第60回福岡国際マラソン選手権大会 5

2006/12/03 平和台陸上競技場発着

マラソン史の棚卸し

マッターホルンに挑んで命を落としたアルピニストほどではないが、目標のサブ30は僕には高い壁であった。何度も跳ね返され続けた険しい山。自分のマラソン史を、ここでいったん、棚卸しするいい機会と思い、ここ数年の経過をあらためて振り返ってみると──

第1期:登録前〜趣味の延長で

1997岡の里(29歳)
2:51:28
30歳を目前にした20歳代最後の記念に初マラソン。
1998篠山(30歳)
4:26:46
重度の貧血、仕事、活動その他・・・精神的にも落ち込むことの多かった頃。
2000篠山(32歳)
2:56:36
3時間を切れば防府への出場資格があることになお気付かず、4年を要した。

第2期:登録後〜最初は記録も伸びるもの

2000玉造(33歳)
3:18:07
この年、初めて陸連登録も、それなりに走れるつもりでいた自信が木っ端微塵に打ち砕かれた耐暑レース。
2000防府
2:40:48 (ベストを10分40秒更新)
郷里のレースに初出場。このときの感激は、自分のマラソン挑戦の原点といえるもので今後も忘れたくないもの。
2001別大
2:43:35
当時、「別大=2時間40分資格」を知らずにいたが、この年、第50回記念大会で枠が広がっての初出場。防府と違う応援の多さに感激。
2001ボストン
3:00:24
海外初レース。感動の詰まったツアーだったが、走りは散々。
2001防府(34歳)
2:37:45 (ベストを2分57秒更新)
前年のろうあ者体育大会で、デフリンピックイタリア大会代表のMさんに出会う。お互い、マラソンの好きな同障ランナーに知り合えた、初めての仲間を持てた喜びに感激する。「別大で会おう」の約束を果たしたくて40分を突破。
2002別大
2:39:47
Mさんは自己ベストを更新したが、僕は前週の駅伝、峠越え区間のダメージが大きく、脚を引きずってゴール。それでもMさんの好記録と、ずっとゴールで待ってくれていた気持ちが嬉しかった。
2002防府(35歳)
DNS
5千、1万、ハーフでベストを連発。魔が乗り移ったごとく飛躍したシーズン前半も、気が付くと重度の貧血に。
2003別大
2:31:30 (ベストを6分15秒更新)
防府棄権の無念さを爆発させて、後半、怒濤のスパート。前後半差マイナス3分14秒のネガティブラップでベスト更新。ろうあ者記録に並んだ(タイ記録)ことも帰宅後に知る。

第3期〜抜け出せない泥沼のスパイラル

マラソンは最初の内は記録も順調に伸びるもの。ところが、ここから長い足踏みの時間が始まる。

僕の場合、特に2003年別大で、自己ベストを一気に6分15秒も更新してしまった。段階を経ずに頂点に達してしまった感がある。ここからが本当の苦しみの始まりでもあった。

