第52回別府大分毎日マラソン

風に乗って復活

果たしてスタートラインに立つことができるか? 完走できるのか? 昨年末の防府読売欠場を決めてから不安と緊張がずっと続いていたけれど、終わってみれば自己ベストを6分以上縮める大躍進のタイム。

ゴール後、大分市営陸上競技場を後にして大分駅に向かう。晴れ渡った青空の下、昨年は10mさえ歩けなかった大分川河川敷を気持ちよく歩けた時の爽快感は最高のものだった。翌々日に迎える立春を先取りするような春の光を浴びて心も穏やかな陽気で満たされた。

防府読売を貧血で欠場した自分にとって、雪辱のレース。

貧血が判明した10月末にはまだ、12月15日の防府読売には間に合うだろうと思っていたのだがこれは甘かった。貧血の治療には何より時間が必要。無念さをかみしめつつ別大にスライドすることでやむなし、の考えに至ったのだが、それでもそのときは「2ヶ月あれば充分、間に合うだろう。もう一度トレーニングも組み立て直して臨めるだろう」と思っていた。ところが、これまた甘い考えだった。貧血は一応改善していったものの、それですぐに元通り走れるようになるわけではない。今度はケガとのたたかいが続く。

当然ながら貧血で走れなかった、走るのを抑えていた治療中は筋力が衰えている。貧血の改善を確かめつつ、そろそろ強度を上げてゆこうとするのだが、このとき、身体にはこれまで以上の負担がかかってくる。時間をかけて慎重に、ちょっとずつ筋力を取り戻してゆかねばならないところ、走るに走れなかった焦りも手伝って「徐々に」ということができない。

12月に入ってから右膝の鵞足炎、左膝に亜脱臼、右アキレス腱痛、ハムストリングスの慢性的な痛みが一層強くなる・・・とケガが頻発した。とどめは、年末に陸上部で行った中国山口駅伝に向けての15kmT.T。前日、アキレス腱に違和感を感じていた、やめとけばいい状態であるのに走ってしまう。タイムトライアルだからとつい、力が入った。それで決定的に悪化させてしまった。今年は9連休という長い正月休みの恩恵を授かるはずだった、この休暇を利用してしっかり走り込もうと思っていたのに、全く走れない激痛に変った。意気込んでいた練習計画を自ら棒に振ってしまった。自制心のない自分を強く悔いた。

ひとつのケガが治るか治らないかのうちに、次の故障が発生していつまでも思う練習ができない。こうして、一流ランナーは引退を決める、一線を引いてゆくのだろうな、ということが僕のレベルでさえも実感できた。

年男としてのスタート早々、ケガとの対処を学ぶこととなった。長い9連休、身を潜めずにいられなかったことでいやでも我慢することを課さねばならなかった。このままでは中国山口駅伝の出場さえ危うい。ここに至ってもう、"トレーニング計画"という考えを捨てた。とにかくケガを治すことだけに専念せねば。

アキレス腱痛と思っていたのは実はシンスプリントとの併発のようであった。思い切って一週間休んだことで(この意味で9連休はまさしく連続休養となった)、何とか回復することができた。おかげで1月中下旬にかけて、市駅伝、中国山口駅伝と調子を上げてゆけた。もちろん、思うように走りこめなかった分、スタミナにはどうしても大きな不安を残す形となった。正直、雪辱どころか、完走できるかどうかさえ非常に厳しい。自信はない。でも、防府を欠場したこと、暗い気持ちで過ごした正月のことを思えば、ケガが回復し、スタートラインに立てるだけで嬉しい。中国山口駅伝を快走できたことでも、随分と力が湧いてきていた。

恐るべし集団の力

スタートラインに立てた嬉しさの次の目標は、何とかして完走し再び競技場に戻ってくること。練習不足によるスタミナ不安、そして関門を気にし過ぎるあまり前半のオーバーペースから後半、大失速した昨年の手痛い失敗経験があるから、今年は前半を極力抑えてゆこうと決めていた。別大にはお決まりの「風」対策。前半は集団について力を温存し、後半に備える──。招待選手、一般選手に共通のセオリーにしたがって。

