第52回別府大分毎日マラソン

2003/02/02 大分市営陸上競技場発着


開会式会場
開会式会場

目次

風に乗って復活

果たしてスタートラインに立つことができるか? 完走できるのか? 昨年末の防府読売欠場を決めてから不安と緊張がずっと続いていたけれど、終わってみれば自己ベストを6分以上縮める大躍進のタイム。

ゴール後、大分市営陸上競技場を後にして大分駅に向かう。晴れ渡った青空の下、昨年は10mさえ歩けなかった大分川河川敷を気持ちよく歩けた時の爽快感は最高のものだった。翌々日に迎える立春を先取りするような春の光を浴びて、僕の心も穏やかな陽気で満たされた。

防府を終えてこその正月、の思いが強かった僕は、別大へのスライドを決めてからというもの、さながら、同じように正月気分に浸る余裕のない受験生の心境であった。ものすごいこじつけになってしまうが、今年は二月一日が旧正月。そして例年、立春の時期に重なる別大マラソン。ようやっと僕もこれで持ち越した正月を遅れて迎え、そしてさらに一挙に一足早い春を実感することとなった。

誤算続き

防府読売を貧血で欠場した自分にとって、雪辱のレース。

貧血が判明した10月末にはまだ、12月15日の防府読売には間に合うだろうと思っていたのだがこれは甘かった。貧血の治療には何より時間が必要。無念さをかみしめつつ別大にスライドすることでやむなし、の考えに至ったのだが、それでもそのときは「2ヶ月あれば充分、間に合うだろう。もう一度トレーニングも組み立て直して臨めるだろう」と思っていた。ところが、これまた甘い考えだった。貧血は一応改善していったものの、それですぐに元通り走れるようになるわけではない。今度はケガとのたたかいが続く。

当然ながら貧血で走れなかった、走るのを抑えていた治療中は筋力が衰えている。貧血の改善を確かめつつ、そろそろ強度を上げてゆこうとするのだが、このとき、身体にはこれまで以上の負担がかかってくる。時間をかけて慎重に、ちょっとずつ筋力を取り戻してゆかねばならないところ、走るに走れなかった焦りも手伝って「徐々に」ということができない。

12月に入ってから右膝の鵞足炎、左膝に亜脱臼、右アキレス腱痛、ハムストリングスの慢性的な痛みが一層強くなる・・・とケガが頻発した。とどめは、年末に陸上部で行った中国山口駅伝に向けての15kmT.T。前日、アキレス腱に違和感を感じていた、やめとけばいい状態であるのに走ってしまう。タイムトライアルだからとつい、力が入った。それで決定的に悪化させてしまった。今年は9連休という長い正月休みの恩恵を授かるはずだった、この休暇を利用してしっかり走り込もうと思っていたのに、全く走れない激痛に変った。意気込んでいた練習計画を自ら棒に振ってしまった。自制心のない自分を強く悔いた。

ひとつのケガが治るか治らないかのうちに、次の故障が発生していつまでも思う練習ができない。こうして、一流ランナーは引退を決める、一線を引いてゆくのだろうな、ということが僕のレベルでさえも実感できた。

めでたいはずの正月を暗い気持ちで過ごす羽目となった。嬉しいはずの9連休がかえってつらかった。ますます焦りが強くなった。大分行きの切符と宿を手配する一方で、同時にキャンセル料の確認もしておいた。またしてもエントリーしながら欠場か・・・と覚悟させられた。

スタートラインに立てるだけで

年男としてのスタート早々、ケガとの対処を学ぶこととなった。長い9連休、身を潜めずにいられなかったことでいやでも我慢することを課さねばならなかった。このままでは中国山口駅伝の出場さえ危うい。ここに至ってもう、"トレーニング計画"という考えを捨てた。とにかくケガを治すことだけに専念せねば。

そんなとき、真人さんからメールが来る。正月休みに250km走り込んだとのこと。昨年の強風の中の別大を初出場ながらも大幅な自己ベストの更新でゴールした彼は、遠方の大会ゆえに今年は別大への出場を見合わせた。代わりに照準を当てているのが翌週の勝田マラソン。そこに向けての順調な仕上がりぶりを知ると、僕の方は自信をなくしてしまった。まあでも、比べても仕方ない。彼は徹底的に走り込んで調子をあげてゆくタイプ。僕は過去一番に走りこんだつもりの今シーズもついに400kmを超えたのが10月の一度だけに終わった。「故障しないで練習をこなせる」というのがマラソン競技者にとって一番の才能。その意味でも彼にはかなわないと思う。とりあえず今年の僕は完走できればいい。別大は昨年も一昨年もそうだったように。

