第25回日本海マラソン

2006/03/19 布施陸上競技場発着

シーズンラストラン

用瀬駅
流し雛で有名、用瀬

2005(H17)年度シーズン、そして僕の38歳シーズンの締めくくりレース。

昨年、既に体調を大きく崩していたところに強行出場して、当然ながらの途中棄権となった。おまけにこの時、それが坐骨神経痛という症状であるのに1ヶ月後に気付くことになる、左臀部に疼痛を感じて決定的なダメージを負うことになってしまった。非常に苦い思いを残したレースである。2晩飲み歩き、水木ロード、鬼太郎列車も大いに愉しんだ鳥取旅行そのものは楽しめたのだが、その後、ここから走るに走れないつらい日々の始まった、この大会出場が忌まわしき発火点だったと思い返すにつれ、「もう二度と鳥取に行くことはないだろう」と思っていたのだが、一年もせずに翻意となった。

別大での走りがあまりにふがいなかったからである。リベンジ、そして今度こそ、という思いは強いのだが、コース面でも、出場選手のレベル面でも記録は正直、厳しい。完走できていればまだしも、最後まで走りきれず、肝心のコース後半も未知という不安も大きい。このトラウマの残るレースをあえて選びたくもなかったが、もう「他にない」のであるから。

彼岸入り、春の嵐

スペシャルドリンク
特価79円(税込)スペシャルドリンク
もちろんラッキーカラーはイエロー

前日18日は彼岸入り。SLやまぐち号も運行開始。このところ20度近くまで気温の上がる暖かい日も続いていたが、この日は寒波がぶり返していい具合に冷え込んでくれた。ただ、強風のおまけ付き。全国的にも「春の嵐」とニュースになったようだが、山陰地方も雪をもたらす北風が海から吹き付けてきた。それでも昨年末の防府で最悪を経験していたから、スタート前に動じることがなくなったのは少し、成長できた。

スタート後、最初の坂の15kmまでが追い風。抑えたつもりでも5kmは早い通過。けれども、次の10kmですぐにタイム、順位ともに落ちてしまうのが今の僕の実力のよう。あっという間に視界から消えたトップグループは相当に速いペースのようであった。序盤の強い追い風では、それが正しい走り方なのだろうと思いつつ、僕は乗るに乗れない。

マラソンの難しさ、また面白さは、このペース配分をどう見極めるか、自分のその日の体調、脚力、また周囲の集団のペースに応じて長い闘いを続けるところにあると思うのだが、この日の僕は、前半、自重したわけでもないのに集団に追いつけず、一向に調子が上がらない。15、20km・・・、そろそろ前に追いつきたいはずが、逆に離されてゆく。20km手前、「覚悟していた」強烈な向かい風を受けるコースに折れたところで、後続にも次々と追い抜かれてしまう。力を出し切れないもどかしさに苦しみつつ、20~25km過ぎまでで、レースを走りきる力のほとんどを使い果たしてしまったくらいの強風だった(おそらく他の多くのランナーもそうだったろう)。

昨年、完走できなかった身でいうのも不遜だが、この大会、それほど実力の拮抗するランナーが集まっているわけではない。上位選手のタイム差は大きい。そのはずが、30kmまででもさらに数人に追い抜かれてしまう。「こんなに簡単に抜かれてしまうものか」と客観的に自分の力を見ていたつもりが、どうやらそれが、奢り、思い上がりの過大な見積もりのようであることを思い知らされた。

難しかったレース運び

スペシャルの力でここから
スペシャルの力でここから

それでも、結果的には30km以降、何とか盛り返せて順位だけは上げることができた。それまでに抜かれた選手を全員、追い抜き返して、さらに落ちてきた上位選手をかわしていった。もうとうにタイムはあきらめていたが、昨年、棄権したみじめな思いを払拭したかったのと、このままゆけばもしかすると10位入賞に引っかかるかもしれないことを、せめて完走の“エサ"にしたつもりであった。ゴールして1部3位と知らされたときは仰天した。素直に喜んだが、やはりそれも上位陣が崩れたからである。

