シティマラソン福岡2002

2002/09/23 福岡ドーム発着

結婚式ついでに

この大会前日の22日、妻の高校時代の友人の結婚式に出席するために福岡へ出向く。妻の実家に泊まるから、ならば翌日のレースをもついでに楽しんで帰れるといいな、と思って申し込んでみたもの。ハーフの部は5千人の抽選枠ということだが、めでたく2人とも当選して当日を迎える。

これで7日の夕やけ、先週の仙台でのろうあ者体育大会と3週続けてのレース。先月末からの両足に頻発する痛みもあり、果たしてこの状態で出場すべきかどうか非常に迷う。でも、せっかく当選したものは出ておきたい。何より、大学5年間の青春時代を過ごした福岡の街を走ることができる機会は、実は初めてだ。就職後も福岡には頻繁に寄っているのに、これまで福岡市内のレースには出たことがなかった。志賀島を走る "さわやか健康マラソン" にも一度、エントリーしながら事情あって出そびれていたこともあったから余計に。

友人の披露宴は薬院にある立派なホテルの、すばらしく華やかで美しいものだった。この日が大安ということもあり、式場は各フロアで数組の宴が同時進行されている。それこそチャペルでは、分刻みで次々のカップルの式がとりなされてゆく。僕たちの結婚は、こういう宴を挙げなかったのだけれど、自分が結婚して客観的にながめられるようになると、やはり結婚式(と披露宴)というのは人生の一大イベントなのだな、という思いを強くする。

初めての福岡ドーム&ナンバーカード<89>

レース当日は妻のご両親もお誘いして一緒に出かけた。

コースは福岡ドームを発着として、埠頭近くを走り、大会を中継するKBC本社前を回る設定。ドーム周辺は、よかとピアの開催された1989年から一気に開発の進んだ地域だ。その昔、ドームができる前にプロ野球の開催されていたのは西鉄ライオンズが本拠地とした平和台球場。大学時代、リーグ戦で毎シーズン1、2度は平和台球場での試合が組まれ、僕も多少はプレーしたことがあるのだけれど、福岡ドームに入ったのは観戦も含めて初めての経験。当然といえば当然かもしれないけれど、ドームの人工芝は以前の平和台のそれよりかなり柔らかくなっているのだな、と思った。平和台では、内野で飛びついて捕ろうと思ったら、摩擦でやけどしてしまうほどの固さであった。

TVで見るのと同じようにドームは大きい。福岡国際は別格として、福岡ほどの大都市ではレースを開催することが難しいであろうことは容易に想像がつく。ハーフ、5km、車椅子の部と合わせて7千人の参加というのも、だからこそ、年にたった一度のこの大会に、レース出場に飢えた市民ランナーの参加が集中するのだろう。福岡市制100周年を記念して、平成元年から開催されているのだという。プロ野球もまだシーズン中の、福岡ドームを借り切るというのもすごい。

いつものレースの気分でのんびりしていたのは失敗だった。「そろそろアップでもしてから荷物を預けるか・・・」とのぞいてみると、既にドーム内はスタートを待つ選手らがものすごい列をなしている。なるほど、抽選で5千人という参加者の多さを実感し、アップは全くできぬまま、荷物を預けて、あわててスタートラインに並ぶ。

ナンバーカードは「89」。福岡市民には言わずと知れた、ダイエーホークス王監督の背番号。ついでに僕にとっても、福岡で過ごした大学時代は「やきゅう」をしていた訳で、これ以上になくゲンのいい番号だ。ラッキー賞が当たってもおかしくない気がしてくる。

いきなりトップ・・・、に出てしまう・・・

さて、スタート後、一度ドームの外側を一周してよかとピア通りに出る。ここで、500mもせぬ地点でトップに立ってしまう。立ちたくて出た訳ではない。誰も出ないからだ。「えっ! そんなに速いペースかな」と自分を抑えようとするのと同時に、他のランナーが様子見で抑えているのか、「おいおい、僕なんかがトップでいいのかい?」と、ちょっと他のランナー達を情けなくも思った。でも、出た杭は今更引っ込められない。初出場でこの先のコースがどうなっているのかも知らないが、とりあえず1kmでもこのまま行ってみよう。

いくら今年、好調とはいえ、3月以来半年振りのハーフとなるレースで、最初から飛ばし過ぎか? 1km通過地点でラップボタンを押して左腕の時計に目をやる。・・・と、「0:00」。・・・スタートで押していなかったのだ!