アキレス腱痛と思っていたのは実はシンスプリントとの併発のようであった。思い切って一週間休んだことで(この意味で9連休はまさしく連続休養となった)、何とか回復することができた。おかげで1月中下旬にかけて、市駅伝、中国山口駅伝と調子を上げてゆけた。もちろん、思うように走りこめなかった分、スタミナにはどうしても大きな不安を残す形となった。正直、雪辱どころか、完走できるかどうかさえ非常に厳しい。自信はない。でも、防府を欠場したこと、暗い気持ちで過ごした正月のことを思えば、ケガが回復し、スタートラインに立てるだけで嬉しい。中国山口駅伝を快走できたことでも、随分と力が湧いてきていた。

別府入り、3度目の別大

別大へは結果的に3年連続3度目の出場。記録を狙うなら、開催時期、気象条件、フラットで風のないコースの走りやすさ・・・等、地元防府の方が絶対にいい。防府と別大は開催時期が近過ぎることもあり、走るなら防府ひとつで充分と思っているのだけれど、別大も旅の面白さがあるから捨て難い。

一年一度の大分への旅が慣れてきて、「昨年もそうだったよな」と一年前、二年前の懐かしさがよみがえってくる。ソニックで別府入りし、これも昨年と同じ宿の「つるみ荘」。今年からは開会式がなくなったので、先にチェックインしてから受付会場のビーコン・プラザに向かおうとすると・・・、向こうからダッシュしてくる2人のランナー。僕には一目で分かった。同じく昨年、ここに泊まられていた大阪府庁の方。お揃いのチームウェアで前日の調整も抜かりない。颯爽と流されている姿に「すごい」と感心。すれ違うとき「こんにちは」と挨拶もされた。さすが大阪の人は明るくて気さくだ。

ちなみにレース当日に見た大阪府庁のランシャツ・ランパン、昨年は白地ベースだったはずが、今年は全身蛍光オレンジに変わっていた。蛍光イエローの山口県庁に劣らず異常な鮮やかさが飛びぬけて目立っていた。「もしや、張り合っているのか・・・」。昨年大失速した40km手前で追い抜かれたことをはっきりと覚えていることもあって、これは一層負けられないと思った。

わが山口県庁も負けずに来年以降は複数でエントリーして乗り込まねば! 今回また激励のメールをくれた古林君、松井君は必ず出場資格を取れるはず、と信じているから。

一年一度の心に期するレースには髪も刈ってさっぱりとしてから臨みたい。防府でも毎年、前日の受付を終えてから実家近くの行きつけの床屋に行くことにしている。今回の別大前にはそれができずに気になっていたところ、ちょうど別府駅前に安い美容院があったので妻と立ち寄る。いつものおっちゃんに刈ってもらえない申し訳なさと、頭を後ろに倒しての美容院式洗髪とにとまどいと不安を感じたけれど、2人とも充分美男美女(?)にしてもらえた。前日に行う調整は、僕の場合、流し走でなく理髪で気持ちを引き上げる。

恐るべし集団の力

スタートラインに立てた嬉しさの次の目標は、何とかして完走し再び競技場に戻ってくること。練習不足によるスタミナ不安、そして関門を気にし過ぎるあまり前半のオーバーペースから後半、大失速した昨年の手痛い失敗経験があるから、今年は前半を極力抑えてゆこうと決めていた。別大にはお決まりの「風」対策。前半は集団について力を温存し、後半に備える──。招待選手、一般選手に共通のセオリーにしたがって。

昨年程ではなかったけれど、今年も風は強い。別府湾から吹き付ける風の強さがどれほどのものか、今年あらてめて思い知らされたのは、当日朝、大分へ向かう日豊本線の電車から見た木々の姿。海沿いに伸びる木々は、風でなびいているのではなく、幹ごと別府から大分方向へ傾いているのだ。ピサの斜塔が一列に並んでいるかのように。

