第13回山口100萩往還マラニック

2001/05/04 瑠璃光寺~萩城跡石彫公園(35km)

思い出して・・・

明日からの3日間、恒例の萩往還マラニックが開催される。僕も3年前と4年前とに2度、走った大会である。2年前の完走後には、事務局にレポートを寄せたのだが、何でも、それが今年の参加者にもまだ配布されているとか・・・。

5月1日(火)

4日続きの雨となる。新緑のみずみずしさの一方で、蒸し暑さも感じ始める。でも山や野は、久しぶりに存分に水分を吸収することができて、きっと喜んでいることだろう。雨に濡れてしっとりしている姿が満足そうに見える。人間が緑の発散する空気の中に身をおきたいように、緑たちも身体いっぱいに水分を浴びたいことだろう。

県庁裏の山の美しさにみとれる。緑の淡いのも濃いのも重なり合ってそれが拡がっているグラデーションの見事さに驚嘆する。手前の山、そしてもうひとつ向こうの山、と連なるその奥行きと立体感とが、雨に濡れているせいでとても近くに感じられる。

瑠璃光寺では、萩往還マラニックのスタートが準備され、静かに明日を待っている。

(ボストン・マラソンのスタート地である)ホプキントンやボストン市街とはまた違う、日本ならではの情緒だ。しっとりと濡れた草木や菖蒲、藤の青い花が醸し出す雰囲気がとてもいい。こんな情景は県内にも全国にもそうあるものではないだろう。山口という街が好きになることを強く思う瞬間である。

他県からやって来ている参加者も、雨に濡れたこの季節の山口を訪れることが出来て、かえってその方が幸運であろうと思える。こんなに素晴らしい、ため息の出るような美しい緑に囲まれた地を誇りに思う。

萩往還とボストンと、素晴らしい感動を続けて味わえる今年の初夏である。

5月2日(水)──八十八夜──

朝起きても、まだ降り続いている雨に驚く。

GWといえば、もう汗ばむほどの陽気であるのが普通に思えるのだが、今年が異常なのか、まだ肌寒く、朝夕はフリースが欠かせない。

けれど暦を言い表す言葉の上では、この時期の雨や寒さも織り込み済みのことであると、新聞、TVで続けて知る。

「五月晴れ」とは、五月雨の合間にのぞく青空のことを言うのだとは、日経新聞の「編集手帳」子に教えられたこと。とはいえ、これは陰暦5月のことで、五月雨が梅雨をあらわすこととも同じ。

手話ニュースでは、「遅霜(おそじも)」なる言葉が説明されていた。「晩霜」「ばんそう」とも言うらしいこの言葉は、立春から数えて八十八日目の五月三日、「八十八夜」とも関連するという。まだこの頃は関東から西の地方にかけて、時に霜が降りるほど、朝、冷え込むことがある。特にジャガイモ、桑などにとっては、まさに新芽・若芽がでたばかりで、霜にあうとこれらが一気にしぼんでしまう。農作物に大きな被害を与えるから注意しないといけない、という意味が「八十八夜」と「晩霜」には込められているらしい。

5月3日(木)──いつかは鉄人?──

驚くべきことに午前中はなお雨が降っていたが、それも昼前にはようやくのことやんで、日が差した。

きっと今年の萩往還は雨にやられて昨年よりずっと苛酷なレースになるだろう。 もちろん、けれども250km部門に申し込むような鉄人は、そもそもが「つらい」とか「厳しい」というレースには人一倍慣れていて、それに対して弱音などはかないような人である。今しばらくはまだ、僕も42.195kmのフルマラソンに力を注ぎたいけれど、50代以降くらいになって距離をさらに伸ばし、いつか140km、250km部門を走ってみたい。

萩スナップ~土塀
萩スナップ~土塀

5月4日(金)──萩往還とボストンと──

少し午後に曇った以外は過ごしやすい晴れの一日。雨の中の出発となったA、B部門の人には申し訳ない気もするが、自分の走る日が晴れていてよかった。けれど、A部門の人達がゴール地点の瑠璃光寺に近付いた時にみせる、あのすがすがしく幸せに満ち足りた顔は、見ている方の心を大きく揺さぶる。雨でレースが厳しくなった分、ゴールできた歓びもひとしおだったろう。

雨も回避できたせいで、今年の35kmはだいぶ楽に走りきることができた。

コースも随分と変えられていたようだ。雨で山路がはしれなくなったせいだろうか。特に、D部門にとっては最大の難所である、萩有料道路入口の手前からの山越えがあっけなく過ぎてしまった。昨年はここでスタミナを消耗し、萩市街に入る手前で完全に脚が固まってしまったのだ。

