第53回別府大分毎日マラソン

2004/02/01 大分市営陸上競技場発着


今年は走り終えて速攻で大分駅に向かい、山口に帰る。明日、月曜から土曜まで出張で上京のため速報、というか、とりあえず結果だけ先に掲載。

結果:2時間33分59秒(58位)

一言で表すなら、ずっときつい、かなり厳しい走りだった。久しぶりにマラソンの地獄のような苦しさを全身で味わった感じ。

(上記、2月1日アップデート)

旅の楽しさ

競技場
午前中は好天の競技場で(両名、理髪後)

山口市では最高気温が観測史上最低を記録した、近年珍しく寒波が数日間居座って連日、雪の降り続いた先週と打って変わり、大会前1週間を切る頃には気温も一気に上がる。別府入りした土曜も快晴で、旅に出て好天に恵まれる嬉しさに心が軽くなる。

妻との旅行は久しぶり。福岡にはしょっちゅう帰っているけれど、純粋な泊まりの旅はGWのバンクーバー以来だ。その前がやはり、1年前のこの別府だった。そうたびたびあるわけでない旅行にいつもレースがからんでるのは反省しないといけないけれど、どこかに出かけて宿に泊まる、温泉に浸るというのはそれだけで充分、楽しい(毎日、膝を抱えて体育座りするしかない狭い浴室のアパート暮らしをしていると)。

春の到来を思わせるような暖かさ、快晴の昼下がりを歩いていると、走るためにやって来たこともしばし忘れる。別府にやって来たこの旅の楽しさで心が浮き立ってくる。胸がときめいてくる。防府も故郷を走れるいい大会だけれど、別大もこの旅の楽しさがあるからやめられずに4度目の出場。

宿は3年続けてのつるみ荘。やはり、いつもの大阪府庁の方2人も泊まられている。こちらもお子さんを含めてそれぞれの家族同伴旅行のようで、それもいいなあ、と思える。エントリーを済ませてから、昨年に同じく、安さが魅力の別府駅前美容院でカットもしてもらう(・・・ために、防府を走った前日に刈ってもらってから一月半、理髪を我慢していた)。段々、行動がパターン化してくる、同じことを繰り返したがるのはきっとマラソンランナーに共通する悪い癖だ。

当初は回避するつもりだった昨年末の防府を無事、完走できたことで充分、満足できた。防府をパスして別大にスライドしたはずが予期せぬケガ続きで一層、不安感が増していた昨年と異なり、今年はリラックスできている。防府を終えてからは珍しくケガもなく順調に練習もできた。プレッシャーも不安もない状態でスタートできる。

最高のコンディション

今回の別大、気象条件としては相当にいいコンディションではなかったろうか。 数日前から空気が緩み、レース当日の最高気温は14度、15度にまで上がるとされていた予報が唯一の心配だったが、実際にはそこまで上がらなかった。スタート時の気温は10.8度。フルを走りきってもゴールまで汗の流れない僕でさえ、さすがにこの日は5km過ぎでうっすらと汗がにじむほどの暖かさであった。ただし、それも序盤だけ。別大国道に出ると途中、一時、小雨もぱらついてきて、後は再び冷え込んだ。少し暖かいのがいいのか、冷たいくらいがいいのかはランナーの好みだろうが、僕には程よい冷気だったように思う。

何より、例年と大きく違っていたのは風の弱いこと。当日朝の予報では「南」の風となっていたから驚いた。別大名物、北からの浜風ではなく・・・。これも実際のスタート時にはやはり北向きになっていたが、風のせいで走りにくいということは全くなかった。肌に感じる冷たさはレースシーズンとしては普通のことで、沿道に立てられている後援企業の「朝日ソーラー」や「VAAM」の幟もほとんどはためいていなかった。例年なら突風で倒れている方の数が多い舞鶴橋上の「毎日新聞」の青いのぼりがちょっと揺れていたくらいだ。

別大国道が6車線に拡幅されるということで一部区間、舗装がきれいになっていたのも走りやすかった。今年中に完成とのことだから、来年以降はもっと走りやすくなるのだろう。新しい舗装路は雨の降るコンディションのときでも水たまりのできないのが何よりいい。 その記念の意味があったのか、「べつだいウォーク2004」なるウォーキング・イベントが午前中に開催されていた。このゴールが高崎山前、マリーンパレス地点に設定されていた。TBSの安住アナがやって来ていたとかで、例年なら応援の少ないこの湾岸部で、突如として大きな人だかりの熱烈な応援が選手を力づけてくれる形となった。

完走率が73%と例年になく高かったのも、これらの好コンディションが重なったせいだろうと思う。

その他に気付いた、昨年から変わった点としては――。アシックスからの参加賞がバッグからTシャツに変わっていたこと。昨年、一昨年のバッグは正直、使えない代物だったのでTシャツで嬉しい。毎年、思うのは出場選手よりも、運営スタッフや高校生らも含めた大会要員に配布されているグッズの方が非常にいいこと。選手用のはどうでもいいといった感じなのに、スタッフ用のは今年もとてもいいバッグだったし、ベンチコートやジャケット、帽子に至るまで、僕も一度、手伝いの側に回りたいくらいの違いがある。それから個人的なことでは、レース中、いつも妻の待機する県庁前“ロイヤルホスト”が地元資本の“ジョイフル”に変わっていたこと、宿の温泉(浴場)が男女反対になっていて、この宿の一番の売りである総檜張り温泉に入りそびれたこと(楽しみにしていただけにショックだった)・・・くらいか。

