第36回防府読売マラソン 4

連帯感・・・のようなもの

折返し後
折返し後(写真:斎藤部長提供)

だいぶ間が開いてしまってもう、遠い昔の出来事のように思えるが、最終回。

26km過ぎ、右にコースが折れると一転、集団が一気にばらける。ここで崩れるのは早いように思えたが、僕はついてゆけない。はっきりと集団が分断され、ついてゆけない選手が振り落とされて一人旅になってゆく。僕の周囲では2、3名が抜きつ抜かれつの並走になる。もちろん、ここでの順位にこだわる訳ではない。追い抜こう、抜かれまい、という意識は全くない。ただ、前の集団にこれ以上、遅れまいと、各自が必死なだけ。

だから、追い抜いても嬉しいという気持ちはまるでおこらず、むしろ、横に並んだ選手が落ちそうになると「落ちるな、ガンバレ」と願ってさえいる。本来ならそんな余裕はない。自分のことだけを考えるべきなのだが、ここまで一緒に走ってきた面子である。「ここまで来たんだから、もう少し頑張ろうぜ」「俺も頑張るからお前も踏ん張れ」と心の中で叫んでいる。隣が落ちると、自分までずるずると落ちてゆきそうで、マラソンは苦しく孤独な競技であるけれど、だからこそ、近くに共に進む戦友を求めたい。連帯感、というほどはっきりしたものではないが、不思議な共有感である。レースでぎりぎりのところで並走している選手の胸の内は、相手のため、というのも多分にある。

他のランナーへの尊敬の念

折返し後
折返し後
(向こう黄色いウェアが筆者)

今回のレースは厳しい条件だっただけに、こうして走りながら、また、走り終えて他の選手のことを思う気持ちがこれまでになく大きい。他の選手の走る姿から学ぶものが多かった。

2週前に開催された福岡国際マラソン。昨年から出場資格が緩和されたこともあり、これまで防府を走っていた選手には選択の幅が拡がった。特に福岡、山口の地元選手にとっては、福岡と防府のいずれかに絞るか、ダブルエントリーしておいて調子に合わせて選ぶ選手もいれば、あるいは両方を走る選手もいる。

今回、まず、その福岡が、強風と雨という悪コンディションに見舞われた。TVで見ていても、おぞましくなるような厳しい寒さの悪条件だった。それだけに、2週後に防府を控えていた僕は、その中を走る選手の姿にこれ以上なく励まされた。僕も県内や福岡をはじめとして、知った選手が増えてきたが、皆、これほどにひどいコンディションの中を逃げずに走っている、そして、結果も残している。直接にその姿を見たわけでも応援できたわけでもないが、「あの中を走って、この結果」と想像すると胸を打つものがあった。「あの厳しい風の中を走れているのだから」と大いに心を奮わされた。「あれほどコンディションが悪くなることは絶対にない」と、その時は思っていた(・・・結果は見事に裏切られて、福岡以上に荒れてしまったが・・・。)

福岡を走った者、防府を選んだ者、両方に挑んだ者──。いずれも結果を残すには厳しい条件に終わった。結果を出せた選手はわずかで、僕もそうだが、大半は希望を打ち砕かれた。

けれども、タイムだけが全てでない結果を心に残してくれるのもマラソン。最近はネットで全選手の5kmごとのラップタイムも全て公表されることが多くなった。これを見ると、各選手の走りざまが一発で分かってしまう。ラップで目立つのは、変動ぶりの激しい選手。特に、後半、大きく失速したケース。マラソンで終盤の失速は誰にも避けられないが、俗に言う「つぶれて」しまうと、地獄を見る。今回の僕もラストのタイムはワーストの部類に入る方で、昨年の防府が完全につぶれてしまったものだったし、過去には玉造やボストンもそうだった。

地獄の中の一歩一歩は果てしなく遠い。足が前に出せない。気持ちはボロボロにみじめである。それでも最後まで走ろうとする選手は一体、何を思っているのだろうか。もう記録なんて絶対に出ないことが分かった時点で棄権することもできる。特に今回のようなコンディションでは、後にひきずるダメージも大きい。身体のことを考えれば、異変を感じた時点ですっぱりやめる方が賢明である。僕のついた集団にいた、あるいは僕よりずっと前を走っていた俊足ランナーでもつぶれてしまえば容赦ない。僕も度々、経験しているだけに小気味よく抜いてゆく気持ちにはなれない。結果としてたまたま順位が上でも勝ったという気持ちは全然、ないし、嬉しさもない。