実はもうひとつ不安があったのは、3日前に突然あらわれた左足スネの痛み。正月休みを棒に振った右足が癒えたと思ったら今度はまた左足・・・。はたして42km持ちこたえてくれるのか? 途中で疲労骨折してしまわぬか? 一層不安がかき立てられていたから余計に慎重になった。前半を思い切り抑えたこの走りが想定外の自己ベストを生んだという意味では良く作用し、また、結果的には少し残念にもはたらくこととなった。

入りの5kmを17:43で通過。「もっと抑えていい」──意識的にペースダウンする。10kmは35:51(ラップ18:08)。昨年はここで10kmの当時自己ベストさえを上回ってしまい、その後の走りが滅茶苦茶になった。初出場の一昨年、50回記念大会は夢の中にいた。例年通りの関門制限に戻された昨年はがむしゃらに走った。景色が見えていなかった。けれども今年は余裕を持ってゆけている。昨年の走りをはっきりと覚えている。「そう、ここが落ちていったところ。あそこが追いついた場所」。

11kmロイヤルホスト、山銀前
11kmロイヤルホスト、山銀前

10kmを過ぎ、各選手が自分の居場所を見つけて落ち着こうとする頃、なお僕はひとりマイペースで走る。前方の集団からも引き離されてゆく。でも焦りは全く無い。県庁前を過ぎ別府に向かう国道に乗ると早くも冷たい向かい風が吹き付けてくる。身体は一向にあたたまらないが自分にいいきかせる。「風とは争わない」「まだ落としても大丈夫」。

しばらく数人の集団で走っていると15km手前、後方からの集団が追いついてきていることに気付く。ふと見るとかなりの数の選手がいる。後ろを振り返って確認したわけではないが、横目で見るだけでざっと40~50人はいるのではないかと思えた。ものすごい集団だ。

完走を目指すレベルの選手にとって一番の難関が、13時33分に締められる第一関門の25km。ここまで3分43秒/kmのペースが求められる。2時間37分の僕の自己ベストタイムをイーブンで走っていては引っかかってしまう計算だ。でも今年、僕が「大丈夫」と確信していたように、この集団も計ったように計算通りのペースで進んできている。そう、「向かい風の前半25km関門はぎりぎりで通過できればいい。ここで焦ってはダメ」。──それが別大で完走するランナーにとってのセオリー。例年、完走率は6、7割。この数十人の大集団を境にして、後ろの選手らが最初の25km関門に阻まれてしまう無念さをかみしめることとなる。

僕が早い段階での餌食だったように、この大集団は前方の選手を一人また一人と次々に飲み込んでゆく。50m先を走る選手の背中は、まさしく獰猛な蛇に睨まれた蛙の後姿。あっという間に追いつき、アメーバのように増殖してゆく。誰か特定のリーダーが集団を引っぱるのではなく、むしろ、後方を走る選手が前方の選手を強烈に突き上げてゆくような進み方だった。ラグビーのスクラムを思わせた。こんなレースは初めてだ。走っていて背筋が寒くなった。同時にゾクゾクするほどの興奮を覚えた。何しろ面白いように前方の選手に追いついてゆくのだ。

25kmで折り返した先行選手らとすれ違う。皆、一様にこの大集団を奇妙な目つきで見る。そして一方、僕は、集団のばらけた彼らの顔に浮かぶ疲労の色をはっきりと見て取る。そして思う。──「昨年の僕がいる」。時折、前後左右の選手と肘や足がぶつかる大集団の中では、転倒だけに注意しようと意識を集中しつつ、折り返し25km過ぎまでじっと身を潜めた。

経験の強み

「3度目の正直」「石の上にも3年」。3年経験することで開眼したのか、今年はマラソンという競技に「経験」のもたらす強みというものを強く実感した。落ち着いていた。2度走ってもまだうろ覚えだったコースをようやく飲みこめた。つかんだ。

集団を走っている時に思ったこと。なぜだか今回、異様に背の低い選手ばかりが目立ったこと。他の大会では思わないことだ。168cmの僕より低い選手も多い。最初ついた小集団は皆、170cm足らず。僕もそうだけれど、身長が高ければそれだけで他のスポーツ競技には有利に働くことを思い知らされているから、やはり、マラソンには自分の生きる道を見つけようとする背の低い人間が流れてくるのだろうか。大集団になるとさすがにそんなこともなくなったけれど、そうすると160cmちょっとの低い選手は集団の中にすっぽりと埋もれてしまう。強い風を受ける別大には、低い背丈というのが逆にこの上ない好条件ともなる。今回優勝のラマダーニ選手も160cmであった。

