第10回岡の里名水マラソン

1997/03/02 大分県竹田市竹田文化会館前発着

30歳を前に記念の初マラソン

岡城址に立つ
岡城址に立つ

岡城址を登りながらこう考えた。大分暖かくなったなと思っていたが、まさかコートを脱ぎ、シャツ一枚になるほどの暑さとは・・・。明日は一体どうなることだろう。

竹田にやってきた。いいねえ、とてもいい。

3週間後に30歳になる自分の、20代最後の記念にフルマラソンに挑戦してみようと思った。この一年は20代最後の年ということで、何だか感慨深く、妙にセンチになっている。夏頃から「20代最後の夏か」と、何かにつけ「20代最後の」と強く意識し始めた。何故だか突然、春樹の『風の歌を聴け』を読み返したりもした。面白いことに気付いたのだけれど、この小説は春樹が29歳のときに書いたもので、19歳の夏を回想する設定になっている。僕がこの本を初めて読んだのも19歳だった。今度は僕が29歳の夏に小説を読みながら、19歳の頃のことを思い出したりもしていた。

久住山系に囲まれた水の里・竹田

「そろそろフルマラソンを走ってみるか」「走るなら20代のうちに」と、全国の色んな場所で行われるフルマラソンの大会中から、僕が20代最後の初マラソンとしてこの地を選んだのは、特別にこの竹田の地に思い出が強いからだ。同じ日に地元山口の宇部でもマラソンはあったのだけれど、初マラソンという記念にするなら、ちょっと気取ってみたかった。親友阿南の故郷、何度か訪れ、阿蘇・久住に足を伸ばして楽しませてもらった情緒あふれる、思い出豊かな街を走ることが何だかとても自分の初マラソンにふさわしいように思えた。そんな思いをこめて竹田にやってきた。

今日から3月。3月1日といえば卒業式。竹田高校前のバス停でもそれらしき女生徒を見たよ。今日は本当に暑くて、TVのニュースでも5月並の陽気とのこと。山口でもようやく昨日、2月の最後の日になって春一番が吹いたのだけれど、5月といえばGWに阿南と阿蘇を楽しんだこと、次の年は吉井も加えて竹田~阿蘇・久住をキャンプしながら楽しんだことを思い出す。今日も一日、竹田市内をてくてくと歩き回った。岡城址、隠れキリシタンの洞窟礼拝堂、武家屋敷、歴史の道。歩きながら何度かここにやって来た昔のことを思ったりもした。『るるぶ大分』を見ていて、「"竹田茶寮"って、確か2度目に来た時に阿南の父さんに連れてってもらったところだよな」と思っていたけれど、今日もう一度近くで実際に目で見てはっきりと思い出した。

竹田駅前の稲葉川も今、整備されているようでなかなかいい感じになっている。 生長堂で甘味「はら太」を買う。大正公園で食べ、手紙でも書いてみようかと思っていた。人の気配がなくていいな・・・と思ってね。しかし、頂上には高校生のカップルがいてちょっと残念。でも地元の彼らの方にこそ、青春を(恋を)謳歌する優先的な権利はあろう。すごすごと退散する。昼からずっと歩き回って一層暑くなったけれど、さすがに夕方にもなると久住山系に囲まれたこの地の場所ゆえ気温も下がってくる。よい風も吹いてくる。まさに「さやかに風も吹いている ああ おまへはなにをしてきたのだ」という感じだ。

30歳を前に思い出すこと

先週は手話サークルの仲間6人で天ヶ瀬温泉に行っていた。天ヶ瀬といえば、きいた覚えがあるなと思っていたら、そう、阿南とパラグライダーをするため九重に向かっていた時、途中、休憩で立ち寄ったところだった。先週はレンタカーで行ったんだけど、道が逆なだけで、阿蘇(大観峯)の方にも行ったり、とこれまたあの頃を思い出すことが多かった。

先々週の船崎の結婚式では吉井ともちょうど3年ぶりに会うし、夜、池田さんの家に集まったという阿南や吉井のFAXをもらうし、で、その日は吉井他懐かしい大学時代のメンバーが出てくる夢を見たほどだった。どんな夢だったのか今となっては思い出せなのだけれど、起きた時にはとても感じ入った、明らかに普段との自分と違った興奮状態だった。

懐かしい、といえば今週、高校時代の友人が勤め先の大阪から帰ってきた。突然、職場にTELがあって、その夜に会って飲んだんだ。ゆっくり話せたのは7、8年ぶりのことだったけれど、気兼ねなく話せた夜でこれもとても愉快だった。

