第60回福岡国際マラソン選手権大会 10

2006/12/03 平和台陸上競技場発着

いよいよ後半

3人に追いつかれる前、唯一、並走していた若い彼の姿がいつの間にか見えなくなっていた。僕も3人に少し遅れかけながら、何とか大博通りをしのぎ、千鳥橋を曲がる。いよいよ勝負所の3号線へ。

前方の集団もついにばらけたようで、落ちてくる選手との距離が縮まってくる。ここから折り返しまでが最後の北風だろうと身構えていたが、僕も大博通りを持ちこたえられた分、また力が湧いてきた。臆せず3人の前に出る。3人は僕を風よけにして後ろにつく。試しに横にずれてみる。当然、後ろも横に振れる。今までの僕ならいい気はしなかったが、とにかく、今回のレースは「今までの自分を超えない限り、絶対に新しい自分には出会えない」。

この時以降、後ろに誰がどれだけ付いてこようと、全く気にせずに進んだ。後ろにも周囲にも意識を振り向けなかった。前だけを見て一人一人、追い抜いていった。ゴールして翌日に結果を知るまで、3人がいつの間に後退したのかも分からなかった。

名島橋手前で折り返したトップグループとすれ違う。桁外れのスピードと異常なオーラ。選手の走るそこだけ、醸し出されている独特の雰囲気。テレビで観戦では絶対に味わえないものだ。まさに国際マラソンなのだと思う瞬間。そして、自分もそのレースに参加している誇り。

苦しいときこそ

橋の途中で見た藤田選手は苦しそうな表情だ。僕もふと思う──。確か、松宮選手を紹介する新聞記事の中でコニカミノルタの監督が語っていた。女子に比べて男子マラソンに人気がないのは笑顔がないせい。苦しくても失敗レースでも笑顔でゴールするQちゃんを見習え、と。応援をもらえるような人間性を身につけなければダメだ、と。もちろん、トップグループ選手の苦しさは僕らのそれとは比べものにならない、人間の肉体的限界を超えたところで闘っている最中に笑顔は難しいかもしれない、藤田選手にも頑張って欲しいなと思った。

それから、これは帰宅後に録画で見てのことだが、藤田選手は20kmの給水で一瞬、先頭に出ている。スペシャルをつかみやすいようにとの意思だと思うが、その際、テーブルの他のスペシャルをなぎ倒すようにして自身のものだけをつかんだ。あおりで他の5〜6個がテーブルからこぼれ落ちた。あれはいただけないのでないか。確かにあの集団には、藤田選手と同じテーブルの(=ナンバーカード下一桁が同じ)選手は居なかったから、係員が再び拾い上げれば、遅れて来る選手には間に合うのかもしれない。意図的に倒したのではなくても、先に通過する方が有利で、勝負とはそういうものかもしれない。

僕のレベルでさえ、給水に手間取る1秒2秒は惜しいと思うからそれは分からないでもないが、僕に批判できる筋合いはないが、他の選手のスペシャルが落ちても何ら顔色を変えないようでは、テレビで見ている藤田ファンもちょっとがっかりではないか。せっかくの藤田選手への応援もそがれてしまう。金哲彦さんが自身のブログで「藤田は途中の給水で無駄な動きをしてしまった」と述べているのは、暗にそのことをも指摘されているのではないかという気がする。

先に記した増田氏の文中にも、「ゲブレセラシエは常に笑顔を絶やさない」とある。今回、日本初レースでも期待通りに強さを見せつけて優勝した彼は、ゴールは必ず笑顔だ。メディアに写る表情や瞳はやさしい。僕ら市民ランナーも目指すべき姿勢だ。

カウントダウン

香椎折返し
千早折返し(山村選手、松井選手)
(朝日新聞社提供)

折り返してやってくる選手には、徐々に知った市民ランナーが増えてくる。香椎一中前、元ダイエー前で僕も折り返し。ここで初めて、後続にどんな選手がいて、どういった集団になっているのかを知る。ここでも不必要に選手には注意を向けず、前だけを見続けたが、やはり、同じ陸上部チームの蛍光イエローの仲間4人だけはイヤでも目に飛び込んできた。

勝負服はイエロー。このユニフォームに袖を通すのは6月のナイター陸上以来。そう、5千mで2年ぶりの自己ベストを出して以来。意図したわけではないが、あの時から、この日のために運を逃さぬよう取っておいた──と、全てをいい方向で考えるようにした。4人とはお互い、皆、軽く手で合図する。みんなもまだ余裕があるようだった。同じウェアの仲間には、やはり、感じるところがあった。

折り返してからは一流の実業団選手も失速してくる。途中棄権したランナーも、失速しながら最後まで走り通すことを決めたランナーも、失意にひしがれているその胸中は僕も何度も経験して分かっているだけに、複雑な気持ちで追い抜いてゆく。

2年前、棄権して経験できなかった3号線は、思ったより短い時間だった。知り尽くしている道路だけに、数百メートル単位で先に開けてくる光景が分かっていたのは利点だった。

前半の積極的なペースが功を奏して、30kmをこれまでの最速タイムで通過したことを確認した頃から、「このまま行けるのか」「半端でない潰れ方になるのではないか」という恐怖心と同時に、けれども、サブ30の達成も一気に現実的になってくる。次の35kmでは、5kmのラップタイムを押していながら、5kmとしてのタイムにはなぜか気付かなかった。ただ、もう残り7.2kmを何分で走ればいいのかという逆算の思考に入っていた。35km区間もまだ17分台を維持できていたことを知って驚いたのはレース後のことである。

37km。再び千鳥橋を折れると、前の走者が跳ね上がるように大きく身体をくねらせた。ものすごい痙攣のようだった。僕もこの日は中間点前から既に大腿部がぴくついていた。痙攣しかけていた。何とかゴールまで持ってほしいと念じていた。でもここまで来て、この脚の感覚なら、立ち止まらなければ、もう大丈夫という思いが支えてくれるようになった。

カウントダウンが始まる。1kmを今、何分で走っているかではなく、2時間30分まで「残り何分の猶予があるか」だけを考えていた。1kmごとに強い確信に変わっていった。


 

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