スタートは「10秒前、・・・3、2、1、ドン!」というやつではなくて(そうであっても僕にはきこえないのだが)、スタートライン10m前方から皆が係員に誘導されて歩きながら、同時に号砲となるものだった。あるいは説明もあったのかもしれないけれど「こんなスタートの仕方もあるのか」と面食らってしまったせいだろう。

仕切り直してスタートボタンを押す。すぐに抜かれると思っていたのに、意外や、ドーム外を一周して再び応援者のひしめくスタートラインに戻ってくるまでトップを維持してしまっている自分がいる。そして一層緊張させたのは、2km地点でよかとピア通りに出ると、翌々週にTV放映されるというKBCテレビのカメラ車が僕の前を走っているのだ。「おおっ!」という感じで照れてしまう。ちょっと、よそ行き用の走りにもなる。「帽子とグラサンで武装などするんじゃなかった。いや、TVに見せられる顔ではないからこの変装の方が好都合か?」などと思いながら、いつまでも抜かれないでいると、段々、肝も据わってくるから不思議だ。5000人の抽選枠という大都市の福岡だというのに、どうして他のランナーは先を行かないのだろう? 「おやおや」と自分でもドキドキしながら、しかし、引くに引けない状況になっている。

このまま行くしかない

以前にも書いたように、でも僕はこういう切羽詰った緊張感というのは結構、好きな方である。「なら、このまま行かせてもらうかな」という不遜な思いが強気にさせてくれる。

それから西公園の裏側(北側)を回り、那の津通り、須崎ふ頭を往復する、埠頭側を使ったコース。休日に百万都市福岡の街を交通規制するわけにもいかないだろうから、市民にはあまり縁のない、工場や流通関係企業の倉庫を眺めながらのコースになっている。唯一、都心部に近付くのは那の津通りのKBC本社と荒戸間。ここは福岡の東西を結ぶ道路で、福岡都市部の中では、一番、車の流れのよいところ(だと思う)。昔も今も、長浜ラーメンを食べにゆく時や他、この区間は僕もよく利用する。

そっけないといえば素っ気ないながめの埠頭部分を主に走るコースであり、また、今もよく行く街であるから、懐かしさや郷愁といったものは感じなかった。それよりは、走っていて、都市高速道路の下側や、また、那の津通りがちょうどビルの影になって涼しく走りやすい、意識して作ったわけではなかろうけれど、うまく出来ているものだなと感心していた。

しばらくTVカメラを見据えるように、悪くない気分で走っていたが、6km地点で、5、6人の集団に一気に追い抜かれる。「ああ、ラビット役もここまでか」と思う。抑え目に入った実力ランナーが満を持して力の差を見せつけて抜き去ってゆくような形でおいてゆかれた。「まあ、でもよくがんばったじゃないか」と思う。5km以上もトップだったなんて、すごいことだ。どんなレース運びにするかも考えずに、スタート後にいきなりトップに立ってしまったことで、「これはもう、行けるところまで行ってみるか」という気にならざるを得なかった。前半のオーバーペースがたたって、後半ずるずると落ちてしまう経験はマラソンでならしょっちゅうだけれど、ハーフの距離で試してみるのもたまにはいい機会だ。

ところが・・・。このままずるずると落ちてしまってゆくのか、と思ったトップ集団に一時は50m引き離されながら、意外にも7km付近、応援の人の姿も消えてしまう須崎埠頭で再び追いついてしまう。今回のレースで一番嬉しかったのがこの瞬間だ。レースでいったん、落ちてしまうと、再び追いつくのは至難なこと。まだ力の残っている自分が嬉しく思えてくる。集団の中に、招待選手の佐保希さんがおられるのにも気付いた。このときの僕は、まさに恐い者知らずの強さそのものである。追いつくと、そのまま一気に追い抜き、再びトップに踊り出る。「今日ばかりは行ってみるゼ!」と。

西日本スポーツ掲載写真
西日本スポーツ掲載
10km、そして中間点を通過。電光掲示板のタイムは32:50。10kmのタイムなのか、中間点(クォーター)のタイムなのか分からなかったけれど、先週の仙台から続けて、10kmは32分台で走れる力がついてきたのだな、と嬉しく思う。そして、このペースでトップなら、5千人の参加といっても今日のレベルはあまり高いものではないのだなと思う(だからトップに立てるのだが)。