こうして駆け引きというのではないけれど、周囲をうかがう、観察する余裕もあった。大集団ではスペシャル・ドリンクをつかみにくいのが唯一の難点。一般参加選手のスペシャルは、ナンバーカードの一桁数字で分けて置かれる。<272>番の僕なら、「102、112、122、132、・・・、322」の選手らと同テーブル。スペシャルが近付く地点では、一桁が同番台の選手とは離れるように注意する。お互いが取りやすくするためのマナーだろう。そのつもりが、21kmのドリンク地点ではテーブルの直前で<2*2>の選手に割り込まれる。この選手にはその前から肘がよくぶつかっていたから相当ムッときてしまった。まあでも、僕も今回は大人になった。我慢をいいきかせた。飛び出さないようにも努めた。折り返し地点が近付くと、向かい側対抗車線にある次の26km地点のテーブル上のどの位置に、自分のドリンクが置かれているのか、折り返す前から確認しておく余裕もあった。

ちなみにスペシャル・ドリンクは全選手が用意するわけではない。全選手が用意したら今回の場合、1つのテーブルに25個並んでしまうわけでちょっと見分けられない。見分けがついたとしても取るのはかなりしんどい。僕のあてずっぽうな推測でいうなら、欠場者もいるから、多くて6割の選手数分程度が置かれてるんじゃないかと思う。選手が自分で用意するスペシャルでなくても、主催者の用意するミネラルウォーター、スポンジ、そして明治乳業の「ヴァームウォーター」が置かれるから全く心配は要らない。僕は今回、「アミノサプリ」を水で薄めたものを置いたけれど、変に考えたものを作るより「ヴァームウォーター」で充分だと思った。この点も別大のいいところだ。防府にも明治乳業が協賛してくれることを願う。

大集団には30代、40代選手のベテランが多いことも気付いた。ベテランは別大を完走するペース配分というものを身体に染み込ませて知っている。よく言われるようにマラソンはスピードだけではない。年齢を重ねた経験が時には強力な武器にもなってくる。今回の僕がそれを証明できたかもしれない。翌日の新聞で初めて気付いたことがある。山口県からエントリーした8人のランナーは──4位に食い込んだカネボウの佐藤選手は別格として──3人が完走した。この3人、実は先週の中国山口駅伝で皆が同じ2区を走ったという、面白い偶然を共有している。25歳、30歳、35歳とこれも偶然、5歳刻みの年齢で、駅伝もこの順位。ところが、今回のレース順位はきれいに逆転した。スピードでは歯が立たなくとも、マラソンでは勝てることがある(今回たった一度だけのことかもしれないにせよ)。

後半、破竹のスパート

うまく力を温存したまま折り返して26km、まだ集団から抜け出すつもりは全くなかったけれど今度は確実にドリンクをつかみたい思いで集団の前に立つ。27km、28km、意を決して抜け出す。同じ考えをもった選手3人で並走する。また抜け出す。30km、昨年もここまでは持ったところ。マラソンはここから。力を入れるのはまだ早い。防府が初マラソンだった古林君には「30kmで残り12kmだとは思わない方がいいよ」とお節介なアドバイスをしていた。でも今日の僕は行けそうだ。「残り12kmしかない」と思えた。自分が嘘つきだと思った。

前方の選手が次々に落ちてくる。「去年の自分」だ。やがて100番台のナンバーカード選手にも追いつき、追い抜いてゆく。後方から一時的に抜かれたのは一人だけ、300番台の若い選手。彼も速く、いったん先に行かせる。

35km関門
35km関門

いったんつぶれてしまうと追い風も下り坂もそれと感じられない。それが今年は後半、はっきりと追い風を背中に感じてペースをあげることができた。その上、30km過ぎ「ここはなだらかな下りになってるじゃないか」ということまで"発見"した。傾斜が「見えた」。35km、昨年は完全につぶれたところを今年は全力で突っ走る。別府湾を抜け大分市街に入る。沿道の応援が増えてゆく。

