第35回全国ろうあ者体育大会

2001/09/15、16 和歌山県橋本市総合公園多目的競技場

大会直前の事故

この大会のために、6月から、週一度の割合で維新公園競技場のトラックでの練習を行ったきた。滅多に走ることのないトラックに慣れておこうと思った。一周400mのコースを延々25周走り続けるとい、気の狂うような、逃げ出したくなる10000mという競技に免疫をつけておきたかった。

その甲斐あって順調にタイムも体調も上げることができていた。

それなのに、大会5日前の月曜朝、出勤途上に交通事故に遭う。自転車で歩道を走っていたところ、歩道に注意を払わずに運転していた車が、僕の行く手をふさぐ形で左折してきたのだ。幸い、ひどいケガには至らなかったが、ぶつかって倒れた瞬間「これほど目標に向けて練習してきたときに・・・」と思えて目の前が真っ暗になった。相手方は事故後の対応に誠意を尽くしてくれたが、「よりによってこんなときに」という意味ではうらめしくて悔やみきれない。

この9月は研修、出張、ブロック交流会等でずっと睡眠不足が続いていた。この出勤日前の週末、倉敷でのブロック交流会では土曜夜が徹夜に近い会議だった。元々かなりの低血圧である上に、疲れのとれない状態だったせいだろう、注意力が散漫だったのかもしれない。無理の積み重ねが事故につながったともいえる。

痛みは取れない、直前の仕上げとなるべき練習も全くできない、何よりこれまでの練習が泡と化すようで悔しくてしょうがなかったが、多少でも力は出せるはずだと気を持ち直して臨んだ。

9月14日 和歌山県橋本市到着、前畑ガンバレ

大阪までの夜行バスを利用し、午前中の監督・主将会議を終えてから、和歌山県橋本市に向かう。他の競技は全て和歌山市で行われるが、陸上競技場が今、改装中ということで陸上競技のみ橋本市での開催になったという。

駅前に立つ看板で競技場の位置を確認しておく。橋本駅から競技場に向かう途中の坂道を左に曲がったところに和歌山県立橋本高校というのがある。「俵万智の勤めていた?」と一瞬、思ったが、違う。

「まちちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」というように、彼女が高校教師をしていたのは、神奈川県の橋本高校である。もう一句、「さよなら橋本高校」というのがあったのを覚えている。関係ないが、僕は俵万智の歌は割と好きだ。

橋本で有名なのは、昭和11年のベルリン・オリンピックで日本人女性初の金メダリストに輝いた競泳の前畑選手である。こちらは、橋本にやって来て初めて知った。スイミングスクールの看板に、前畑という名がついている。海に面している町ではなく、山の中の町なのだが、前畑選手の活躍のせいだろう、看板はかなりの昔から立っていたと思われるほどに、錆び付いている。

有名な「前畑ガンバレ」コールのことは僕も知っている。

もちろん、昭和11年8月というから、まだ終戦前、僕の母も生まれていない時のことだ。

今、僕はきこえないけれど、このときのアナウンス(の文字おこし)を読むと、それだけで充分過ぎるほどに胸を打たれる。河西三省アナウンサーの、ほとんど狂気に近い熱気が伝わってくる。戦時中にあって、ラジオからきこえてくる実況放送に国民が興奮した様子が容易に想像できる。きっとこの橋本の地も、うねりをあげるようにどよめいたに違いない。

ベルリンオリンピック女子二百平水泳決勝実況放送


今では、この橋本、多くの過疎の町がそうであるように、車だけが猛然とすごい勢いで通り過ぎてゆく。

宿、福島メンバー

宿泊したのは竹屋旅館。

大会側の斡旋する国民宿舎が会場から遠いので、個人的に手配したこの宿に着いてみると、兵庫県の方と、そして福島県メンバーと同じであることに気付く。

福島の坂井さんとは5年前の大分、2年前の福岡での大会以来の対戦となる。全国でも数あるうちから、福島のメンバーと仲良くなるのも不思議だ。過去2回の出場で(大分、福岡)、鹿児島メンバーと親しくなれた際には薩長の結びつきを思ったけれど、福島県メンバーとも戊辰戦争の因縁を引きずりながら、切れない縁があるのかもしれない。意外なところに歴史は引き継がれているようだ。