2003防府(36歳)
2:35:29
持ち記録が県勢上位ということで、読売新聞に事前取材を受ける。その頃、また既に貧血が進行していて欠場のつもりだったが、取材をきっかけに、欠場を翻意して強行出場。
2004別大
2:33:59
言い訳のできた防府と違い、体調を整えて臨んだが記録に遠く届かず。セカンドベストにも素直に喜べず。
2004鱒渕(37歳)
2:34:18
夕やけマラソンがきっかけで、40歳超でなおサブ30を維持されているEさんよりメールを受けるようになり、感激する。非公認レースだが、30kmまでをレースペースのつもりで。アドバイスどおりに達成できて「行けるよ」と自信を持たせてもらったが。
2004福岡
25km途中棄権
2週後の防府を本命と見据えて、予定通りに棄権。ただ、体調も走りもよくない。後で振り返ってみて初めて分かることだが、福岡前から調子がはっきりと下降曲線にあった。
2004防府
2:37:11
本命レースのつもりが、15km過ぎで集団に遅れ、30km以降、まさかの大撃沈。練習が必ずしも結果に結び付かない泥沼にはまりこんだ感じ。
2005デフリンピック
2:57:13
もう、はっきりと体調は最悪ながら、自分一人のレースでない大舞台に棄権は考えられず、最初からまるで浮遊病者の走り。
2005別大
DNS
貧血だけでなく、既に、防府前から坐骨神経痛の兆候は出ていたことに後で気付く
2005日本海
21km途中棄権
どこまでも体調は底のまま。無理を押しての出走で坐骨神経痛を決定的にするが、気付くのになお2ヶ月を要した。出向でやって来ていたU君の送別会で、サブ30を達成するまでは「死んでも死にきれない」と言ったものの、この時が一番の底であった。
2005鱒渕(38歳)
2:36:38
坐骨神経痛でシーズン前半を棒に振った中では、とりあえず完走できたこと、スタートラインに再び立てたことをよしとする。
2005防府
2:33:37
この年は福岡のエントリーを見送り、防府一本の気力充分で迎えたつもりが、二十年来の大寒波で、前夜からまさかの積雪と厳寒、強風に見舞われる。今年こそ、の思いが強かっただけに、スタート前から気持ちが挫けた。セカンドベストを22秒更新したが、荒天を嘆き、恨み、自分には実力も運もないとへこんだ。
2006別大
2:39:11
防府は天気に恵まれなかっただけ、と執念を燃やし防府以上の練習を積んで臨んだものの、腹痛で無念のトイレアウト。抜け出せない泥沼のスパイラルに苦しむ。
2006日本海
2:36:48
「リベンジはシーズン中に果たせ」〜Eさんのアドバイス通り、自分でもなお執念を持ち続けた心は称えられるが、またしても強風の悪コンディション。これだけ努力してきても「何故だ? 何故だ? 天は何を見ているのだ」と悲願なお遠いまま、シーズンを終えてしまう。Eさんはじめ、周囲の協力にこたえられない自分がみじめで悔しくてたまらなかった。
2006鱒渕(39歳)
2:34:05
昨年もがいた分、今シーズンは気持ちが楽になっていた。肩の力を抜いてレースに臨めるようになった。ただ、本命レースでサブ30を目指すには、せめてここで31分台〜最低でも32分台を出しておきたかった。目標実現にはまだ壁の高いことを自覚せざるを得なかった。

長かったトンネルの中

35歳で自己ベストを出してから、この4年間で、実に12本のレースに挑み、ことごとくサブ30の壁に跳ね返され続けた。ホームページ中の過去の完走記を時々、僕も読み返している、今回また読み返してみたのだが、特にここ数年は、悔しさ、無念さ、ふがいなさがにじみ出ているのがよく分かる。そいうことを書き残しておいたのもよかったなと今では思っている。

12本のレース中、完走した10本の記録をタイム別に見ると、33分台と34分台が各2本、35、36、37分台も各1、2本となっている。俗に、「セカンドベストが真の実力」というように、32分台はおろか、31分台も最初で最後であっただけに、悔しいけれど、2本揃えた33分台が自分の本当の実力であろうと、自分でも認めざるを得なかった。

昨年の55回記念大会に続け、今度(来年)の別大も出場資格が2時間50分に広げられたが、これまでの資格は2時間40分。市民ランナーが努力すれば、ここまでは手の届く域である。ここから先の、昨年までの東京国際、びわ湖の2時間30分、さらに以前の福岡国際の2時間27分(26分)は難しくても、別大の2時間40分は、非常に現実的に目標にできる大会であった。

それでも僕は、このまま別大ランナーで終わりたくない気持ちが強かった。2時間30分台の記録で別大に出場できるだけでも充分に光栄で、誇りを持てることである。努力し続ければ40代の間中、維持できるだろうし、また、頑張れば50代でも踏みとどまれるかもしれない。それも非常に素晴らしく立派である。けれども、31分が出た以上、一度でいいから、あと1分30秒の向こう岸まで飛び越えてみたかった。川の向こうの景色を見てみたかった。


 

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