第29回全日本実業団ハーフマラソン

2001/03/11 山口県維新百年記念公園陸上競技場発着

7年前は入院中のベッドの上で

「全日本」&「実業団」という、名前負けしてしまいそうな大会に思い切って初出場。 最下位になることも覚悟し、開き直っていたつもりとはいえ、それでも全国から集まった一流選手に囲まれるとひるんでしまう。雰囲気に飲まれてしまいそうになる。

走り終えた後に、午後から放映されたTV中継を見ていても、我ながらこのようなレベルの高い大会によくぞ出場する気になったものだと思う。

7年前、まさにこのTV放映を僕は入院中のベッドの上で見ていた。

その頃はまだ走ることにも入れ込んでいたわけではなかった。駅伝に数度出ただけで、いわゆるロードレースである市民マラソンにさえも出たことがなかった。TVの中を走る有名な出場選手も全く知らずにいた。確か、地元カネボウの早田選手がトップを走っていたように思うが・・・。もちろん、彼らのタイムがどの程度のものなのか、考えようとも思わなかった。

他にすることもないから何気なく見ていただけだ。山口に住んでいても、TV画面の中の別世界のことと思っていた。

そんな大会に、大会レベルからすればお粗末な(お荷物な)僕の走力ではあるけれど、エントリーすることとなった自分の変化に驚く。入院後に完全失聴して人生は変わったけれど、これほど走るようになったこと、無縁の世界と思っていたレースに立つようになったことも驚く変化だ。

7年前のその入院は、あるとき突然聴力が落ちる、いわゆる「突発性難聴」と呼ばれる症状に対して行われる治療を受けていたものだ。 一般の人には割と効果のある治療だが、「進行性難聴」の自分には必ずしも効果の期待できるわけでない、副作用の強烈に残る治療だった。それまで既に充分苦しめられていた難聴であるのに、この上さらにまた、と不安をかきたてられた。そもそも治療できないから苦しみ続けている難聴がさらに進んだわけで、自分でも治るものとは思えなかった。3週間にわたる入院中、この先どうなるのだろう、とずっと不安の中にいた。

見るでもないTVをただぼんやりと見つめていた。

そんな経緯があったから、余計に、出場できたことの感慨がひとしおだった。7年前を思うと。出場できただけで。

7年を経ての偶然

不安ではあったけれど、全くの聴者と比べれば、僕はまだ難聴の苦しみに対して免疫があった。けれども、それまで何不自由なく聞こえていた聴者の場合、急に聴力が落ちてゆくときの不安、挫折感には、恐ろしいほどのものがある。それは僕には人一倍よく分かる。

面白い偶然、といっては失礼かもしれないが、前日土曜、僕の部屋を訪ねてきた夫婦がいる。急に耳を悪くした男性で、手話通訳者のSさんに僕のことを紹介されてやってきた。

彼もまた、どうすることもできない失意の中にいた。

さらに、話し始めてしばらくすると、実は僕たちは、中学時代の野球部の先輩後輩に当たることにお互い気付いた。というか、初めてその事実を知った。在学中にはお互いが相手の存在を知らなかったのだ。学年は彼が2つ下。僕が3年の時の1年である。2学年下の後輩を僕が覚えていないのはまだしも、彼からみて僕が記憶にない先輩であったことには僕自身、ちょっと情けない気持ちもするが、まあ、僕もレギュラーでも目立つ存在でもなかった。当時はそんな存在だったのだ。

それにしても、これにはお互いが驚いた。耳のこと以上に。

その日、彼ら夫婦と話をすることで、僕が、どれだけ役に立てたかはわからない。けれど、僕自身が7年前のちょうど今、苦しんでいた不安の真っ只中に、彼が今おかれていることも不思議な偶然だ。まして、後輩でもあるなんて。同じグランドで白球を追っていた野球少年が、時を経てイレギュラーバウンドに遭遇する。

でももちろん、当時の部活がそうであったように、苦しいことも克服できるものだ。僕が僕なりにその道を見出したように、彼は彼なりに。

レースで実力を認識

レースの方は、予想通り、最下位に近い順位。後ろに5人の選手がいるのみ。それでもタイムは一応、自己ベストを更新することができた。この段階で満足してはならない、まだまだ上を目指してゆくつもりだが、ひとまず、よくがんばった自分をねぎらいたい。

2001全日本実業団ハーフ 17km地点
17km地点

ふがいない走りもできないから、最初から飛ばす。当然のことながら、1~2kmからすぐに苦しくなる。ここでペースを落とすか、ペースに乗れるまで踏ん張るか、が最初の鬼門である。今日は最初に飛ばしすぎた(2km~6:48、3km~10:15)面もあるが、後半に浮上できるわけでないから、これはこれでいい。

ただ、今の、距離を踏むだけの練習ではまるで歯が立たないことを実感させられた。スピードをつけるための意識的なトレーニング、時には密度の高い練習もしなければ。それと、日々の生活態度そのものが甘い。これは、今回に限らず、走っているとよく思うことだけれど。

5分遅れでスタートした女子選手にも抜かれた。予想していたこととはいえ、もう少し踏ん張りたかった。情けないことであるけれど、トップの女子選手に抜かれる時、TV画面の端に僕もちらりと映る。軽快なリズムでピッチを刻む女子選手に比して、僕のは、フォームにスピード感、躍動感がまるでない。根本的に"走り"が違うのだな、と痛感する。

人生は不思議な縁で・・・

午後、新藤兼人の『老人読書日記』を読み終える。最愛の奥さん(女優の乙羽信子さん)を亡くし、自身は90歳を前にしてなお、映画監督という仕事に情熱を傾ける。「自分とは何か」という問いを持ち続けて読書に臨んでいる、その目的意識、目標に大きな感慨を受けた。

野球部の後輩も不思議な偶然だったが、もうひとつ。

神戸に住む大学時代の友人Sからもメールを受けた。

なんでもTVを見ていて、ちらりと映った僕の姿を、奥さんが「あれ、金子君じゃないの」と気付いたのだという。友人いわく、「TVに映るときくらい派手なVサインでもしてくれよ」。そんなこと、他のレースではできても、地元の地でその勇気はない。

でも驚いた。関西方面にまで放映されているとは。そして、ちらっと画面の端に映った僕に、奥さんが(友人ではなく)気付いていたとは。

彼らは前年7月の夏休みを利用して、山口に子どもと一緒に訪れてくれた。そのとき、奥さんと話していて実によく気のきく女性だと感心させられたことをよく覚えている。友人にはもったいないほどの女性だと思ったものだが、やはりそうだな、と再び感心させられた。

思い出~1988年学内ソフト
想い出(1988年)

僕の7年前の退院直後に、ちょうど山口を訪ねてきたのも結婚前の彼である。 彼も大学時代、途中まで野球部にいた仲だ。学生寮のメンバーで作るソフトボールチームでは、彼と僕と(そしてもう一人A)とのものすごい情熱で学内の大会を制覇もした。

彼と僕は久しぶりにキャッチボールをして時を過ごした。レースの発着点である、まさにこの維新公園(サブグランド)で。治療の甲斐ないまま退院して落ち込んでいた僕を、彼は精一杯励まそうとしてくれた。

中学で、大学で野球をしていた仲間と時を経て会い・・・。人生は不思議な縁でつながっている。


大会結果ページ(WAKAさんのページ)



 

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