残り5kmの表示。完走狙いとはいっても「願わくば・・・」と一縷の望みを持っていた、意識にあった「2時間30分」。さすがにこれは無理そうだとあきらめる。その分、昨年は最後の7kmに32分を要した、怒涛のごとく70人に抜かれた。その苦いトラウマを払拭したい思いがあったから、今年は倍にして返す思いで抜きまくった。

40km県庁前を過ぎる

妻の待つ県庁前、昨年に同じロイヤルホストの看板を探す。隣は偶然にも「山口銀行」だ。走りながら、「ロイホ、ロイホ・・・、ロイホはまだか」と唱える。真っ直ぐに伸びる直線コースが精神的にきつい別大、でも今年は数百メートル先まで視界に背中が見える限り一人残らず追いつき、追い越してやろうというモチベーションに転化されてゆく。舞鶴橋を渡って残り1km、やっと見えた!ナンバーカード<228>。スタート前の更衣室で、ライン色違いながら同じミズノの"ウェーブスペーサーGL"を履いていた選手(・・・だから、ではないけれど速そうに見えたんだ)。

舞鶴橋を折れて競技場へ入るまでの大分川横の通り。ここは実は前半の向かい風以上に一番風の強いところ。距離にしてほんの数百メートルでも順位は大きく入れ替わるから、各選手も死闘を尽くす。競技場に入ってゴールの電光掲示板を見やると、2時間30分を回っている。この分なら「ろう者記録」を更新できるかもしれないことを思い出す。「あれは何分だったか・・・」更新できるか出来ないかの瀬戸際というのに、覚えていないバカな自分。「確か去年の真人さんが32分であと一息だった。ということは、31分台のはず」「2時間31分・・・何秒だろう・・・」全力でトラックを駆けながらも頭の中は案外回るもんだ。

最後、第3コーナーで一人を追い抜き、<228>番選手に続いてゴール。それぞれ青と赤のラインのウェーブスペーサーGLが順に計4足ゴールラインを踏んだ。

自己ベストを出した上でこれ以上望むのは欲が深過ぎるともいえるけれど、例によって終わったら何とでも言えるレースの反省。後半のハーフのタイム差が前半を3分上回るのは、いくら風がある別大とはいえ力の温存し過ぎ。結果的に、今回の前半、抑え過ぎたレース運びは失敗だったともいえる。適切なペース配分ができていれば、2時間30分も見えていたろう。ゴールして他の選手が皆、へたり込む、倒れ込む中、フィールドの芝があまりに青く気持ちよさそうだったからジョグしていた(シューズまで脱いで)のは僕くらいだった。力を残してしまった。悔やまれなくもないが、「スタートラインに立てるだけで」と思った正月休みを思えばやはり幸せだ。それと、後半抜きまくったのは快感だった。飲み込まれた大集団の大きな胃袋の中にいたことを感謝しなくては。

2つのどんぴしゃり

今回、中国山口駅伝でわが陸上部が、例年、各選手に対して予想(期待)タイムを設定するのを真似して、僕も設定タイムを"2つ"作っておいてみた。「設定タイムA」と「設定タイムB」。5kmを18分で刻むAと、18分30秒で刻むB。


区分 5km 10km 15km 20km 25km 30km 35km 40km Fin
 A  18:00  36:00  54:00 1:12:00 1:30:00 1:48:00 2:06:00 2:24:00 2:31:30
 B  18:30  37:00  55:30 1:14:00 1:32:30 1:51:00 2:09:30 2:28:00 2:36:00
関門         1:33:00   2:11:00 2:33:00 2:40:00

もちろんA、Bいずれにせよ、イーブンペースで走れるはずはないし、そのつもりもない。僕自身の現実的なペース配分云々ではなく、ごく大雑把なもの。GTMailsで5km毎のラップタイムが携帯に配信される応援の妻のために、一応の目安としてメモして渡しておいたものだ。設定Bで走れたとしても25km関門はぎりぎりで、ゴールタイムは僕の自己ベストを上回る。現実的には最初の5~10kmを設定Aで入り、なだらかにBに移行し、さらにBを下回りながら完走できればいい、くらいに考えていた。

