第58回福岡国際マラソン選手権大会 1

2004/12/05 平和台陸上競技場発着

夢の大会、夢の跡

平和台競技場
平和台競技場

受付会場の西鉄グランドホテルに大名小学校というのが隣接している。その昔、学生時代に僕はここで警備員のアルバイトをしていた時期があった。市内の小中学校の警備を学生に委ねるのは、当時から少し異例といわれていて、今ではおそらく機械警備に変わっているだろうと思うのだが、夜間や休日の学校を一人、預かるというのは悪くない仕事だった。

今回、ホテルのティーラウンジから小学校のグランドが見えて、そういえば、学校の警備員室からもホテルを見上げるように、ラウンジの庭園が垣間見えていたことが思い出されて懐かしくなった。朝、子ども達が登校する前に学校を開けて(時々、寝過ごすと叩き起こされて)、子ども達と入れ替わりに帰って行く仕事。特に大名小は福岡で一番古い小学校なのかどうか、板張りの廊下をはじめとした校舎に古き良き学舎の雰囲気が残っていて、天神のど真ん中にあっても、そこだけ街の喧噪から逃れて落ち着く空間であった。この学校警備がえらく気に入った僕は、続けて、寮に隣接した別の中学校(こちらはかなり荒れていた)にもお世話になった。今では学校と全く縁がなくなってしまったが、できれば、ずっと警備員のおじさんでいたかったものである。

それから、レース当日、Bグループの更衣室用としてテントが張られたのは、スタート・ゴールとなる平和台競技場横の平和台野球場跡地。競技場には、これまで全く縁がなかったが、野球場は、少しだけ試合で使ったこともある。その球場も、鴻臚館(こうろかん)遺構の発見で、もうずっと以前に取り壊されて今に至っている。球場の名残をとどめているのは、今では外野席スタンドに少し残っているのを見ることができるだけとなっている。

今回の福岡国際マラソン、Bグループの選手にとっては、「夢の」福岡国際マラソンであり、「夢の舞台」なのだが、一方で、僕には、大名小にしろ、平和台にしろ、歳月の流れを改めて感じた、「夢の跡」という感じでもあった。元々、ここは福岡城跡。時代を変えて、兵(つわもの)達が勝負に挑む地のようである。

風強く

台風の当たり年を象徴するかのように、信じられない12月の台風(27号)で、前日土曜はずっと雨。この影響か、今年はずっと暖かい日が続いていたが、日曜のレース当日は、ようやく冬型の気圧配置となった。風も非常に強く、当たり前といえばこれが当たり前の、12月らしい天気となった。バイトついでで言うと、NHKのアルバイトも面白かった。11月末の大相撲九州場所と、それに続くこの福岡国際マラソンは、福岡に冬の到来を告げる風物詩でもあるのだが、いずれも寒さの中の仕事であった。そんな頃の以前を思い出すと、今年に限らず、ここ最近の暖冬は、どうもしっくりこない。妙である。

風が強かったからではないのだけれど、僕は24kmでリタイア。実は、金曜から頭痛が続いていた。理由は分からない。風邪によるものなのかどうか、頭が異常に重く、うなずくだけでも鈍い痛みを感じた。たまの頭痛なんてバファリンを飲んで一晩眠れば治っていたが、滅多にないことだから、引き出しのバファリンも使用期限が6年前に切れて変色してしまっていた。バファリンは合わないという、妻の持っていた「YVE(イヴ)」(エスエス製薬)というのを借用したのだが、これが僕には頼りなく見えて、そのせいか、効き目はなかったようだ。

リタイア後は、競技場に戻って、スタンドからゴールする選手を観戦した。今回の強風がレースに悪条件であるのは言うまでもないことなのだが、それは全選手に同一の条件で、そんな中でも苦しみながらゴールしてくる選手を見ていると、結構、胸に来るものがあった。幾多のレースの中で、僕にとって今回が初めての棄権である。これまで、特に完走にこだわってきたわけではないが、やはり、順位やタイムに関係なく、完走は立派で美しいものだなと、棄権してみて、競技場に戻ってくる──ついさっき、一緒にスタートした──他の選手達を見ていて、強く感じた。

梅本選手
梅本選手

浜村杯でもふれた梅本君とは、今回も競うことになった。棄権するつもりで僕は、最初から速めのペースで飛ばした(・・・割にはそう、速くなかったのだが)。その僕を彼が途中、幾度か追い抜いてゆく。「下がってていいから」と何度、忠告しようと思ったことか。でも、彼の方も、向かい風の序盤から集団の前に立つ僕を心配してくれていたようだ。棄権した時も気遣わせて悪いことをしてしまった。彼は、今回のタイムがベストには程遠い、というけれど、今年あまり練習できなかった上に、この強風の中では充分、見事なタイム。競技場のスタンドからゴールの光景を見ていても、彼が一番、最後まで力強い走りだった。さすが、とうなった。やはり、力は彼の方が一枚も二枚も上だと痛感した。

市民マラソン化へ

今回のレースの一番の特色は、従来の出場資格者(2時間27分=Aグループ)に加え、新たに2時間50分以内の選手もBグループとして出場できるようになったこと。2時間27分(2年前までは26分)という世界で一番厳しい出場資格を課してきたのが福岡国際。それゆえにこそのステイタスが「福岡」にはあった。たとえ、手の届かないものでも、ランナーの目標として残ってほしかった、ステイタスが維持されてもよかったように思うのは決して僕だけでないはず。

受付も別に
受付も別に

もちろん、門戸が広がるのは文句なく嬉しいことで、だから僕も「まさか」の福岡国際を走ることができた。ちなみに、Bグループは大濠公園スタートということになっていたのだが、Bグループのうちでも一部選手はAグループ同様、平和台競技場でのスタートが認められることとなった。僕も平和台スタート組のおこぼれに預かった一人なのだが、当日知ったのはその数わずか35人、つまりナンバーカード201から始まるBグループの235までで、234の僕は最後から2番目の、ブービー的幸運であった。

フルマラソンを走ってみようというランナーにとって、まずはサブスリー(3時間)というのがひとつの大きな目標。これが防府読売マラソンの出場資格となる(ただ、防府も今年から3時間を厳密に求めなくなった)。次が2時間40分の別大マラソンとなるのだが、この両者を隔てる20分の差は非常に大きい。そういう意味で、2時間50分という設定は、サブスリーランナーが次の目標として目指すにはちょうどいい区切りともいえそうだ。

今回、この福岡の初めての試みが今後、どう発展してゆくのだろうか。しばらく2時間50分の資格が続くのかどうか。あるいは、さらに出場資格を緩和して、一層多くの市民ランナーに門戸が広げられるのかどうか。いずれはニューヨークシティ、ボストン、ベルリン、ロンドン・・・等のように、1万人規模のビッグレースに近付いてゆけるだろうか。

とはいえ、ただでさえ渋滞の慢性化している日本の交通事情や、それ以上に、マラソンや駅伝の一部有名人をTVで見るのは好きでも、沿道で全選手に等しく応援を送るほどではない日本人の国民的気質を考えると、また、良くも悪くもマラソンだけが全てではないから、都市の交通機能を完全に一日、ストップさせてしまうことに市民の了解を得ることは現実的に極めて難しい面も日本ではあるだろう。一気に、とはゆくまいが、けれども、福岡(博多)は山笠やどんたくが行われる地でもある。祭り好きで、賑やかなものを囃し立てるのが好きな県民性をも有しているのだから、全国では一番、可能性がありそうに僕は思っている。


第58回福岡国際マラソン選手権大会



 

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