第31回防府読売マラソン

2000/12/17 防府市陸上競技場発着

陸連登録と出場の可否

9月26日

玉造マラソンから一週間が過ぎる。あのレースでこてんぱんにやられたからこそ、そして、シドニーオリンピックを見て、僕の中のマラソンにかける気持ちが徐々に固まってきた。高橋尚子の金メダル、そしてオリンピックという最高の舞台で10000mの自己新を更新した高岡寿成選手。レベルは違っても、自己の限界に向かって努力する姿勢は変わらない。

これまでしばらく、4年前の初マラソンで3時間を切り、おまけに2位という結果にずっとうぬぼれていた。玉造マラソンはそんな自分の甘い思いを打ち砕き、目を覚まさせてくれた。

今年、初めて陸連登録したのは「玉造にでも出てみようか」という軽い気持ちだったのだけれど、玉造を終えて、突然、防府読売に出てみたいと思うようになった。

調べてみると、今、防府読売に出場するためにはは3時間を切るタイムがあればいいらしい。4年前の岡の里名水マラソンや篠山の記録でもよいのだろうか? 過去2年内の公認タイムが条件とある。でも、陸連公認レースというのは玉造も含めて全国で数レースしかない。公認タイムと言うのは、公認レースでの記録のことなのか? それとも「公認走路」での記録では駄目なのだろうか? 陸連登録していないときの記録では駄目なのだろうか? 門外漢であるから全く分からない。

一度出たくなったものは、もう抑えられない。今年駄目でも来年出たいと思う。でも、一年は長い。今年出られないものか・・・。

10月2日

帰宅すると、FAXで問い合わせていた結果が戻ってきていた。公認走路である篠山の結果があれば出場できるという。飛び上がって喜んだ!!! 俄然やる気が出てきた。残り2ヶ月、できる限りの練習を積んで臨もうと決意した。これで12/17を目標に絞り、走りこんでゆける。今日もらった回答のFAXの嬉しかったことは、この先決して忘れないようにしよう。

大会に向けて~ケガ続発~

10月11日

陸上部の練習で維新公園外周を15周(15km)走る。最初は5分少し、後半は4’40”~50”とまだジョグの域であるが、部員の皆と一緒に走る機会というのを初めて持った。レベルの高い集まりに身を置けることに感激した。陸上部の全体練習や、維新公園に走りに来ることはこれまで全くなかったことであるから、ちょっと新しい世界が開けたという感じがする。週に一度でも夜に集中して汗を流す時間があっていい。今後はできれば4’00”~4’30”のペースで20kmを走りきれるくらいに。

これまでは自宅から仁保方面に抜ける田園コースをホームコースにしていたが、維新公園のこの正確な距離がとても便利なことに気付く。1kmごとにきっちりとしたタイムが分かるから、追い込んでゆくことができる。そして、今まで僕の知らなかったところで、多くの人が練習に励んでいる。黙々と汗を流している姿を見る。速い人間は、練習しているから速いのだということ、努力の差という当たり前のことを思い知らされる。

玉造のレースが過酷だったせいか、足の痛みが続発する。左足首の腱の炎症、そしてまた10月に入ってから右足首外側下の骨の痛みが引かない。10月は月刊誌『ランナーズ』でいうところの走り込み月間であるのに、一向に治る様子がない。案外、重症なのではないかと不安になってくる。いずれにしても、常日頃の身体のケアがこれまで以上に求められる年齢なのだろう。特に右足が弱い。

郷里という利点を生かして、11月と12月に2度試走。一度目は、裸坊祭の日だったから、夕方、既に裸坊や観客で賑わっている市街地を抜ける時、ちょっと恥ずかしかった。試走はかなり疲れた。ぐったりした。本当に完走できるのかと余計に不安になった。

