おかげで、記録の夢が早い段階でついえても、最後まで力を尽くして走りきることができた。記録は望むものに遠く及ばなかったが、逃げなかったことに、立ち向かえたことに不思議な満足感があった。心に残る大きなものがあった。その後の自信となって支えてくれた。


 

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