この2月は坂口、船崎と結婚式が2週続いたし、こんな風にこのところなぜだか懐かしいことが次々とやってくる。前回手紙を書いた頃、少し落ち込んでいた自分を慰めてくれるためのものなのか、おかげで今では再び上昇気流をつかめたかな、というのがはっきり自分でも分かる。人生は悪いことばかりでも良いことばかりでもないもんだ。

先週までは結婚式とか付き合い上の関係で出かけていたのだけれど、今回は全くひとりの自分のための旅。仲間とわいわいするのも楽しいけれど、一人旅もまた格別。齢をとったからこそ楽しめることが増えるというのがまたいい。年をとるといえば、この宿にも明日の大会に出場する多くのランナーが泊まっている。バッグを見ると下関からやってきているグループがいてね、これがものすごいおじいちゃんグループなんだ。そのおじいちゃん達、ものすごいかくしゃくとして生気にあふれている。年をとったから柔和な表情になるんじゃなくて、まだ小学生のような気の強い表情をされているよ。悪ガキみたいで、それもまたいいなあ、と思った。

(※ 翌日のプログラムを見て80代というからまた驚かされた)

電車に揺られなつかしい地にやってきて、情緒豊かな街を歩き、そして一人で安宿にいると、そんなあれこれを思って本当に来て良かったと思っている。明日の結果がどうであれ、今日だけでもう充分に愉しませてもらっている。懐かしさが胸中に満ちてきて、溜まっていた疲れややるせなさが癒されたような気がする。

トラベルイン吉富にて

3月2日(日)レース当日 7km続く延々の坂

レース当日はどんよりとした雲に覆われ、前日の陽気が一転、冷え込んだ。ランシャツはやめて、長袖シャツで走る。初マラソンでペース配分といった実際的なことから、ウェアやシューズの選択など未知のことばかりだったけれど、長袖シャツは効を奏したようで最後まで腕を冷やさずに走れたのは大きかった。

レースの方はあっけなく完走できてしまったという感じ。マラソンは35km以降が地獄という。その地獄とやらを見せてもらおうと意気込んでいたのだけれど、予想していたほどの地獄というような苦しさはやってこなかった。

もちろん、18kmからの登りはきつかった。終わった上で思えば、このレースにおける地獄はあの上り坂に他ならない。7kmにもわたって延々と上り坂が続く。これまで幾多のレースに出てきたつもりだけれど、ここまで徹底的に傾斜が続く、途中平坦になる箇所も下りになることもなく、ただひたすら続く上り坂というのは初めてだった。700m続く坂でもきついのに、7km続くんだよ。しかもそれが、登山道のようにくねっているのではなく、真っ直ぐに伸びているのだから、その距離の長いことが否が応でも見て分かる。九州のど真ん中、阿蘇・久住に抱かれた地ゆえ、覚悟はしていたけれど、今回ばかりはまいった。走る気力も無情にそがれた。

レースを終えて
1992年5月3日 阿蘇

10km地点で上位10人、20kmで5位になった時には「こんなものなのかな」と意外な感じがしたが、「いや、まだまだ最後に足元をすくわれてしまってはダメだから」という思いがあった。4位をとらえるのには時間がかかったが、3位、2位は35kmを過ぎて背中が見えたらあっけなく追い抜けた。

30km手前の折り返しで、上り坂から下り坂に切り替わって少ししたところで足がつったのにはあせった。何とか持ちこたえて、残り7kmは気力でふんばった。すれ違うランナーも苦しそうな表情になっている。「皆、苦しくてもがんばっている」自分も、いい気にならずに謙虚にならねばと思う。

30歳は上昇気流に乗ってゆけそう

初マラソンで2位という快挙にびっくり。結果的には1位と18分差という大差が開いてしまい、大会自体としては盛り上がらないものになったろうけれど、僕自身にとって初マラソンで2位という結果は本当に嬉しい。市民レースの大会で上位入賞して賞状やメダルをもらえたなんてことも初めてだから。度々お世話になった阿南のご家族にも知ってもらえるといいのだけれど。

これで心おきなく30代を迎えられる。「30代、どうとでもこい」という自信にもなった。首尾よく完走できたのも、予想しなかった好結果を得られたのも、この竹田の地にやって来て阿南を初めとする大学時代の、また小学校からずっとの友人らのことを振り返り、また、立て続けに会い、語り、懐かしい時を思い出せたことでみんなの力をもらえたからだと、本当に思っている。仲間が僕の背中を押してくれる、風を吹かせてくれたその、うまく上昇気流に乗れたからに他ならない。



 

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