12月16日

いよいよ明日、号砲。受付のために開会式会場の防府へ向かう。のぼりや横断幕や、TV中継カメラの足場が設定されていて、急にムードが高まっている。いつも見ている町のはずが、何だか空気が違っている。20世紀最後のレース。僕の胸も熱くなる。ケガもあったけれど、ここまで無事に過ごすことができて、明日、スタートラインに立てる喜びを再度かみしめる。ここまできたら、もうひとつの願いとして、何としてでもゴールしたい。競技場まで帰ってきたい。明日また新しい自分を残したい。名誉ある大会に出場できた誇りを財産に加えたい。

生まれ育った町の中を走り抜ける歓び

途中から降り続いた雨の中を、2:40:47という、思いもよらぬ自己記録の大幅な更新でゴールすることができた。

19分/5kmのほぼイーブンペースで最後まで走りきれるとは意外だった。最初は少し入り過ぎかと思ったが、25kmから同ペースの2人と3人で35kmまで競ったのが好結果につながった。その2人が力強いフォームだったから「いつ振り落とされるだろうか」と思っていたけれど、ここまでくれば苦しいのは皆同じ。「どうせなら、負けられない」という気持ちを切らさずにいたことがよかった。

マラソン挑戦5度目にして、今日初めて知ったことがある。30km以降は一般の人には鬼門である。けれど、力を蓄えていたものにはそこからごぼう抜きできる。この快感、マラソンの醍醐味を知った。玉造で味わった雪辱を今日はそれこそ、十倍以上にして、充分にそそぐことができた。坂道を転がり落ちる雪玉のように、自分の持つ力以上のものが加わってゆく。力がみなぎってゆく。

完走できればいいと思っていたから、あと少しで40分を切れた、という思いはまるでない。30分台という大欲は今後の目標に残したい。僕よりかなり年上と思える人でもまだずっと先を走っている人が多いのだから、それも可能なはずだ。

雨の中、家族の応援も嬉しかったし、そこに居なくとも心の中で対話できる人のいることもずっと僕を支えてくれた。僕にはフルのような長距離が合っている、走っていて楽しいことが分かった。

防府は僕の生まれ育った町だ。今の防府読売のコースは変則的な形で、市街地を通るようにして、南部をぐるりと囲んでいる。

このコースの中に、僕の通った華城幼稚園、華城小学校、桑山中学校、防府高校という、18年間を過ごした学び舎の全てがある。これも偶然だが、桑山中学校に近い僕の実家は、このマラソンコースのちょうど中心に位置している。 まさに僕はこのコースの中で遊び、学び、成長してきた。

38KM地点
38KM地点

スタートの陸上競技場に並んだとき、大きく深呼吸した。ここに立てた歓び、この空気を吸って育ってきた自分を思い出すために。防府のコースは特別景色がいいわけでも面白いわけでもない。レースのレベルにしては、沿道の応援もそんなに多くない。でも僕にはやはり、特別のコースだ。

特に、小学校時代を過ごした「華城(はなぎ)」という地名の書かれた歩道橋の下を通る時、センチな自分には胸にこみ上げてくるものがあった。

余韻

大会を終えた夜は、喜びの余韻に浸って遅くまで起きていた。疲れを感じることもなく、むしろ、じわじわと興奮してきて、床に横たわってからもしばらく寝付けなかった。順位と結果は明日の朝刊で知ることができる。一年で一番、翌朝を楽しみにした夜になったろうか。

翌朝、防府駅では既に読売新聞が売り切れている。「ああ、やっぱり、みんな同じなんだな」と思って可笑しくなった。

20世紀最後のレースを、自分の生まれ育った地の憧れのレースを走り抜けることができた。僕にとっての「世紀末」の一大イベントだった。万感の思いがする。

来週、福岡に行くことも、21世紀の幕開けも最高の形で迎えられそうだ。



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20k: 1:16:19(19:13)
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30k: 1:54:13(18:54)
35k: 2:12:59(18:45)
40k: 2:32:23(19:24)
FIN: 2:40:48( 8:25)



 

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