第50回記念別府大分毎日マラソン

2001/02/04 大分市営陸上競技場発着

50回記念大会

50回記念大会で、例年なら2時間40分の出場資格が3時間に大幅に緩和されるという粋なはからいがなされた。このため、大会最多の740選手がエントリー。

僕も年末の防府読売に出場した時点では、まさか別大に自分が出るなどとは考えもしなかった。防府読売に初出場、そして完走できただけで至福に浸っていた。結果的に2:40:47という、別大の出場資格にあと一歩の結果だったけれども、そもそも「別大=2時間40分」ということも知らずにいた。

そんなとき、出場資格緩和のことを『ランナーズ』で初めて知る。この幸運を活かさない手はない、別大というエリートレースに出場できるなんて、この先2度とないかもしれない、そう思って1月8日の申込みに滑り込むようにして申し込んだ。

いざ別府へ

幸運にもぐりこめたのはよいが、体調はよくない。リズムの悪い時期というべきか、エンジンがかかるまで時間がかかってしまう。先週の中国山口駅伝がまさにそうだ。気持ちの方にも悪い意味での馴れが出て、今ひとつ張りつめた緊張感に至らない。防府を予想以上の好結果で終えたことが、逆に、緊張感を途切れさせてしまった感もある。公認レースを一度経験した強みといえばいい言い方になるが、大会に向けての集中力、緊張感は全く足りない。

でも、こうして別府に来て、僕と同じ、この僥倖に恵まれたサブスリーランナーの「出場できただけで幸せ」という顔、顔、顔......を見ていると、「そうだ、調子云々よりもここにいられることが幸せなのだ」と、僕も素直に喜ぼうという気になる。何でも、3時間という出場資格の緩和は20年に一度という機会なのだ。

開会式会場のビーコン・プラザが参加者で埋め尽くされる。レースの開会式なんて出ないで済ませたいのが大方のランナーの本音ではないかと思うのだけれど、別大ともなると違う。開会式から風格が漂っている。さらに、今回、50回記念で歴代優勝者等も招かれているなど、みるも豪華な輝かしい式典であった。

大分駅前のホテルにチェックインすると特にもう、何もすることはない。明日正午のスタートを待つだけだ。時間的にはのんびりとしていいのだけれど、ホテルは古く異常に煙草臭い。窓を開けてないと耐えられないほどの部屋で、安さで選んだ失敗を痛感した。

気を取り直して、手紙でも書くこととした。

思うに、マラソンは上に積み上げてゆくものではなく、横に並べてゆくものだ。過去にどんなに努力して、どれほどいい成績を残しても、次が保証されるものでは決してない。ひとつの経験はそれが終わった瞬間に、もう過去のものとなる。次はまたゼロからのスタート。実績は積み重ねるのではなく、ひたすら、並列的に横に置いてゆくものだ。僕もこれから何度でも挑戦してゆくだろう。過去の成績はその都度忘れて、謙虚な姿勢で臨んでゆく。それがランナーに求められる条件だ。

立春、福沢諭吉、雨

翌朝は、天気予報どおり、怖れていた雨が朝から降っている。おまけに異常に冷たい雨だ。この日は立春というのに。防府読売と別大と、雨にたたられっぱなしだ。

また、関係ないが、昨日は1901年2月3日に没した福沢諭吉の没後100年の日でもあった。福沢は別府の手前、中津の出身。駅前に銅像らしきものが建っているのが電車の中から少し見えた。僕も福沢の『文明論之概略』と、丸山真男の『「文明論之概略」を読む』を合わせて夏頃から少しずつ読んでいる。大学一年の夏休みのレポートの課題であったこの本を、なぜか突然、読み返したくなったのだ。これも、没後100年だということは知らずに、そういう気持ちになった偶然が面白い。

没後100年を迎えた諭吉の郷里を過ぎて、50周年記念大会の別大にやって来た。今年の立春はよくできている。

「独立自尊」。福沢が発し続けたメッセージのとおり、マラソンも「自分にて自分の身を支配し他に依りすがる心なき」競技の最たるものである。

冷たい雨の中、給水を回しながら

しかし、それにしても寒かった。スタート前は凍えた。レース中も雨は降り止まない。この寒さのせいもあったのか、最初の5kmで両足首の内側に痛みが走る。故障のないつもりでも、1ヶ月半という間隔で続けてのフルマラソン、その間に2週続いた駅伝等の疲労は確実に足に残っていたのだろう。50回記念というセレモニーに浮かれていたけれど、もちろんレースは甘くないことを、冷たい雨が容赦なく知らしめてくれる。

5kmを通過した頃から、順位はどんどん下がってゆく。ゼッケン404番の僕が、次から次へと、持ちタイム順に並んでいるゼッケン500、600、700番台の後発選手に追い抜かれていった。足の痛みはかなりひどい。「いつ棄権しよう?」「どこまで持つのだろう?」ずっと考えていた。水たまりを避けて走ろうと気をとられるから、顔をあげる余裕もなかった。たくさんの沿道の声援にも応えられない。

