第24回日本海マラソン

2005/03/20 布施陸上競技場発着

体調悪く途中棄権

日本海マラソン
第24回日本海マラソン

体調悪く、走れる状態でないことは分かっていた。それで、(1)行けるところまで行ってみる あるいは、(2)ペースを落として完走を目指す のいずれかを考えて、(1)を選択した。結果、何とか形になったのは無理して飛ばした最初の5kmだけ。後はみるみる間に前走者から突き放され、また後続にもどんどん抜かれていった。20km走ったところで見切り、1kmジョグして歩道にあがった。覚悟していたとはいえ、半分もろくに走れないでの途中棄権は惨めなものであった。(2)も難しかったろうと思う。

症状~咳ひどく

全くの力不足で、言い訳するのも見苦しいが、これはこれで今回のレースを特徴付けるものなので、せっかくだから書き記しておくと――。

昨年末に風邪をひいてから、ずっと体調がぱっとしない。デフリンピック帰国後にまず、貧血が判明した。1月末、なぜか夜間に咳き込むようになった。咳込むなんて、これまでの自分にはなかったことだが、このときは処方された薬を飲んで3日で治ったからさほど気にしなかった(今にしてみれば、この時が「本当は恐い家庭の**」の始まりだったかもしれない・・・)。

2月は貧血治療と割り切って練習量を抑えた(サボった)。走らなかったのが功を奏してか、職場の駅伝だけは奇跡的に走れた。ところが、そろそろ練習したいと思うようになっても身体がなまっているのか、けだるさが続く。練習できない(しない)のを正当化してくれるように、ちょうど2月から3月にかけては週末に限って繰り返し寒波が到来した。

3月6日(日)のについては別に述べた。この前日土曜も大寒波。秋吉台カルスト高原マラソン大会が異例の中止になるほどの、3月の山口にしては珍しい積雪をみせたのだが、この日、僕は午後の大会準備に続けて、夜の講師を囲んでの交流会(飲み)で酔い冷めしたのか、翌日曜は朝から寒気に襲われる。司会で寒い舞台袖にいることが多かったこともあって、ずっと震えていた。大会中は気も張っていたから何とか持ちこたえられたが、帰宅するやダウン。またしても週末、全く練習できぬまま、でも一晩たっぷりと寝た翌朝には回復。

ところが・・・。2日経った水曜日、再びダウンし、今度は一日寝込む。風邪で寝込むこと自体、そうあることでないのに・・・、と不思議に思いながら、頭痛と寒気が残り、ここから頻繁に咳き込むようになった。前回と違い、処方された咳止め薬(アストミン)を飲んで3日経ってもおさまらない。一週間経っても一向に治らない。市販のパブロンや南天のど飴も全く効果ない。

咳き込むことも、ずっと引きずることも、こんなことは初めてである。大体、マラソンを走ろうという人間は、人より呼吸器、気管支系が強いはずで、僕も自分の心肺能力にはそれなりに自信を持っていた、ずっと以前は一日2箱のヘビースモーカーでありながら走っていたくらいである。それがどうしたことか、毎日、息苦しいほどに咳が止まらない。特に夜が激しく、頻繁に目覚める。連日、まともに寝付けない、眠れない。

喘息なんて自分の人生には無縁のことだと思っていたのに、段々、不安が増してくる。ネットで調べると、咳で悩んでいる人は多いようだ。これもネットで初めて知ったが、子どもの時に経験がなくとも、大人になって喘息を発症することもあるのだという。今年の風邪(インフルエンザ)はしつこく、TV番組「たけしの本当は恐い・・・」でも紹介されたというマイコプラズマ肺炎とやらも珍しくないらしい。夜中に頻繁に咳き込むと、家人をも疲れさせてしまう、というのも全くそのとおりで、妻にも迷惑のかけどおし。さらには春先まで症状が続く、一年中続くことさえあるとも書かれている。

恐くなって、鳥取に向かう前日金曜、行きつけの内科でなく耳鼻科で診てもらおうと決意。ところが、「夜8時の診察でよければ」とのことで出向くも、8時を回ってなお待合室には人があふれかえっている。50人以上は待っている。元々、ここは一年中混んでいるところで、特に今年はインフルエンザと花粉症が猛威をふるっているだけに今更、驚かなかったが、「ただいま6時台の診察中」では、今夜中に終わるようには見えなかった。見渡す限り、みんな相当に苦しそうな表情をしている。待ちくたびれた疲労の色も濃い。僕なんかまだずっとマシなように思えてくる。当然、待合室は色んなウィルスがうようよ飛び交っているようで、ここで待っていたら診察より先に他人から伝染されてしまいそうだと、診察はあきらめて帰った。

