第34回防府読売マラソン(前)

2003/12/14 防府市陸上競技場発着

来週は防府読売マラソン

防府読売マラソンマーク

昨年と全く同じように10月に貧血が発症(判明)して、現在、治療中。身体は相変わらず重たい状態で、練習も満足にできていない。今年も実は、防府読売への出場は見合わせるつもりでいたのだけれども、突然ながら、出ることにした。

今年は早いうちに防府の欠場を決めていた。昨年の経験から、1ヶ月や2ヶ月で多少回復しても、本番のレースを満足には走れないだろうことが分かっていた。昨年、「防府をパスして2月の別大にスライド」策がうまく成功してくれたこともあって、今年もその、2匹目のどじょうを狙うつもりでいた。

昨年は今の時期、防府への欠場を決めたつらさ、無念さが大きかったのに、今年は実にあっさりしている。11月にはもう、別府の宿を予約した。カレンダーから防府読売の文字を消し、来年の手帳をながめるようになった。

11月末、大会事務局から届いたナンバーカード通知ハガキを受け取っても、悔しい気持ちはわいてこない。ナンバーカードはついに2桁の<94>。ここ4年、<520>→<255>→<171>→<94>とものすごい出世の、名誉なことだというのに。「9」と「4」は日本人の一番嫌う二つの数字で、今年は「苦しんで死ぬ」みたいだ、と、<171>(居ない)だった昨年同様、欠場のいい言い訳になると面白がっていた。

欠場のつもりだったけれど

11月の浜村杯秋穂ロードレース欠場記で述べたように、今年は貧血が昨年ほどには思うように回復してくれない。治療を開始したのは昨年よりも早い時期であるのに、回復は遅れている。

昨年は12月初旬から回復の手応えを感じるようになっていた。10日前に自分なりに実施したテスト走で、まずまずのスピードが戻っていることも確認できた。今思えば、昨年は最後まで出るつもりでいた。あきらめていなかった。気持ちを切らさなかったことが何より回復を早めていた。1年前のこの時期が本当に昨日のように思い出せるのだが、今年は12月に入ってもなおまだ依然として身体は重く、硬い。

先週日曜日の維新公園外周では、ここをホームコースとするSさんが、いつもよりかなり速いペースで走っておられた。冷たい風の中をTシャツ、ランパン姿の、シューズも本番用で。「ああ、防府へ向けた最後の調整なんだな」と一目で分かった。きっちりとペースを確認しながら、苦しそうな様子も見せず、とても調子が良さそうだった。僕も決してジョグしているわけでない、遅いペースで走っているつもりはないはずが、1周1kmの周回コースを1時間強の間に3度も追い抜かれてしまう。スピードはおろか、僕はいつになれば長い距離を走れるようになるのだろう、と少々、焦りも感じる。この分だと残り2ヶ月を切った別大もそう簡単にはゆかないだろうと思えてくる。

年齢と年度とが重なり、1つ年齢を重ねる前の年度末までに、つまり年度間に1本はフルを走りたいと考えている自分にとって、冗談ではなく、2月の別大もパスして3月のフルのレースを探してみようと思い始めていた頃だった。

10日前に翻意、決意

それが大会10日前の12月4日、木曜日。一転、出ようという気持ちになった。

この日、突然、僕の前にやって来られた方とお話をする。今度の大会についての話をしているうちに何だか「出ざるを得ない」状況になってゆき、そして、話しながら次第に「出ることにしよう」という心境に変わっていった。

初めての方であったけれど、話ができたことが嬉しかった。話ができたことが嬉しくて出場を決意した、というのも変だけれど、先週、掲載した羊の本棚の『四つの終止符』にもあるように、きこえない僕は、誰かとこんなふうに話をするという機会がほとんどない。だから「人と話をする」、しかも、それが初めての方で・・・ということが、とても珍しくて嬉しく感じられたのだ。それで、欠場するつもりの自分の中で流れががらりと変わった。

話ができたことも嬉しかったし、そして、こんな風に自分の気持ちが変わったことも嬉しい。体調が回復しない、走れない停滞期に沈んでいた自分の気持ちを変えてくれた。きっかけを与えてもらった。自分一人では抜け出せない時期だったと思うし、自発的にこうした心境になることもなかった。これは不思議な出来事だと思ったし、この縁は大切にしたいと思った。