昨年程ではなかったけれど、今年も風は強い。別府湾から吹き付ける風の強さがどれほどのものか、今年あらてめて思い知らされたのは、当日朝、大分へ向かう日豊本線の電車から見た木々の姿。海沿いに伸びる木々は、風でなびいているのではなく、幹ごと別府から大分方向へ傾いているのだ。ピサの斜塔が一列に並んでいるかのように。

入りの5kmを17:43で通過。「もっと抑えていい」──意識的にペースダウンする。10kmは35:51(ラップ18:08)。昨年はここで10kmの当時自己ベストさえを上回ってしまい、その後の走りが滅茶苦茶になった。初出場の一昨年、50回記念大会は夢の中にいた。例年通りの関門制限に戻された昨年はがむしゃらに走った。景色が見えていなかった。けれども今年は余裕を持ってゆけている。昨年の走りをはっきりと覚えている。「そう、ここが落ちていったところ。あそこが追いついた場所」。

しばらく数人の集団で走っていると15km手前、後方からの集団が追いついてきていることに気付く。ふと見るとかなりの数の選手がいる。後ろを振り返って確認したわけではないが、横目で見るだけでざっと40~50人はいるのではないかと思えた。ものすごい集団。

完走を目指すレベルの選手にとって一番の難関が、13時33分に締められる第一関門の25km。ここまで3分43秒/kmのペースが求められる。2時間37分の僕の自己ベストタイムをイーブンで走っていては引っかかってしまう計算だ。でも今年、僕が「大丈夫」と確信していたように、この集団も計ったように計算通りのペースで進んできている。そう、「向かい風の前半25km関門はぎりぎりで通過できればいい。ここで焦ってはダメ」。──それが別大で完走するランナーにとってのセオリー。例年、完走率は6、7割。この数十人の大集団を境にして、後ろの選手らが最初の25km関門に阻まれてしまう無念さをかみしめることとなる。

この大集団は前方の選手を一人また一人と次々に飲み込んでゆく。50m先を走る選手の背中は、まさしく獰猛な蛇に睨まれた蛙の後姿。あっという間に追いつき、アメーバのように増殖してゆく。誰か特定のリーダーが集団を引っぱるのではなく、むしろ、後方を走る選手が前方の選手を強烈に突き上げてゆくような進み方。ラグビーのスクラムを思わせた。面白いように前方の選手に追いついてゆくのだ。

駆け引きというのではないけれど、周囲をうかがう、観察する余裕もあった。大集団ではスペシャル・ドリンクをつかみにくいのが唯一の難点。一般参加選手のスペシャルは、ナンバーカードの一桁数字で分けて置かれる。<272>番の僕なら、「102、112、122、132、・・・、322」の選手らと同テーブル。スペシャルが近付く地点では、一桁が同番台の選手とは離れるように注意する。お互いが取りやすくするためのマナーだろう。そのつもりが、21kmのドリンク地点ではテーブルの直前で<2*2>の選手に割り込まれる。この選手にはその前から肘がよくぶつかっていたから相当ムッときてしまった。まあでも、僕も今回は大人になった。我慢をいいきかせた。飛び出さないようにも努めた。折り返し地点が近付くと、向かい側対抗車線にある次の26km地点のテーブル上のどの位置に、自分のドリンクが置かれているのか、折り返す前から確認しておく余裕もあった。

