第33回防府読売マラソン

2002/12/15 防府市陸上競技場発着

コンディショニングミスも実力のうち

「目指すレースにベストの状態で臨めるよう体調を合わさなければ何の意味もない。」

この言葉が突き刺さる。何よりこの大会に期するものがあって、ここまできたはずなのに、無念の欠場を決めた。

春先から好調だった。走れば自己ベストの連発で、5千、1万、ハーフで自己ベストを大きく更新した。決してそのレース(記録会)に照準を合わせていたわけではなく、目指していたわけでもない。調子の良いのは嬉しいことだが、自分としては、あくまでこの年末の防府に向けての通過点に過ぎないつもりでいた。

ところが、「好事魔多し」の言葉どおり、落とし穴が待っていた。10月末に貧血が判明し、突然走れなくなった。鉄剤を服用し、栄養を充分に摂り、練習量を抑え、と当然過ぎるリハビリを今さらながら行い、何とか大会に間に合わせようと回復に励んだが果たせなかった。貧血の度合いを示す血液検査のヘモグロビンは1ヶ月で驚くほど改善したものの、回復に3ヶ月~数ヶ月かかるというフェリチン(貯蔵鉄)はまだ圧倒的な不足状態であった。

もちろん、数値がどうこうで決めたわけではなく、最後まで出るつもりで迷っていた。10日前に自分で課したテスト走が思わしくなくて決断した。血液検査の数値は回復しても、それですぐに「走り」が元通りになるわけではない。やはり、一番大切な11月に走れなかったことは致命的だった。スピードが取り戻せないのはもちろん、何よりスタミナが決定的になくなってしまっていることを痛感した。

貧血が判明したからといってそれですぐにあきらめたわけではない。少々の貧血などいつもの状態だろうし、1ヶ月半あれば充分に間に合うだろう、その意味ではむしろ早く気付いて病院を訪れてよかったと思ったくらいだ。受診した11月初旬の週はまだ、かなりいいペースで走れていた。

ところが、それからがどんどん落ちていった。毎週のように走れなくなる。周回コースを走っていて、最初、思い切り抑えたジョグペースからビルドアップのつもりで走っていても、ちょっとずつ力を入れてゆくつもりでも、タイムはむしろ落ちてくる。昨日より、先週より、先々週より・・・という具合に悪くなってゆく。これにはこたえた。貧血それ自体は日常生活にはほとんど支障はないが、ジョグ程度でも悪化させてしまうものなのだろうか? 落ち込み、気分がふさぐ。絶対に出るつもりの気持ちを切らすまいと思っていたが、あまりのひどさに11月下旬頃、ついに本気で欠場を考えるに至った。

別大にスライド予定

「防府が無理でも2月の別大がある」──この考えが、目の前の苦難を先延ばしする甘えであることを重々自覚しつつ、僕としてはそこに救いを見つけるほかない。

防府は殊のほか、思い入れの強い郷里のレース。コース上には同級生、親戚の家もあれば、今年3月の実業団ハーフで再会した小学校の恩師や、古くの先輩、多くの知人が役員として名を連ねておられる。スターターは以前暮らした家の隣家の方でもある。18年間を暮らした街並みに身を置ける、走っていて本当に気持ちのいい空間なのだ。

防府を走り終えることで、クリスマスも正月も気持ちよく迎えることができる、一年の集大成という意味でも実によくできた師走のレースである。週の前半は雪が降るほどに冷え込んだ気温も、この土日は青空の広がる最高に気持ちの良い天気にもなった。

対して別大は・・・、防府より数段高いエリートレースであるがゆえに緊張感が一気に高まる。僕の走力では関門制限を気にしないといけない。2月の初旬という、一年で最も寒く冷え込む時期である。雨やみぞれの日が多い。別府湾からは容赦なく強い風が吹き付けてくる。レース1週間前に中国山口駅伝もある。・・・と、防府と比べると僕にはどうしても不利な材料が揃っている。昨年度、一昨年度は出場できることに感激していたけれど、防府と1ヶ月半しかあかないこともあり、防府を走るならもう別大には出ないつもりでいた。

でも今の僕には本当に救いとなるチャンスだ。貧血の回復に必要な時間の猶予があるという意味で何より好都合だ。何とか別大には体調を取り戻したいと思う。

走れるけれども、の選択

12月に入って一気に身体が軽くなった、最悪期を脱して走れるようになったときの嬉しさは大きかった。血液検査の数値も改善した。同じく貧血で苦しんだ5年前、調子が悪いながら毎月のように出ていたように、貧血は「痛み」という意味での故障と違い、走れないわけでは決してない。それでものすごく迷った。

「走れるのなら出るべきじゃないか」と。

ほんの2年前、初めてこの大会に出たときは、出場できるだけで感激していた。今年の別大も足の痛みを押して出た。そもそも、マラソンであろうがなかろうが、これまでは調子が悪いとか痛みがあるから出ないとかいうことはなかった。そのときのコンディションなりに出る、ベストを尽くすことが当然だった。「調子が悪いから出ない」などという選択肢はなかった。スタートラインに立てること、走れること、ゴールできることが何よりの喜びだったし、それが本来あるべき姿だろう。故郷の地で応援してくれる人がいるからには、タイムがどうとかではなく、走る姿を見せるだけでもいいんじゃないか。

それがいつの間にか、レースに臨む姿勢が変わってきている。「本調子でない=タイムはきっと悪い」ことを避けようとしている。悪い結果を恐れる弱気な気持ちが心の隅にある。これでは、春先からの好調が逆にあだになってしまった形だ。何だかひ弱になってしまったような自分が少し情けない。

同列に論じるのはおこがましいが、先月、走りたいけれども、そして、走れるけれども東京国際を欠場し、また、故郷岐阜での実業団女子駅伝を回避したQちゃんと同じだ。速い選手がよく欠場してしまうこと、また、レース途中であっさりと棄権してしまう一流選手の気持ちや悩みというものも分かるような気がした。

42.195kmが身体に与えるダメージの大きさはいやというほど分かっている。病み上がりの状態で耐え切れる自信もない。既に今、少しずつ距離を伸ばす練習を再開しつつある中で、これまで経験したことのない膝に痛みがでてきた。30代半ばという年齢のこともあろう。無理をしない方がいいことは事実だ。無理を押してがむしゃらに走ることで傷口を広げてしまうのとは別の、勇気ある撤退、賢明な決断も覚えてゆかねばならない。

「欠場することも勇気」と自分を慰めて、今回は耐えようと思う。


追記:当日、つけるはずだったナンバーカードも「171」(いない)であった。



 

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