今年は最初、かなりゆっくりと走ったこともある。6時スタートのところ、5時半に目が覚めてあわてて瑠璃光寺まで自転車で飛ばす。朝食もろくに摂れず、おかげで5分遅れの第2部スタートになってしまう。それでかえって、リラックスできたというのもある。

鳳翩山(ほうべんさん)を越える時の急坂は無理せず歩いたのが良かったのか、いつのまにか気付くとコース半ばまで来ていて、あとはかなりペースをあげることができた。

石彫公園
萩城跡石彫公園
(35km部門ゴール、他部門折り返し地点)

ボストンで結果が悪かったこと、内容も散々で後半あがってしまったことはきっと、昨秋以降の疲労が蓄積しているせいだろうから、と今回は出場そのものを見合わせることも考えた。けれど、昨年の感動をもう一度味わいたい、アメリカとはまた違う日本ならではの──おそらく景色の良さ、山・川・野・花・海の自然を全て満喫できるという意味では『ランナーズ』のアンケートで証明されたとおり、全国屈指の──このコースを走りたいという気持ちの方が勝った。

スタート後しばらくは低血圧の体質(そもそもの寝坊)のせいもあってか、足が前に出ない。果たして最後までたどりつけるだろうかと心配したが、最初にその分自重して抑えたのが結果的に良かったよう。

20日前に走ったばかりのボストンのレースと比べる意識は、当然にある。海を越えての世界最古のビッグ・レースそして、コースの良さ、沿道の応援、6つの市を駆け抜ける街並み・・・と間違いなく、僕にとって一番感動したレースだった。この萩往還もそれに負けず劣らず。

決してお世辞ではなく、海外レースを走った直後だからこそ、余計に日本の景色の良さが、これまで見過ごして気付かずにいた光景の美しさを充分に堪能させられるレースとなった。

5月5日(土)──東京、根津美術館──

曇り空がやや優勢というような、けれども少し暑い晴れの日。

萩往還の興奮冷めやらぬまま、夜行バスに乗り込んで東京へ向かう。米屋町のバス停でバスが来るのを待っている間、この近くの旅館に泊まっておられるのであろう黄色いジャンパーを着た大会スタッフやランナー達の姿を見る。打ち上げに行く途中か、2次会、3次会へなだれ込むのか、満ち足りた表情であった。

バスは下関発東京行きの「ふくふく号」。途中休憩のサービスエリアでは、脚をひきずりながらバスのタラップを降りる人を見かけた。「ああ、この人、萩往還を走ったのだな(この脚の固まり具合からして250km部門かな)」と一目瞭然だ。声はかけられなかったけれど・・・。

所用の午後からの総会までには時間があるので、表参道の根津美術館へ向かう。

開館60周年を記念して、尾形光琳の「燕子花図」他、障壁画が展示されているというもので、サンデー日経に掲載されていた記事の切抜きをとっておいた。もう一つ、上野の国立西洋美術館では「イタリア・ルネサンス展」もあって、そちらも考えていた。

東京に着いてどうしようか、神保町の古書店をめぐるかとも思ったが、いつも同じ行動パターンも自分がマンネリ化してしまいよくないと思い、行ってみることにした。

地下鉄半蔵門線で表参道駅から道路に出て気付いた。すぐに見覚えのある景色が目の前に開けたからで、2年前の研修会の際に泊まった共済の宿もこの界隈(南青山)だった。

美術館へは行って大成功。見応え充分だった。今回は主に屏風絵の作品が大多数のようだった。これまでにこれほどの本格的なものを見たことは初めてだ(だから、60周年記念なのだろうが)。館内入ってすぐの作品──紅葉と桜の競演とでも題せられようか──に思わず声をあげてしまうほどだった。最初の作品でそれほどのものであるから、そしてメインの光琳「燕子花図」や丸山応挙の作品と歩き進めて観てゆくときは、息を呑む美しさだった。

根津美術館
根津美術館開館60周年記念

一点だけでも充分すぎるのに、気に入った作品が5、6点はあったろうか、贅沢なほどに質の高い作品が揃っていた。

庭も良かった。館内からの眺めもよかったが、庭に足を踏み入れてみてさらに驚かされた。まるで地階に降りてゆくかのような深さまで庭園が掘り込まれている。美術館そのものも外側からはそうした建物とは思えないようになっているのだが、加えて庭園も見た目はそれと気付かせない造りとなっているのが日本らしい。奥ゆかしいというか、粋というか。

降りきったところの池に鯉が泳ぎ、菖蒲がきれいに咲いていた。

あわただしい東京滞在となったが、根津美術館とボストン美術館、日米の文化の違いをも感じさせてくれた。<ボストン・マラソンと萩往還>、<ボストン美術館と日本画の良さ>という対比を、日米の文化の違いとそれぞれの持つ美しさも存分に楽しめた。


 

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