第64回中国山口駅伝

2001/1/28 宇部市役所~阿知須~小郡~山口~防府
~新南陽~徳山市役所(7区間 84.4km)
小郡町文化資料館前~山口県庁前(第3区 11.9km)

歴史ある大会

初出場の名誉を受ける。

一般の部では国際レベルの選手を擁する中国電力という強豪もいれば、高校の部では、県内の西京をはじめ、遠く洛南、立命館宇治(京都)、世良(広島)、福大大濠(福岡)等、まさに錚々たるチームの集まる歴史ある大会である。

このようなレベルの高い大会に僕の走力で出場できるのは、多分に幸運に恵まれている面がある。ひとつに今、僕の所属する県庁陸上部員の層が薄いこと。これは、新規職員採用が減り、若年層部員の入部が極めて少なくなっているせいである。また、今年は特に主力に故障が相次いだせいもあった。

僕自身、30歳のときに誘われて陸上部に入部したのだが、まさか、33歳にしてこのような大会に出場するとは思わなかった。ともあれ、走るからには自分なりに多少でも成長したい、より高いレベルを目指したい。気が付くとこうして出場できる機会がめぐってきた幸運にまずは感謝せねば。 しかも、走行区間は、県庁陸上部にとっては最も名誉な区間といっていい、小郡~県庁までの第3区間。初出場の僕への期待も込められていたのだろうか。重ねてありがたく思う。肩の荷の重さに恐縮しながら、これまでにない緊張感と意欲を持って臨む。

ペースつかめず、結果に愕然

心地よい緊張感を抱いて当日を迎えたのだが、しかし、お粗末な結果に終わる。 「スピードに乗れない」、「ペースがつかめない」・・・のは言い訳で、決定的にスピードが足りない。ハーフを走るような感覚で一向にペースが上がらぬまま、エンジンがかからぬまま、ただ走ってしまったという感じ。距離に応じたペース感覚というものが全くない。わずか11.9kmなのだから、「飛ばせるだけ飛ばす」、「思い切ってゆく」・・・と言いきかせていても、身体がついてゆかない。無意識にセーブしてしまう。身体が自分に楽なペースをこえて走ろうとする勇気を許さない。

走り終えてタイム(42'47")を知り、愕然とする。風もどちらかといえば追い風だった。山口松下電器と県庁前の、2ヶ所ある坂もたいした傾斜ではない。脚に痛みもなく、体調も悪くなかった。天気は素晴らしく、沿道の応援も多かった。好材料ばかりだったというのに。

けれども、間違いなくこれが自分の実力なのだ。悔しさ、情けなさに失望し、気分もふさいでしまうが、目を覚まさせてくれるいい機会にはなった。

今年はチーム成績も最悪で、僕がタスキを受け取った時点で既に郡市の部、高校の部を含めた総合部門で最下位。あとは、ひとつの順位もあげられず、差を広げられるばかりとなった。中継点である4区では繰り上げスターととなり、タスキも渡せずに終わった。

僕自身の走行区間も、数百メートル先を行く選手の背中を確認できたのは最初だけ。差を縮めるどころか、しばらくすると視界からも消えてしまうほどに置いてゆかれた。「駅伝」という名には程遠く、他チームと競い合う状況を全くつくれぬまま、ただ走り抜けた。

もちろん、チームの中では快走した選手もいる。駅伝では、メンバーが自分なりにどれだけ頑張ったかが一目瞭然であるから、一層、情けなくなる。

最高に気持ちよかった区間

最後尾を走ることとなったから、白バイに先導されるのではなく、僕が後ろの白バイを引き連れて走ることとなった。情けない話ではある。

しかし、こんなことをいうと大会開催に苦労されている大会関係者、また、暖かい声援を送ってくれた、あるいは激を飛ばしていただいた応援者らに眉をひそめられそうな、大変失礼なことと思いつつ打ち明けるのだが、走っていてこれほど気持ちの良かったレースもない。

交通規制の敷かれる国道を一人で走り抜ける時の爽快さは、他のレースとはまるで違う感慨があった。

小郡~県庁までの区間は、最初、数百メートルを走って国道9号線に合流した後、あとはひたすら一直線のコースである。敷設当初、バイパス道であったこの11kmの長い道を真っ直ぐに走りとおす快感といったらなかった。

全ての交差点で車の通行が止められ、全ての信号を気にすることなく走り抜けることができる。小郡町を抜けて山口市に入り、やがて市街地になってゆく。県庁が近付いてくる。沿道の応援も多くなってゆく。走っていて一人で感動してしまった。

親子での出場選手も

翌日の中国新聞(=主催新聞社)を読んで驚く。 僕と同じ3区を走られた大竹市陸協の選手は、なんと親子での出場だという。2区から3区へ、高校生の息子から父親へとタスキが渡される中継点の写真が大きく掲載されている。

この方とはアップ時に小郡町役場周辺を走っているとき、何度もすれ違っていたから僕も一番よく覚えているのだ。シューズも僕と同じミズノ・ライトスカッドだった(ちなみに、この年のライトスカッドは最高にいい)。背の高い人だった。まさか高校生の子どもがいるほどの年齢には全く見えなかった。 写真を見ると、今風にサングラスを頭の上にのせている。ひょっとするとこのまま走り切られたのであろうか? そして、タイムもいい。なんてカッコいい父親なんだと思う。

自分のふがいない走りに落胆している場合ではない。世の中には、これほどのレベルの大会で親子が同時に出場するというケースもあるのだ。言葉を飲んだ。憧れと感心を強くさせられた。

日々の生活の中で、走ることはごく一部分だ。当然ながら、仕事をすることで僕は生かされている。その仕事も、思うようにできるわけではない。毎日が面白いわけでは決してない。いやなことも多いし、時々、腹も立つ。自分が腐っていくように思うことも多い。

けれども、陸上部のメンバーといい、この父親選手といい、自分のごく身近にがんばっている人がいる。自分を強くしている人がいる。



 

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