それが終わってみれば「設定タイムA」にどんぴしゃり。


結果  17:43  35:51  54:32 1:13:12 1:31:35 1:49:36 2:06:55 2:23:59 2:31:30

今年は昨年のような配信遅れもなく、リアルタイムで受信できたという妻は歓喜。大分駅でだご汁を食べながら差し戻されたメモを見て、僕も思わず吹き出してしまった。本人が設定タイムのことなどすっかり忘れていたものだから。

帰りのソニック車中から真人さんに結果を報告する。「おめでとう。ろう者記録だよ」と返信メールがやってくる。「そうか、抜けてたんだ・・・」と、こちらの記録にも喜んだ。ところが・・・、真人さんは僕が当然、前記録を知っていると思って詳しく言わなかっただけなのだろう、帰って調べてみると、記録を「更新」したのではなく、2時間31分30秒の同タイムで「並んで」しまったのだ。「すごい! そんなことってあるのか!」と驚嘆してしまった。1983年のタイムに並べるとは光栄なこと。最後のトラックであきらめずに力を振り絞っておいてよかった。

僕も必死で最後の競技場を駆け抜けたけれど、前保持者の目に見えない執念も残っていたんだろうな。2人の執念が激しくぶつかり合い、ぎりぎりのところで拮抗したんだと思うと、なぜだか愉快な気分になった。

ろう者長距離界に吹き始めた風

ろう者記録は5000m、10000m、マラソンの全てが1983年を最後にずっと破られていなかった。この間、日本の、世界の長距離界の進歩を思えばあまりに長過ぎる停滞期。ようやく今、その壁が崩れつつある。

昨年9月の仙台で僕が1万mの記録を19年ぶりに塗り替えてから、その後のハーフ、さらに一週間前に飛び込んできた朗報もあった──「大阪の泉さんが大阪国際女子マラソンで2時間53分56秒」。11月の東京国際で出した自己ベストを一気に7分以上縮める、そして文句なしの女子ろう者新記録。すごい! 彼女の快記録に真人さんも僕も発奮しないはずがなかった。今年度はろう者記録の連発だ。

そしてもう1つ、とどめは翌週の勝田マラソンを走る真人さんのはずだ。今回、僕が並んだタイ記録をきっと大きく塗り替えるだろう。泉さんの好記録に僕が乗せられたように、真人さんもうまくこの"風"に乗ってほしい。

ろう者長距離界はここ2年で急に活性化してきている。年齢的には充分ピークを通り越しているはずの皆だけれど、お互いの奮闘ぶりにどれほど力付けられていることか。よき仲間らと出会えた幸せを思う。

  • エントリー265名 出走者222名 完走者138名(完走率62.2%)
  • スタート時の天候:くもり  北の風2.6m  気温6.7度


 5k:   17:43
10k:   35:51(18:08)
15k:   54:32(18:41)
20k: 1:13:12(18:40)
 (half: 1:17:17)
25k: 1:31:35(18:23)
30k: 1:49:36(18:01)
35k: 2:06:55(17:19)
40k: 2:23:59(17:04)
FIN: 2:31:30( 7:31)

大会結果ページ(毎日新聞社)


あとがき

今回の別大は、貧血で走れなくなった、防府を欠場した、ケガが続いた、暗い正月を過ごした・・・と思いが強かった分、この完走記も随分と長くなってしまった。レースに出れない日々が続いては、「完走記」も足止めをくらうストレスもあったから。

僕のホームページを訪れてくれる人は、アクセスカウンタが示すとおり、全く多くはない。それでも、ごく少数ながらもいつも読んでくれている、「楽しみにしている」と言ってくれる仲間のいることが嬉しい。数人でも反応があることはとても嬉しい。今回の完走記もそうした仲間のことを特に思いながらキーボードを叩き進めた。

今回の別大前にも激励のメールをくれた陸上部の古林君と松井君には、本文中にも述べたように、きっと来年以降は大阪府庁に負けず蛍光イエローのユニフォームで大分に乗り込めるよう、願いを込めて。

僕と大分を結びつける接点として何よりもまず思い浮かべる旧友Aには、ランニングを趣味とする者でなければ面白くはないだろう、この「完走記」にも昔からそうだったように、いつもていねいに目を通してくれる感謝を込めて。

お互いの競技力向上に絶えず励まし合っている真人さんには、翌週の勝田マラソンでの快走を信じて。

そして一番の読者として、いつも笑いながら読んでいる妻のために。



 

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