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第32回団結駅伝

2006/2/18 セミナーパーク周回コース
1区4.32km

躍進、統計課

例によって異常に盛り上がる職場の駅伝大会。今年は特に、12月に松井君が異動でやって来てくれて、俄然、大会に向けて熱のこもった我が統計課。何しろ、こんな言い方は不遜だが、県庁陸上部の(今に限っていうと)ナンバー1、2が揃ったのだから。ただ、統計課にとって幸運だったことも、抜けられた方の技能五輪・雇用開発課と松井君自身には不運でもあった。松井君抜きでも今年、2位の同課は、彼の途中異動がなければ2年連続の優勝を圧勝で飾っていたろうし、松井君も統計課でなければ確実に1区で僕を脅かしたろう。

ともかく、彼の加入で、所詮、井の中の蛙の争いである職場の駅伝と承知しつつも、僕もこれまでになくやる気が入った。いくら陸上部が2人いるからといって、一定程度の選手を5人揃えないと上位入賞は難しい。「統計課も最後は○位くらいに落ちるだろう」などという下馬評もあったから、余計に奮起した。それで、僕と松井君とでかわした、また期した目標は──

  1. 最終5区まで首位をキープして夢をつなげたい
  2. そのために、1区、2区の僕ら2人で2位以下に1分以上の貯金をつくる
  3. 3~5区選手にがんばってもらって目指すは3位入賞
3位表彰
部長表彰

というものであった。2人とて簡単に区間首位をとれるものでないし、ましてや5km、3kmにも満たない短い区間で、それぞれが30秒もの差を付けるのは至難に近い。5区まで首位キープ、も夢に近いと思っていた。けれども、終わってみれば全ての目標を達成。陸上部の僕ら2人は当然とはいえ、3~5区選手の頑張りは予想以上のものであった。昨年の上位3位が今年も1、2、4位の順当な結果に終わったから、最終5区でかわされたとはいえ、昨年17位から3位に割って入った統計課(史上初)の飛躍ぶりが際立つ。駅伝の醍醐味、面白さを味わうことができた。

応援

記録や順位もさることながら、周回コースで応援者は800人の選手一同を、また選手も自走区間以外は観戦の側に回って応援できる楽しさの格別なことが、この大会の面白さである。

しょっちゅう走っている僕はいつも応援してもらう方だが、がんばっている人を見るのが僕も大好きである。特に走ることは、それぞれにがんばる姿が素直にあらわれるから、応援もストレートにできる。自チームは無論、陸上部メンバー、かつての職場で一緒になった方、同期の仲間・・・等々。

だいぶ話は違う方に振れるが、応援してもらう中で、僕と同障の友人、Kさん、Sさんのことについて──。

2人とも仕事の傍ら、障害者団体の運営、運動に熱心に取り組んでいる。いつも頑張っている姿が大いに尊敬させられる。今回のような大会では逆に僕の頑張る姿を見てもらう番。

まず昨年のKさん。ずっと山口在住の県職員ながら一度もこの大会の応援に出かけたことのないKさんからも、昨年は「今年は応援に行くから」と声をかけられていた。よりによって体調の一番ひどい時に、とも思ったが、充分すぎる結果を残すことができた。けれども大会の終わった後で会ってみたら「時間に間に合わずに見逃した」という。ちょうど昨年、僕も一緒に準備していた山口のろうあ者大会で上映する映画字幕を会場近くの聴覚障害者情報センターでチェックしていたためなのだが、チェックは後でもできるが駅伝は一年一度なのに、僕も奮起して走ったのに・・・。膝が抜けそうになったというか、何ともKさんらしい・・・というべきか。

今年はSさん。Sさんの方は県職員でなく、職場が道路を隔てた特養老人ホームの看護師。この土日、同じく聴覚障害者情報センターで、Sさんの活動している字幕サークルの研修会が行われることになっていた。それでSさんが僕に渡してくれるもの(後述)もあったから、「昼迄の仕事を終えて、僕の走る様子を見てから研修に行く・・・」という約束をしていた。

サヨナラ?
プレリュードその1

Sさんは選んだ仕事が示すように、非常に情の厚い人である。人の応援の大好きな人である。自チームだったら(頼まなくても)ハチマキをつくって応援の旗を振りかざすような人である。またSさんは時間に遅れることの絶対にない人である。それはSさんが手すりのない階段では誰か人につかまらないと昇降できない、足にもやや障害を持っているからで、決められた時間には必ず30分前、1時間前には着く心がけを当然のように実践している人である。

この駅伝が盛り上がるとはいえ、今は社内運動会や社内旅行の時代でもないご時世の、同じ職員でも関心のない人には全く関心がない中で、特に身体のハンデがあって自分にスポーツに縁がなければ、普通、余計に興味も持たずにいてよさそうなものだが、Sさんはそういうのを通り越して人間が好きな人である。(ルールなど全く知らなくても)とにかく知った人の応援が純心にできる、面倒見のいい人である。僕も度々、応援を受けてきた。デフリンピックにも次回は絶対に応援に行く、と言ってくれる嬉しい人である。大いに見てもらいがいのある人である。そんなところも当然、僕ばかりではなく周囲からも慕われる人である。そんな、普段のがんばりにも人間的にも尊敬しきれないくらいのSさんに、今回はせめて僕が見せてあげられる番でもあった──。

けれども・・・。やはり、大会が終わってからセンターで会ってみたら「場所を間違えて見れなかった」という。道路一本隔てただけの職場の真ん前が会場の、どうやったら場所を間違えるのだろうと絶句したが、でも、これもSさんらしいのである。

Kさん、Sさんを嘆くつもりはなく、僕の周囲にはそういう人が多く、そういった和ませてくれる人が僕も好きだからである。妻も然りで、Sさんだけでないことの証明にいうと、これは書いてくれるなと嘆願されたが、Sさんを勇気づけるために書くと、先月、走った玖珂のロードレースでのことである。よくできたコースでスタート/ゴール地点に居れば、10kmの部は選手がぐるぐると回ってくれて、応援はスタート/ゴールを含めて計5回、通過する選手を見れる設定になっている。けれども、妻はゴールしか見ていない、という。圧巻は、川を挟んだ向かいを走っている時。バイクに先導されて先頭を走っている、探さなくても目に入るはずの僕に気付けない。それどころか、対岸を僕とは逆方向に必死に走っている。信じがたい光景が僕の方の目には飛び込んできたのである。妻は橋の地点で通過する僕を写真におさめたかったらしいが、既に橋などとっくに通過してしまっている。走りながら僕も、よほど声を上げて対岸の妻に気付かせようと思ったが、これではどっちが選手で応援なのか分からない。

何だか今回の駅伝の内容から随分、離れてしまった。一年前のKさんには、「また来年」といっておいた。そして実際に1年後の今年、昨年以上に僕は頑張った。同タイムだったここ3年から、今年は少し成長して9秒、記録を短縮できた(・・・でも、今年、Kさんの姿はなかった)。また来年、といっても必ずしも出場資格が保証されているものではないし、走れる状態でいられるかどうかも不明だが、Sさんにも「また来年(があるなら)」を信じてもらうことにした。

ちなみに、Sさんから受け取ったのは、今度、聴覚障害をもつ医療従事者の会が発行した「医療現場で働く聞こえない人々~社会参加を阻む欠格条項~」という本である。Sさんも寄稿している。その部分は真っ先に読んだが、通して読み終えたらまた、本棚の方で触れてみたい。


2006-02-26


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