マラソンでなければ100回やっても負けないような相手に、どんどん抜かれてゆく。普段が速い力を持っていれば、余計にそのプライドも大きく傷つく。精神的ダメージは大きい。さっさとやめて次に狙いを切り替えた方がいい。「正解」はそちらだけれど、「苦しくても走り切れ」という根性論を展開するつもりは毛頭ないが、それでも最後まで走る姿勢もまた見事であると思う。100回やっても負けないような相手に負ける(こともある)のがマラソンで、自分の弱さを知るこれ以上なくいい機会。

常々、思うが、「走る」ことはタイムや順位といった厳然とした事実を突き付けられる、はっきりと勝負のつく競技。それゆえ、いわゆる「勝ち負け」や人と競うことを好まない人には野蛮にうつるかもしれないが、勝者(1位)は常に一人で、その他は敗者ともいえる。勝者もまた、常に勝者であり続けることは絶対にない。その弱さを知ることができるのも走ることの大きな魅力。

年齢との闘い

11月末の嘉穂リバーサイドの完走記で触れたが、僕のレース出場のささやかな目標の一つとして、「自分より年上選手には負けたくない」というのがある。嘉穂では年間、初めて、負けてしまった。僕はそのレース、5kmとのダブル出場だったから、といえなくもないが、やはり、力の差ははっきりあった。今回は、かろうじてクリアできた。ちっぽけな自己満足。

応援に感謝

中間点、集団の中で
36km過ぎ
意識も薄くなりつつ

歴史的大寒波の中ゆえ、沿道の応援ははっきりと少なかった。家から出ようという気にならないのが当然の中、身体を動かし続ける選手以上に凍える寒さの中を、それでも応援に立ってくれた方へのありがたみが身にしみた。陸上部関係、職場の方、家族、県内外の知ったランナー、それから、高校までを過ごした学校区の地元ゆえに、懐かしい顔も毎年、見つける。

僕の場合、きこえないということもあって、「ガンバレ!」くらいの普通の応援では届かない。飛び跳ねるくらいでないと。それも最近では分かってくれるようになった人が増えてきて、非常に嬉しい。正直、苦しいときは沿道を見る余裕もない。視界は目隠しされた競走馬のように真ん前しかない。せっかくの応援もかなり見落としていると思う。

今回、気付けたのも、かなり派手なリアクションをされたケース。「何だ!?」と驚くくらいの身振りで、近付いてみると僕への応援だった、小・中時代の野球部仲間、嬉しかったよ。どうもありがとう。それから、道路の半分まで飛び出て近寄って声援してくれたSさんも、チーム(所属)は全く別で普段、話をするわけでもないのに、どうして? と思うくらいに。きっと私心のない方なんでしょう。涙が出るほど嬉しかったです。

天候コンディションの面で都合良くは整わなかったが、自分としては今回に向けてきた思いを果たすには果たせた。スタートラインに立つことができた。力は及ばなかった、目標は果たせなかったけれども、力の足りなかったことを知りつつ、尽くすことはできた。「ここまでひどくなることはないだろう」と恨めしかったくらいに天気が荒れたことは、不運といえば不運だったが、人生にはこういうことも珍しくないのだという経験をまたひとつ、積めたことは、貴重な機会だった。

このホームページは、「自身の哲学を明らかにしてゆくことを追求したい」なんてコンセプトを掲げて肩の力が入ったような、何を気恥ずかしいことを言っているんだ、というのもあるが、マラソンはそれを教えてくれる、この上もなく考えさせてくれる機会にはなってりう。5km、10km、ハーフ・・・といったレースの苦しさももちろんだが、時間と労力を注ぐことでようやく、到達できる境地がマラソンにはある。5km、10km、ハーフ・・・では到達できないものがある。

それに必要なのも「勇気と想像力(作戦)とサムマネー(参加料)」。


 

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