されど記録は伸びず

この好コンディションの中ではあったが、僕の記録の方は伸びなかった。最初に述べたように、防府を迎えた時に比べれば充分な練習もできていた。ペース走も2回行えた、30km走も1回行えた。1月の月間走行距離は僕にしては充分に多いといえる400kmを超えた。リラックスできていたから、2時間30分という大きな欲を持って臨んだつもりだった。けれども、現実は甘くなかった。

10km過ぎ~早、集団から離脱
10km過ぎ~早、集団から離脱

慎重に抑えて入った昨年と違い、サブ30を狙うからには、と前半から少し積極的に飛ばしてみた。けれども地力の欠けていることはいかんともしがたかったようで、7kmで早くも集団に置いてゆかれる。今年は風はなかったとはいえ、10km以降、本来なら一番、集団の中で走っていなければいけない別府までの前半を、周囲に2、3人の選手がいるかいないかの状態で走ることとなった。20kmのラップはサブ30達成に必要なイーブンペースに遅れること既に1分以上。ひとつ前の集団が真っ直ぐの道路の視野から完全に消えてしまっていた。最初から思い切ってゆくことを決めていた分、途中で駄目なことが分かったなら早いうちに棄権しようと思っていたから、既にこれ以上はもうペースアップできない苦しい走りであるのに、このタイムの遅れでは、とこの時点で意欲がなえてしまった。

今回のレースで一番の出来事を探し出そうとするなら、それにしてもなぜ、そこからゴールまで頑張ってしまうのだろうと思う点だ。フルマラソンはこれで14回目の完走。ハーフや10kmのロードレースを含めて、これまで幸運にも僕はレースで棄権したことや途中関門に引っかかったということがない。ただ、それはたまたま運が良かったから結果的に棄権せずに済んだというだけのことで、「完走」にこだわる気持ちがあったからではない。完走という行為は確かに立派なことであるけれど、ケガをしているときに無理して練習しない方がいいように、コンディションの悪い時や目標を達せられずに、レース後に残るのがダメージだけというような場合にはさっと見切ってしまうことが大事なときも多い。そう思っている。

後半はずっとこのことを考えていた。「記録を目指すつもりで臨んだレースで、達成できないことが分かった今、何を目標に走り続ければいいのだろう?」。10km過ぎでペースに乗れない自分に気付き、いつも以上に早い段階から苦しくなっていった。体調に不安を抱えていたから慎重にスタートした昨年の別大と防府では、そのおかげで結果的に後半を上げる走りにすることができたけれど、後半、落ちるのが当然で、今回の走りの方が本来の走り方なのだろう、久しぶりにマラソン本来の苦しさというものを味わった。30km手前で脚にきた。30kmからは1kmの距離表示が長かった。 それでも苦しさの中で走るのをやめないのは、僕の場合、積極的に頑張ってゴールするというより、ゴールまでにリタイアすることを選ぶ勇気がないからだ。

自己ベストはあり得ない。順位の良し悪しに興味はない。30km過ぎから僕の頭にあったのは、随分、低俗なことだが、「ここまできたら、ゴールした方が、完走した方がビールが美味しく飲めるだろう」ということである。10kmのロードレースに出場する市民ランナーの多くもそうだろうと思う。フルマラソンがビール1杯のために耐えるに足るものとは思い難いけれども。「走り終えたら、うまいものをたらふく食ってやろう」とも思った。

あと、別大は応援の多さに励まされるというのも大きい。大分、別府両都心部の多さはいうまでもなく、今年はべつだいウォークがあったせいか、沿岸部の20kmでも勇気付けれらた。折り返し直前の別府市街地、トキハ百貨店前は一番、声援の多いところじゃないかと思う。耳のきこえない僕は、応援が多かろうが少なかろうが、走っている僕には無音であることに変わりはないのだけれど、それでも雰囲気は伝わってくる。轟きが感じられる。20kmからの5km、ここはそれまでの海沿いのコースから少しだけ市街地に入ることで風の影響を受けずに済むことと、この応援の多さとで身体が瞬間的に軽くなる。乗せられる。急に力が湧いたように錯覚させられて、一時的にタイムが上がるほどだ。32km地点では、大分に知り合いがいるわけでなく誰か特定の人から応援されることはないはずが、僕の方をじっと見つめてくれた男性がいる。「がんばれ!」と手話で訴えてくれた。一番、苦しい時だったから本当に嬉しかった。

しばらく休養

カネボウ勢は不振だったようだけれど、一般参加の部で今年は山口県選手の敢闘が目立ったように思う。エントリー、完走選手数から多く、上位選手のタイムも立派なものだった。また、レース中、抜いたり抜かれたり、並走したり、と印象深い選手はよく覚えているもの。折り返し前から35km地点で置いていかれるまで同じペースで走っていた方は、年配の方のようだったが安定したいい走りだった。今、プログラムを見返してみると何と48歳で、僕より一回り上の年齢であるのに仰天する。きっと同じ未年のはずで、こうしていろんな選手の活躍を知るとまた奮起させられる。

レース後、川嶋さんと
レース後、川嶋さんと

この原稿は東京滞在中の宿で夜、少しずつ書き進めた。昨年も同じく別大翌週に上京していたのだけれど、別大の翌週末日曜に開催されるのが東京国際マラソン。コース上には横断幕や通行規制の看板が掲げられている。今の僕の力では東京国際への出場は夢のまた夢であるが、2時間30分という数字はあきらめずにこれからも目標として持っていたいと思う。

とにかくきつかった。苦しかった。しばらく長い距離は走ろうという気になれない。今は、山陰か中九州かどこかの温泉へ──今度こそレースと無関係の──旅行に、ぶらっと出かけてみたい。


  • エントリー240名 出走者218名 完走者158名(完走率72.5%)

大会結果ページ(毎日新聞社)


【参考webページ、関連記事】



 

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