沿道は雨にもかかわらず、ものすごい応援者の数だった。「これが別大なんだ」と武者震いさせられた。

大分市街地を抜け、別府湾に出る頃になると応援は少なくなる。この日は雨ではあったけれど、別大名物の、海から吹き付けてくるという浜風のないのは幸いした。走路も全てフラット。しかし、途中、競輪場を思わせるような、道路にきつい傾斜のつく長いカーブがある。単純な上り下りの坂の方がまだましと思えるほどの、右足、右肩が傾いたままで走ることとなるのは、何とも嫌な気持ちだった(行きだけではなく、帰りも同じ箇所にある)。

記念大会ということもあって、スペシャルドリンクの用意ができるのは招待選手のみ。一般選手は大会側の用意した水とスポーツドリンク(ヴァーム・ウォーター)。このドリンク、500mlのペットボトルのままで並べられていて、雨でかじかんだ手では簡単につかめない。手が滑って何度も落としてしまう。折り返して30kmを過ぎる頃になると、さらに握力もなくなり、それこそ、両手と胸で抱き込むようにつかみとる羽目になった。首尾よくとれた選手は捨てる前に、持った手を伸ばして「いらないか?」と周囲のランナーに確認する。皆で回し飲みする約束が自然にできあがっていた。いい光景だった。

50回記念で救われたサブスリーランナーにとって、しかし、途中関門の制限時間は厳しい。僕も左手に書いた関門時刻を何度も確認しながら走った。別府に向かう前半の沿道には、「帰ってこいよ」なるのぼりを振ってくれる応援者もいた。

どんどん抜かれていったけれど、面白いもので、なんとかギリギリのペースでも19分/5kmのペースは維持できている。今の僕に一番無理のないペースなのだろう。やがて20kmを過ぎると先方を走る選手が落ちてくる、棄権する選手が出てくる。

僕の方は少し元気が出始める。別府を折り返してから、「さて、これからが僕の番だ」と力がわいてくる。防府の時の距離に重ね合わせながら「今、××km。防府でいえばあのあたりだな。この調子なら大丈夫」と自分にいいきかせる。

山口からたくさんエントリーしていた、僕の知るランナー達、そして、防府読売でやはり並走した、見覚えある選手たちを次々に追い抜いてゆく。ひょっとすると、僕にはマラソンが天職なのではないかと思える瞬間だ。前半のペースにはついてゆけない。けれど僕には19分/5kmなら何とか維持できる。周囲がどんどん落ちてゆくから、一気に追い抜ける。俄然、力がこみあげてくる。

もちろん、マラソンはそんなに甘くないことも充分に思い知っている。謙虚さも忘れずに。そして、最後の10km、7km、5km・・・の一番のきつい時期こそが、走っていて一番、胸の熱くなる瞬間だ。来週は福岡に行って、心おきなく週末の休日を楽しめるのだ。そのためにも、完走という手土産を持ってゆきたい、そう思うと、また力も湧いてくる。渾身の力を振り絞る一瞬だ。たまらない。こんなことは生きているうちにそう、体験できることではないのだから。またひとつ、自信を得る。

完走の歓び

胸が熱くなるのは最後の数キロであるけれど、「本当にマラソンはいいものだよな」と思えるのは走り終えてからである。じわじわと喜びが身体を覆ってゆく。他の何ものにも代え難い感触だ。

あらためて思う。マラソンは、ただ両足を際限なく前に繰り出すだけの競技である。それなのにどうしてここまで人を惹きつけて放さないのか? やはりそれは問いが全てであるように、それ以上に解体できない、シンプルでプリマティブなものだからだ。何万歩と繰り出した足の運び、身体にずしんと残る重み。確かな手応え。シンプルだからこそ強い。この競技に出会えてよかったと思う。

防府の時とはまた違う、とても充実したレースとして走り終えることが出来た。 豊肥本線、新幹線、山口線を乗り換えて帰る時の満足感、心地よい疲労感は格別のものだ。地元のレースもよいけれど、こうしてレースを走り終えて、ひとつの目標を成し遂げた達成感を胸に抱えて電車に揺られる心地よさが、僕はこの上なく好きだ。ひとりで出かけ、ひとりで帰ってくる、旅の醍醐味でもある。

翌日の新聞で知ったこと──。

カネボウの徳永選手にとっては引退レースだったという。35歳という年齢でも最後まで立派な成績を収め続けた、長く選手生活を続けた自己管理が見事だ。マラソンを13年経験したという。カネボウという輝かしい駅伝の実績を誇るチームにいて、絶えず続くレースや調整の苦労は並大抵のものでなかったろう。

今、マラソンの面白さに目覚めた僕も、これからまだまだ力を発揮したいと思う。トレーニングと自己管理に励むならば。

オープン参加で出場していた盲者ランナーは53歳というから、これまた驚嘆する。「目が見えない」で練習をこなし、雪国という環境や年齢という悪条件を持ちつつ、シドニー・オリンピックでは2時間46分だったというのだ。 僕もまさにこれからだ、と励まされる。

ひとつずつ横に並べてゆけるように、何度でもこの感動の余韻を味わいたいと思う。


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FIN: 2:43:30( 9:17)

  • 出走者646名 完走者341名(完走率52.8%)
  • 天候:雨  南西の風2.4m  気温5.7度

 

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