仁風閣
仁風閣

3連休初日の出発の土曜は快晴の好天。うんと久しぶりの鳥取行きは、新幹線での岡山乗り換えでなく、安くて済むスーパーおき(まつかぜ)で向かう。けれども睡眠不足が続いているせいか、せっかくの車窓からの景色、美しい日本海も眺められず、車中、ずっと寝ていた。目覚めると、今度はひどい頭痛。たまらず鳥取でバファリンを購入。マラソンを走る直前まで薬漬け、シャブ漬けである。結局、鳥取での3日間、やはり咳はおさまらなかった。眠れなかった。

山口に帰ってきて翌火曜、循環器科のある内科で受診。医師によると「3月6日がインフルエンザだったのだろう(この日に発症した患者は非常に多かった)」とのこと。そう言われると、ろうあ者大会も大勢の人間が集まるものだったし、丸2日おいて再びダウンしたのも、ただの風邪でなく今年の長引くインフルエンザだったなら納得もゆく。ここでは積極的に痰を出す薬を処方された。

一言でいえば抵抗力が落ちているから、あっけなく繰り返しダウンしてしまう。デフリンピックのせいにしてはいけないが、陽灼けの跡が未だに消えないように、ダメージは大きかった。

他ランナーの活躍

そんな訳で棄権を決意したのだが、待てども待てども収容車は来ず、他のランナーが一生懸命走り続けている傍らの歩道を歩き続けるのは、みじめで情けない限りであった。そんな僕とは対照的に、活躍を見せてくれた他のランナーについて少し──。

「50分で完走できる者」の条件付きを無視して、今回、妻が10kmの部に申し込んだ。5kmでさえ30分を切れないのに、呑気で無謀な行為だったが、タイム以上に当日、初めて分かった出走ランナーのハイレベルさが妻を大いにびびらせた。10km女子の部は大半が地元の現役高校生。先月、走った「けやき」のゆっくり楽しんでジョグ、とは正反対の、妻以外、出走ランナー全員がランシャツ・ランパンのシリアスな「陸上」レベルである。直前までやめようかどうか迷うくらいで、僕の緊張も分かってくれたようだ。

まあ、それでも、今回は僕同様、走れるところまででいいだろう、大会関係者に迷惑がかからないように途中で収容されても仕方ないと思っていたのだが、意外にも完走。50分の条件が大目に見てもらえたことを差し引いても、僕とは逆に立派な限りである。

それから、県庁陸上部からは、今まさに昇竜の勢いの那須君、綿谷両君も参加。ともに自己ベストを記録する大活躍。今回の僕は、彼らの活躍を見届ける証人役であった。

    <おめでとう! 自己ベスト>
  • 那須選手 2時間46分32秒(1部登録男子28位)
  • 綿谷選手 2時間49分03秒(2部未登録男子6位入賞)

新幹線も走っていない、全国で唯一、高速道路のない県都、鳥取市は訪問するのに非常に不便な地域なのだが、でも、意外に知った顔は集まるもの。ボストンの縁、荒木さんとも会う。お互いエントリーしていることを事前には知らなかっただけに、当日、鉢合わせて驚いた。ちなみに荒木さんは、多忙な仕事で練習もできず、当日朝に到着する夜行バスで駆けつける強行出場だったが、立派に完走。ただ、これで終わらず、この日、福岡を激震させた地震が地元で起きたというのに、レース後は温泉にも浸って帰宅。「今回も妻子を残して一人でやって来ていたものだから、帰って家族からしこたま怒られた」と知らせてくれるあたりが相変わらず愉快な荒木さんである。古屋さんも応援、ありがとうございました。


第24回日本海マラソン (日本海新聞)