常々、思うように、「順位は時の運」。確かに過去の上位入賞者、僕とは力的に1つ、2つ格上の選手が崩れた中で、よく頑張ったとは思う。30kmまでの早い時期で20分30秒/5kmもの大幅なペースダウンを経験したのも初めてなら、そこから35、40kmまでで、再び各2分近く押し戻せたことも初めてのことである(きっと最初で最後だろう)。後半、余力を残すつもりもなく、最も北風のこたえた25km通過では、ゴールタイムが40分台になることを覚悟した中では、不思議に終盤、持ちこたえてくれた。昨年、置かなかった(置けることを知らずにいた)スペシャルを用意できたのが効いたかもしれない。防府で置けなくなり、別大も欠場、そして今年は記念大会で置けなかったから、スペシャルをつくったのも久しぶりのことだった。

優勝者以外のトップグループが全滅に近い形で崩れ、タイムを落とした強風下のコンディション、レース運びの難しかった中では健闘したといえそうである。ただやはり、「結果としての」タイムは平凡である。この世界、外的コンディションの云々以上に、タイムが全て、のところが大きいから、結果だけを見れば「この年は、余程、レベルが低かったんだな」の一言で片付けられそうである。反論もできない。昨年の棄権があった分、終盤の意地がきいた3位入賞は嬉しかったけれど、今の僕にはどこまでも不本意なタイムである。

それにしても、の強風。どうして、これほど今シーズンは荒れるのか。今回、鳥取迄の行きがけの車中、読書用に持参したのは中島敦。『山月記』、『李陵』同様に名作の誉れ高い『弟子』を読んだのだが、孔子門下一の純粋な勇士、子路が「何故だ? 何故だ? 天は何を見ているのだ」と嘆いたように、どうして報われないのかと、僕も走りながら天を恨みたくなった。

「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」という。マラソンを走ろうとするランナーは、誰もがそれだけで自らを艱難に追い込む人種であるが、それにしても、あんまりと思えた。もちろん、どんな条件下でも結果を残す選手も多い。まだまだ僕は根性が足りない。

悲願遠く

話は変わって県庁陸上部から今年は、山家、綿谷、那須と合わせて4名がエントリーしたのだが、先週の実業団ハーフ、そして今回は4名がこのレースを終えて、陸上部員もシーズンの終わりをかみしめている。皆、それぞれにシーズンを総括し、来期に向けて気持ちを切り替えようとし始めている。

最近、目の前の松井君と色々話せるようになって分かるのだが、昨年以上に今は、皆が、早くも「次」を目指して燃えている。みんな、各人なりに自信を持ってきている、積極的に「上」を目指しているのが僕にも強く伝わってくる(皆の思いも同様だろう)。今は皆が団子状態、ドングリ状態だけに、チーム内の競争がお互いのこれ以上ない刺激になっている。

2部入賞者
2部入賞者・表彰式

この日も那須君が2部(・・・まあ、1部2部の区分の意味は全くないと思うのだが・・・)で、昨年の自己ベストをさらに大きく更新した上、見事に4位入賞。おめでとう! 彼のこの結果が、さらにまた部員の胸中に大きな火を灯すはずである。

一方、僕は、みんながいうほど簡単には、自分に「次」があると思っていない。マラソンに限っては、弘山同様、「これで最後」と奮い立たせないと気持ちがついてこない(でも弘山のようには結果を出せず・・・)。肉体的にも「次」をこなせる確証は全くない。それでも、「次」があるなら、まだ頑張りたい。

昨年のように3連休とはいかなかったから、レース後はすぐに帰路につく。滅多に来れない鳥取、昨年同様、応援メッセージを寄せてくれた、大会翌日の新聞も送ってくれた(ありがとう!)N君と飲みたかったが。また、米子~境港間をこの日から運行開始した、今度はねずみ男列車にも是非、乗ってみたかったのだが、それもかなわず。

日本海に沈む夕日
日本海に沈む夕日

日本海を眺める列車に揺られていると、途中、ちらほらと雪も舞ってきた。春分前、なおの名残雪、今度こその終雪か。彼岸後はいよいよ待望の春──。でも我が悲願はなお遠い。明日からは39歳シーズンである。


第25回日本海マラソン (日本海新聞)


 

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