狭い旅館だから、福島メンバーが風呂に入る前に手早く済ませようと思いきや、3、4人がせいぜいの広さであるところの浴場に、それこそ皆が入ってくる。二十歳の若い者から50歳台の方まで7人くらいが一斉にやって来る。その結びつき、仲の良さが羨ましい。

ここで坂井さんに紹介される形で山田さんと初めて話す。

イタリアのデフリンピックでは、30度を超える暑さの中で、1万mが34’11”の自己新であったこと、マラソンはベストの2時間36分には届かなかったものの、45分台であったという。暑さと海外のレースと2種目出場を考えれば、十分に凄い記録だ。

山田さんもトラックよりフルマラソンが好きなのだというから、すぐに意気投合した。競い合えるよき同士、いい目標になる。明日明後日の競技が楽しみになった。山田さんと知り合えただけで和歌山に来た価値は大きい。

9月15日 競技1日目

1日目、5000m終了。17’11”04の平凡なタイムで山田さんに次いで2位。

土日の倉敷行きから数えてまる一週間、走れなかったせいもあり、途中から足が上がらなくなってしまった。一昨年の福岡の大会の残り2000mでは兵庫の金子君に抜かれて悔しい思いをしたが、同じ2位でも今回は悔しさもあまりない。

2001/9/14ろうあ者体育大会 5000m表彰台
5000m表彰

山田さんなら負けて仕方のない相手であるというせいもあるし、月曜の事故で出場さえ危惧したことを考えると、タイムもまあ、許容範囲といったところだ。山田、坂井、金子(兵庫)の4人の中で、最低限3位入賞に届くことができてホッとしたのが正直なところである。

今日も福島のメンバーにはよくしてもらい、ずっとまた親交を深めることができた。

山田さんとは思いもよらず意気投合したこと、坂井さんはじめ福島メンバーとも気さくに話し合えるようになったこと、この2つが今回の旅の何よりの収穫である。

山口からは例年、陸上にはいつも自分ひとりで参加している中、こうしてただレースを走るだけで帰るのではなく、新たな出会いの中で生まれる話ができて本当に嬉しい。

9月16日 競技2日目、そして決意

予想通りというべきか、10000mも2位。事故の痛みを抱えたままで、かつ、最後の一週間で全く練習のできなかったことが大きく影響し、昨日の5000mで既にそうであったが、今朝も腿の張りがとれぬまま、3000m手前から足が重くなった。

今度は山田さんにぶっちぎられて、1周抜かれるという屈辱も味わった。しかし、これが今の実力でもあろう。

両種目とも2位というのは実力相応であるが、山田さんに大差をつけられたことが悔しいというより悲しい。自分が励みとすることはできても、お互いがライバルとして認め合えるような互角の力であるとはとても言えない。

「4年後の世界ろう陸上をともに目指そう」と励まされる。僕も大いに意気に感じる。彼を目標にするなら、肩を並べられるよう近付きたい。お互いが切磋琢磨できる間柄になりたい。そのためには今の自分の練習量、競技姿勢では駄目だ。そのことに気付くことができた。彼を目標にして、そしてライバルと認められるためにも、少しでも追いつきたいと思う。

主に冬の駅伝シーズン、僕が競技をともにする陸上部のメンバーらとはまた別の、きこえない世界の仲間を心の内に持てる喜びが今回の旅の何よりの収穫である。僕としてはまず、マラソンで2時間40分を切ることだ。そして、山田さんが「2時間30分を切って東京国際に出たい」と明言するように、彼に遅れをとらずに必死でついてゆきたい。



 

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