鳥取3日間

米子~境港間を走る鬼太郎列車
米子~境港間を走る鬼太郎列車

それはさておき、以前、活動でよく出かけていた頃から数年経っての鳥取は久しぶり。マラソンとは別に旅行気分を楽しんだ。ただ、鳥取は観るべき箇所はあまりなく、もっぱら食べる方に徹する。まずは到着1日目の夜、以前、寄って美味しかった「MOBS」という店を訪ねる。が、楽しみにしていたのに、今日明日の両日は貸し切りなのだという。確かに結婚式後の2次会にうってつけの店でもあるし、また、卒業、異動シーズンで納得できるとはいえ、鳥取に僕が来るのはもしかすると人生最後かもしれない。がっかりであった。ここだけでなく、他の店も同様に「本日貸し切り」の貼り紙が出されているところが多かったが、気を取り直して別に行った店も美味しく、これは米子に寄った3日目も含めてこの旅の3日間、通して感じたことなのだが、鳥取は飲食店は非常に多い。多い上に、どこに行っても満員で、外食好き、特に飲み好きな県民のように思えた。

日本海マラソン

出発当日の朝、鳥取の旧友、N君からマラソンに出るのか? とのメールがあって、マラソン終了後の2日目夜は4年ぶりに彼と再会して飲む。彼とは披露宴に招かれた縁。この日の夜も歓楽街はにぎやかで、2次会は4日前にオープンしたばかりの沖縄料理店「ちゅらちゅら」へ。最初からここで飲みたかったくらいに非常に美味しい。店内は明るく青く、沖縄の雰囲気に浸れた。

帰宅してから、日本海マラソンのホームページで、彼が応援メッセージを書き込んでくれていたことを知る。ありがとう。終わってからでも嬉しい。スタート前に分かっていたら、(逆に)無理してがんばってしまったかも・・・。

年甲斐もなくプリクラ
年甲斐もなくプリクラ

3日目は米子で途中下車。ちょうど米子駅は、17日から駅名の愛称が「ねずみ男駅」になったばかり。境線乗り場「0番のりば」が「(霊界行き)霊番のりば」に生まれ変わって、ホームにはねずみ男の妖怪支柱が建立されていた(終着境港駅が鬼太郎駅に決まる等、昨日、全16駅の愛称が決まったらしい)。しきりにビデオやカメラに収めていたマニアでなくとも、鬼太郎列車からして見ているだけで楽しい。境港の水木しげるロードも評判通りの楽しさで、子ども以上に大人の方が熱心に目を輝かせていた。僕も前日の棄権で落ち込んでいた気分を吹き飛ばされた。非常に愉快な場所だった。

送別会シーズン

火曜は陸上部で梅本君と宗久マネージャーの送別会も行われた(選んだわけではないが、受診した循環器科の真隣の居酒屋であった)。

周南市から県庁に1年間派遣された梅本君には、途中から陸上部の練習に加わってもらい、また、1月の中国山口駅伝ではメンバーとしてチームを助けていただいた。僕も彼のおかげでいい目標を与えられ、この1年、非常に充実したものとなった(1年といわず、10年くらい居てほしかった)。浜村杯、福岡国際、職場の駅伝ではともに並走し、競い合うことができた。中国山口駅伝では僕が体調を崩して欠場し、彼にタスキをリレーすることが果たせなかったのが一番の心残りだが、これからもレースや練習で会うことは多いだろう。都合がつけば、陸上部の練習にまた参加してもらいたいし、特にマラソンでは何とか彼に追いつきたいと思うので、今後も彼を目標に励みたい。

マネージャーにもとてもお世話になった。寒い夜中のトラックに立って、また休日にも選手のタイムを計測していただけた。2人のおかげでこの1年、陸上部も色んなレースで活躍できたことを心からお礼申し上げます。

この日、集まったメンバーは、シーズンの締めくくりとして、今月13日の全日本実業団ハーフマラソンを走った者、出場回避した者、また、20日の日本海マラソンやくすのきカントリーマラソンを走った者など、皆、今年度一年間をそれぞれに振り返っていたろうと思う。(今日で38歳になった)僕の37歳シーズンは、やはり、マラソンで結果を残せなかったのが残念だが、この一年、梅本君をはじめとして多くのランナーと交友を持てるようになり、アドバイスを得られたことが大きな収穫であった。

陸上部は、一年を通してみると結果を残せた選手が多く、新しい戦力の加入もあって各選手の活躍が目立つ一年だった。さらなる飛躍につなげられるよう、新年度もまた共にがんばりましょう。



 

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