思えば、初マラソンは30歳を直前にしての記念のつもりだった。3年前、初めてこの大会に出場できた、スタートラインに立てたときの感激も忘れられない。ランナーにとって“サブスリー”は何よりの憧れで目標。きっと今回の出走選手にも「サブスリーを果たして初めての防府読売マラソン」の夢をかなえた人は多いはず。2年前は真人さんに「別大で会おう」と誘われたことに奮起して、40分を切ることができた。そして今年2月の別大は、防府を欠場した無念さがあった分、喜びもひとしおだった。

それぞれを思い出すと、こうして、いつも何か心に期するものを抱えてスタートラインに立つのがマラソンという競技なんだ。

単細胞ゆえ、気持ち次第

もちろん、気持ちだけで走れるほどマラソンが生やさしいものでないことも分かっている。思うように練習できなかった上に、今のこの体調では、どこまで走れるか分からない。関門をクリアできるかどうか、完走できるかどうかもあやしい。ナンバーカードが示すとおり、後半はきっと地獄を見そうな気がする。悪くない体調のときでさえ、後半つぶれた、撃沈した経験は何度もあるから、今の体調での出場は考えるだけで怖い。出ようと決めた日の夜は、寝床の中で不安が大きくなり寝付けなかった。

10日前、残り9日でできることは限られている。マラソンという極めてハードな競技、種目を9日で何とかしようというのは到底、無理なこと。通常なら、2、3週間前から調整に入る。徐々に練習量を落として体調を引き上げてゆく時期だ。

いざ出ると決めたら、「一度は30kmを走っておきたかった」「ペース走をしておきたかった」「インターバルも何度か入れたかった」・・・、消化したかったメニューはたくさんある。けれど、もちろん今年の僕にそのセオリーは通用しない。

まずは、気持ちだけ高まっていても、身体の方がついてきていない状態を目覚めさせる必要がある。覚悟を決めて荒療治に取りかかる。先週のSさんを見習って、土曜日、僕もブレーカーを脱いで10kmのペース走(そして、この日もやはり、Sさんは走っておられた)。ペース走というより、今の僕にはほぼ全力走に近く、相当苦しかったけれど、久しぶりの軽装とこれも3ヶ月ぶりの軽いシューズとで、ちょっと身体も軽くなってくれた気がする。

今日、日曜はTVで福岡国際マラソンを観戦。アテネ五輪代表選考を賭けているだけに日本人選手の争いが熾烈な、実に見ごたえのあるレースだった。地元カネボウの高岡選手は残念だったけれど、優勝した国近選手も光市の出身。山ちゃんの後輩らしい。僕にとっても、初めてレースというものを走った1991年の岩日駅伝で、当時、光高校生だった彼と同じ4区の最長区間を走ったことを覚えている(同じといっても、区間新の彼は当時から駿馬。僕はその他、名もなき大勢の一人)。

観戦後の興奮冷めないうちに、昨日に続き、維新公園へ練習に向かう。昨日の久しぶりの刺激で脚はがちがちに固まっていたけれど、我慢して今日はまたセオリー無視の2時間走。普通の選手なら数日前にはしないと思うけれど、来週半ば、もう一度、長めに走るつもりだ。

初心を思い出して

とにかく、自分の中で大きく気持ちが変化した嬉しさを何より大切にしたい。マラソンは誰も助けてくれない、一人で走る競技のようにみえるけれど、案外、そうではない。29歳の初マラソンで感じたように、いつも目に見えない何か大きな力が後押ししてくれるもの。

4年前と3年前の「完走記~防府読売マラソン」も読み返した。自分のホームページなのに、読むのはうんと久しぶりのこと。今の自分にはすっかり失われてしまっている、4年前の初出場のときの感激を思い出す。うぶだった、新鮮だった気持ちの自分がいたことに気付かされる。あの頃の心境が生々しくよみがえる。「初心忘るべからず」というとおり、今一度、あのときの初心に戻らなきゃなと思う。

招待選手、一般参加選手合わせて今年のエントリーは561人。初出場の喜びを胸に抱えている人、まずは完走を目標とする人、記録を狙うランナー、自己ベスト更新を目指す者、雪辱に燃える者・・・。皆、それぞれの思いを抱えてやって来るはず。混じって僕も、突如、自分の中に湧き起こった気持ちを胸に、来週、スタートラインに立っていたいと思う。



 

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