大集団には30代、40代選手のベテランが多いことも気付いた。ベテランは別大を完走するペース配分というものを身体に染み込ませて知っている。よく言われるようにマラソンはスピードだけではない。年齢を重ねた経験が時には強力な武器にもなってくる。今回の僕がそれを証明できたかもしれない。翌日の新聞で初めて気付いたことがある。山口県からエントリーした8人のランナーは──4位に食い込んだカネボウの佐藤選手は別格として──3人が完走した。この3人、実は先週の中国山口駅伝で皆が同じ2区を走ったという、面白い偶然を共有している。25歳、30歳、35歳とこれも偶然、5歳刻みの年齢で、駅伝もこの順位。ところが、今回のレース順位はきれいに逆転した。スピードでは歯が立たなくとも、マラソンでは勝てることがある(たった一度だけのことかもしれないにせよ)。

後半、破竹のスパート

うまく力を温存したまま折り返して26km、まだ集団から抜け出すつもりは全くなかったけれど今度は確実にドリンクをつかみたい思いで集団の前に立つ。27km、28km、意を決して抜け出す。同じ考えをもった選手3人で並走する。また抜け出す。30km、昨年もここまでは持ったところ。マラソンはここから。力を入れるのはまだ早い。防府が初マラソンだった古林君には「30kmで残り12kmだとは思わない方がいいよ」とお節介なアドバイスをしていた。でも今日の僕は行けそうだ。「残り12kmしかない」と思えた。自分が嘘つきだと思った。

前方の選手が次々に落ちてくる。「去年の自分」だ。やがて100番台のナンバーカード選手にも追いつき、追い抜いてゆく。後方から一時的に抜かれたのは一人だけ、300番台の若い選手。彼も速く、いったん先に行かせる。

残り5kmの表示。完走狙いとはいっても「願わくば・・・」と一縷の望みを持っていた、意識にあった「2時間30分」。さすがにこれは無理そうだとあきらめる。その分、昨年は最後の7kmに32分を要した、怒涛のごとく70人に抜かれた。その苦いトラウマを払拭したい思いがあったから、今年は倍にして返す思いで抜きまくった。

40km県庁前
40km県庁前

舞鶴橋を折れて競技場へ入るまでの大分川横の通り。ここは実は前半の向かい風以上に一番風の強いところ。距離にしてほんの数百メートルでも順位は大きく入れ替わるから、各選手も死闘を尽くす。競技場に入ってゴールの電光掲示板を見やると、2時間30分を回っている。この分なら「ろう者記録」を更新できるかもしれないことを思い出す。「あれは何分だったか・・・」更新できるか出来ないかの瀬戸際というのに、覚えていないバカな自分。「確か去年のMさんが32分であと一息だった。ということは、31分台のはず」「2時間31分・・・何秒だろう・・・」全力でトラックを駆けながらも頭の中は案外回るもんだ。

自己ベストを出した上でこれ以上望むのは欲が深過ぎるともいえるけれど、例によって終わったら何とでも言えるレースの反省。後半のハーフのタイム差が前半を3分上回るのは、いくら風がある別大とはいえ力の温存し過ぎ。結果的に、今回の前半、抑え過ぎたレース運びは失敗だったともいえる。適切なペース配分ができていれば、2時間30分も見えていたろう。ゴールして他の選手が皆、へたり込む、倒れ込む中、フィールドの芝があまりに青く気持ちよさそうだったからジョグしていた(シューズまで脱いで)のは僕くらいだった。力を残してしまった。悔やまれなくもないが、「スタートラインに立てるだけで」と思った正月休みを思えばやはり幸せだ。それと、後半抜きまくったのは快感だった。飲み込まれた大集団の大きな胃袋の中にいたことを感謝しなくては。

  • エントリー265名 出走者222名 完走者138名(完走率62.2%)
  • スタート時の天候:くもり  北の風2.6m  気温6.7度


 5k:   17:43
10k:   35:51(18:08)
15k:   54:32(18:41)
20k: 1:13:12(18:40)
 (half: 1:17:17)
25k: 1:31:35(18:23)
30k: 1:49:36(18:01)
35k: 2:06:55(17:19)
40k: 2:23:59(17:04)
FIN: 2:31:30( 7:31)


 

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