ここから、ようやく天神に近付いてゆく。今まさにカメラが回っているKBC本社の前を回って再び那の津通りへ。一番の見せ場ともいうべき場で、さすがにこれ以上僕の後ろについているわけにはいかないと思ったのか、13km手前の給水ポイントで1人が追い抜いてゆく。給水を取ろうとした際、後ろのランナーと接触して、僕の足に水がもろにかかってしまう。少々ムッとしたら、彼は意を決して駆けて行った。ここで一気に集団がばらけて、数人に抜かれてしまった。この地点では、さすがに僕もついてゆく余力は残っていなかった。

が、ここまで来たからにはお互いのへたりも大差ないはずだと頑張ってみる。那の津通りを荒戸で折り返して15、16km。あと5km。何とかがんばれそうな力も残っている。1、2位は視界から消えてしまったけれど、前を行く4、5人は30~50mの差だ。でも、みんな必死だから追いつけそうで追いつけない。最後、福岡ドームに入る前、一人を抜かし、また、一人に抜かれてゴール。3月末、津和野での自己ベストを一気に3分30秒縮める1時間10分54秒の好記録となった。

優勝者は中国からの招待選手。13kmで僕と接触して、飛び出していった選手だ。彼が招待選手であることは、走っている最中、知る由もなく、16km地点の荒戸で折り返した彼の胸のゼッケンを見て、初めて気付いたことである。中国からの招待選手ということも、ゴール後、プログラムを見て知った。さらに、17歳という年齢にも驚かされた。スタートラインに立ったとき、「珍しいシューズだな」とは思っていたのだけれど、17歳の少年が中国から招待されているとは・・・。どうでもいいが、ドーム一帯の百道浜地区が開発されていた最中、中国領事館がここに建設される際少しバイトをしたこともあった。偶然を感じないでもない。楊延涛(ヤンヤンタオ)選手、中国の未来を担う強化選手なのだという。6年後の北京五輪で見ることができるだろうか?

嬉しかった予想外の入賞

足の痛みをおして出た妻は、10kmの関門で残念ながらリタイアとなったが、僕の方は、ゴール後、着替えてから、年代別表彰があることを知って大喜び。30代部門で3位に引っかかている。入賞とは思いもしなかったことだ。30代の部では最後に抜かれた2位と2秒差、1位とも11秒差だったことが惜しかった・・・とは、もう言わずにおこう。

ナンバーカード<89>
ナンバーカード<89>

上位入賞なんて考えもしなかったこと。本当に運良く3位に引っかかったという形だけれど、この入賞賞品が結構充実したもので、これにも驚かされた。手さげ袋に色々ある中、何と、ていねいに賞状筒まである。結婚式への出席ついでに走ったつもりが、引き出物と入賞賞品と、二つの手さげ袋を抱えて、嬉しい悲鳴だった。

妻のご両親に観戦してもらえた中で快走できたことも嬉しい。ただ、スタートしてドーム外を1周するとき、「最初だけでもこうしてトップを走っているなら、喜んでくれるかな」と思ったのだけれど、ご両親には気付いてもらえなかったらしい。僕の走る姿を見るのは何しろ初めてだし、しかも顔は帽子にサングラスですっぽり覆っている。「5千人の中でまさか1位を走るとは」思っておられなかったらしい。もっともなこと。僕だって、まさかだった。

ところで、妻の友だちの結婚というのは、新郎新婦も高校の同級生同士。披露宴の出席者も久しぶりに集まるミニ同窓会のようなものだったろう。これは後日知ったことだが、5kmの部の優勝者も、まさしくその高校の現役の生徒なのである。この日の後輩の優勝は、前日の2人の結婚を図らずも祝った形となった訳だ。お互いが知る由もなかろうけれど、この高校に祝福の降り注いだ2日間になった。

僕もこんな素敵なことができたらなあ、と思いつつ、彼らにちなんで、僕の今回のまさかの快走は、初めて応援いただけた妻のご両親に捧げたいと思う。


記録:1時間10分54秒

  • 気温22.3C
  • 湿度52%
  • 北北東の風3.5m 晴れ

大会結果ページ



 

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