第30回記念全日本実業団ハーフマラソン

2002/03/10 山口県維新百年記念公園陸上競技場発着

ハイレベルな出走選手達

第30回の節目ある年だったからか、出場選手の錚々たる顔ぶれがすごい。

前年優勝の森選手、地元カネボウの高岡選手、今最も勢いに乗っているコニカの坪田選手、中国電力の油谷選手、梅木、佐藤選手……。オリンピックや世界選手権レベルのエリートランナーたちがひしめく。

大会自体は、陸連登録さえしていれば、持ちタイムによる出場制限があるわけでもない。しかし、申し込むには勇気がいる。地元でなければ二の足を踏むだろう、これほどの晴れがましい大会に出場できるのも光栄である。そして、当然、びびる。出場選手一覧には、各自のベスト記録も掲載されているのだが、見ると、僕が最下位である……;。

当日、ホームコースの維新公園外周をアップしていると、それとはっきり分かる有名選手以外にも、見たことのある顔が多い。「どこかで見た顔だな」「どこの大会だったかな」と思う。それなりに色んな大会に出るようになると、顔だけ(あるいは名前だけ)知る選手というのが増えてゆく。失礼なくらい、じっとながめていたが、結局、レースを終えてから、都道府県対抗駅伝でTVに映し出された選手だったと、ようやく気付いて、ちょっと汗をかく。

足裏のマメとフォームへの自信喪失

とにかく僕とは世界が違う選手達ではあるが、自分なりに走るだけだと開き直る他ない。先週のレースで、足の回復具合はまずまずであることが確かめられた。別大でも30kmまではいいペースで走ることができたのだから、自信を持って臨むこととする。

しかし、そう甘いものではなく、5kmを17'01"、10kmを34'45"と、予定したペースで通過できたのはここまで。この時期にしては少し暑かったこともあり(日焼けでランニングシャツの跡が残ったほど)、折り返し以後にかなりの失速となり、1:16'16"で終わる。15分を切ることを目標としていたけれども、そう簡単にタイムを出せるものではない。甘い考えを思い知らされた。

15kmあたりで足裏のマメがひどいことに気付く。膨れ上がったマメがシューズの中でぶよぶよと浮き、揺れるのが走りながらにも分かる。救護車が棄権者を拾ってゆく中を、それでも何とか完走したいと思って走り続けた。

2002全日本実業団ハーフ/・中間点前
中間点前

済生会山口病院を過ぎる頃、5分遅れでスタートした女子選手に抜かれる(大内御堀付近で抜かれた昨年よりかは進歩したけれど)。

完走は果たせたものの、クーリングダウンどころか、レース後、歩くのもままならない。別大もそうだったが、違うのは、今回はそれがひどいマメのせいだということ。妻の迎えを待つ間、安全ピンで水ぶくれと血マメの入り混じった足裏を応急手当する。立っているだけで、足裏が地に接触するだけで痛みが走る。

これまで走った中で、マメができるなんてことはなかった。少なくとも僕は、自分がマメのできやすい体質でないと思っていた。それがこれほどひどいものを経験するとは。シューズ(ウェーブスペーサーGL)との相性の悪さもあるだろうが、別大も今回も10km以降でフォームが完全に崩れてしまい、後は足を前に出すのが精一杯となってしまった。今のこのフォームでは10数kmまでしか持たないということである。

ウオノメ、足の腫れ、そしてまた、今回のひどいマメ、と走るたびに何かのトラブルを起こしてしまう。根本的にフォームをつくり直さないといけないのかもしれない。そう思うと自信をなくす。

レース後~TV中継と小学校の恩師

自宅で録画中継のTV放映を見る。男子は坪田選手が2kmで飛び出してぶっちぎりだったようだ。恥ずかしながら、トップの女子選手に抜かれるときの情けない僕の姿も、── 昨年同様 ──映し出される。ゴールした後、川上選手がインタビューを受けていて、女子の部で優勝していたとは知らず、ここでも後ろを横切る自分の姿が映ってしまい、妻と大笑いした(笑っている場合ではないのだが・・・)。

帰り際の駐車場で、小学校時代の恩師であるO先生にお会いした。実は一昨年の防府読売以降、中国山口駅伝その他のレースで競技役員名簿に載っている先生の名前を意外に思っていた。地元としてのお手伝いくらいなのかと勝手に思っていたら、きちんとした陸連のブレザーを着ておられる。ボランティアといっても本格的のようだ。先生も昔、陸上をやられていたのだろうか? そんな風には全く思っていなかったから驚く。

ちょうど妻が迎えに来てくれた時だったから、通訳してもらって先生と少し、言葉を交わすことができた。小学校の卒業以来、何と23年ぶりのこと。先生は「今日は予定でなかったけれど、急にお願いされてやってきた」とのこと。

でも、僕が先生に驚いたように、先生も僕がまさか走っているとは思わなかったようだ。さらにいえば、昭和52、53年度に華城小学校5、6年を共に過ごした6年1組のクラスメートからすれば、今、僕が走っていて、先生が役員をされているという、この組み合わせもびっくりだろう。

みんな、元気だろうか? 春の卒業シーズンということもあり、あの頃が懐かしく思い出される。

退職も近いらしい先生が、こうして陸上に携わっておられることをあらためて尊敬する。僕にとって、華城小校区を走り抜ける防府読売は特別な意味合いを持つ。先生が役員としてお手伝いされ、これから見てもらえるかもしれないと思うと、また、気を引き締めて出たいと思う。

年末の防府読売、中国山口駅伝、別大・・・と続いたレースの中で、これでやっと長いシーズンを終えることができる。今月末に津和野も走る予定でいるけれど、今シーズン、緊張感を要する大会はこれで終わりだと思うと、やっとやっと肩の荷を下ろせる。大きな安堵感に包まれる。

記録:1時間16分16秒
17:01-34:45(17:43)-53:12(18:26)-1:12:06(18:54)-1:16:16(4:09)


大会結果ページ(陸上通さんのページ)



 

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