第30回全国ろうあ者体育大会

1996/09/14、15 大分県佐伯総合運動公園陸上競技場

大会初出場

29歳にして初めての出場。八幡馬場の山口県身体障害者センターに事務所をおく県ろう連には、字幕ビデオや、手話関連の書籍がおかれていて、通勤途上ということもあってよく通うようになった。そこで事務局のHさん、手話通訳のTさんと親しくなり、話しているうちに案内されたのがこの大会。

前年まではわずかに年間数レース、駅伝に仲間と出場できていればそれで十分満足していた僕が、走ることに目標を見つけることができるようになったのもこの年から。

大分へは、ろう連青年層でチームを結成して間もないというサッカー部、それから女子卓球部選手らとともに車で出向く。午前中の監督・主将会議に間に合うよう、夜中2時に山口を出発。二十歳前後の部員が多い若い彼らに付き合わされる形で大分までのロングドライブとなった。

サッカー部とは異なり、県ろう連内部にきちんとした「陸上部」というものがある訳ではない。この大会のために一時的に陸上部員となった訳だが、もう1人、これも初めて100mと200mに出場するという女子選手とで2名のにわか部員となった。

陸上競技は1人2種目出場できることになっている。10月の全国身障者スポーツ大会は、長距離種目が5000mまでで、僕も1500mと5000mの2種目に出場することにしていたが、このろうあ者体育大会では、加えて1万mも出場種目のひとつになっている。それで、長・短双方の距離の練習になればと思い、1500mと10000mに登録しておいた。

監督会議後、開会式に出場。別に集合した山口県バレー部とも一緒になる。僕も一時、バレー部メンバーに誘われて2、3度練習し、入部しかけた。バレー部は選手が全員30代以上と高齢化していて、部としての存続が危ういということだった。ちょうどサッカー部が隆盛してきているのと逆に。

開会式後、今度は競技地である佐伯市に向かう。大分市の陸上競技場が使えないということで陸上のみ佐伯市となったという。

陸上競技場の場所を確認してから、やっとホテルで一息。競技場へ練習に向かった他県選手らも多かったようだが、僕は長距離運転の疲れもあったから部屋でゆっくりすることに。一休みしてから、夕食前、書店にぶらりと出かけてみた。

『週刊朝日』に村上春樹が連載している「村上朝日堂」を楽しみに読んでいる。いつものように、ここだけ立ち読みすると、折しも、走ることについての内容だった。アトランタオリンピックを目指して練習に打ち込んでいたが、交通事故に遭ってしまったマラソン選手のことについて書いている。氏は、当時、「走る」ことについての本を刊行する予定だったが、このこともあって結局、書かないこととしたのだという。いつもの村上朝日堂のユーモラスなタッチとは違い、神妙な内容であった。

その後、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』として単行本も出された。この佐伯で偶然に読んだ「果たされなかったもの」と「僕らの世代はそんなに悪いものじゃなかった」が僕は一番気に入っている。

氏はこう述べている。

今年もオリンピックの男女マラソンで、日本中が盛り上がった。僕もやはりテレビで見た。もちろん日本の選手が勝ってくれれば嬉しいし、負ければ残念に思う。でもメダルがどうこうというのは、正直に言って僕にはそれほど興味がない。結果としてのかたちはもちろんとても大事なものだけれど、われわれが生きていくことを本当に助けてくれるのは、何かもっと別のものだ。永遠に勝ち続けることのできる人間なんて、この世界に一人もいないのだから。

9月14日 競技1日目

1500m トップに出たが・・・
1500m トップに出たが・・・

まずは1500m。初出場だから、この大会が、また、周囲の選手がどの程度のレベルなのかわからない。怖いもの知らずというか、うずうずしていられない僕は、スタートして100m後に果敢にもトップに立った。3と3/4周走るトラックのしばらくはいい気で走っていたが、3周目で後続の3人に追い抜かれる。

ラスト1周でギアをあげる、初めて本気を出して勝負するのがこの種目の特質なのか、あっという間に僕はおいてゆかれる。1500mという種目は最後に力を残しておかねばならないのか、と痛感させられた。全く追いついてゆけない。みるみる差が開いてゆく。1人、残り200mでばてた選手をかわすことができて、「このままなら3位入賞だ」という色気とちょっぴり安心感も生じたが、しかし、最後のコーナーを回ったラストの直線で、別の選手に抜かれてしまい、結局、4位で終わる。

ラストで抜かれても3位とは1秒42の大差、写真で見ても大きく離されている。1位とは8秒近くの圧倒的な差。1500mというこの競技の、ラストスパートの比重というものを身を持って経験させられた。

入賞には届かなかったが、4分28秒52のタイムは自己ベストの大幅な更新。1人で走るだけの練習とは違い、周囲と競うレースの中ではかなりタイムも伸ばすことができるのだな、とおりづる大会に向けての自信を得た。

続けて10000m──

1500mを走り終えると汗がどっと噴き出たが、ランシャツ・ランパンは着替えず、そのままでスタートを待つ。

1500mとは顔ぶれの違う選手が集まっている。1500mは顔つきからしてスピード感のある選手のように思えたのだが、1万の選手はのんびりしているように思える。「長いんだから、じっくりいこうぜ」という雰囲気だ。気のせいだろうか?

僕は1500mを走った後だけに、もはや勝負の方はあきらめている。大分までやって来て、走らないのがもったいないから、という思いしかない。1500mのスピード、ラストスパートの刺激が足の筋肉に残っている状態ゆえ、とてもではないが、通常のレースペースでは走れない。最初から無理せずにスローペースで進む。

表彰台~1万mで3位
表彰台・1万mで3位

40分07秒。1位のタイムは37分57秒。暑かったとはいえ、かなり遅いタイム。「ならば、1500mを走っていなければ・・・」という思いがないでもないが、1500mが4位に終わっただけに、この大会への初めての出場での3位入賞は嬉しい。入賞して表彰台に登るのも、メダルをもらうなんてことも、これまで出場してきた大会では、わずかに職場の駅伝の区間程度のことだ。タイム云々よりも入賞という結果が純粋に嬉しい。

全国大会の中で知る他県メンバーら

初出場だから見るものすべてが珍しい。大勢の部員を擁する他県チームに驚くとともに、チームとして結束し、目標を持てる彼らを羨ましく思えた。東京、神奈川、大阪、愛知等は大挙してやって来ている。ランシャツ・ランパンの競技ウェアのみならず、Tシャツやジャージまでお揃いだ。基本的には個人種目の競技の一方で、400mと1600mリレー、さらに県別に加算される総合得点の順位を競う中で、上位府県が喜び、また、悔しがる。

そのメンバーらとは、大会主催者によって手配された宿で少し一緒になる。夕食時、男女合わせて20人近くものチームの大阪メンバーの囲むテーブルは、ビールが次々と運び込まれて大いに盛り上がっている。山口の僕ら2人は、鹿児島メンバーの数人と同じテーブルで夕食をともにしたのだが、薩長のよしみのせいか、お互い親しくなるのも早い。特に長距離メンバーが3人いたこともあって話が弾む。彼らは地元の「指宿菜の花マラソン」にも出ているのだという。僕もこの有名な大会名はよく知っている。いつか出たい大会だ。

1500mで途中、東京の選手に抜かれた時、彼のスパイクが足のすねを引っかく形で血が出てしまった。僕はこのときまで長距離競技でスパイクを履いて走るものだとは知らなかった。陸上スパイクというのはせいぜい、100mの短距離選手が使うものだと思っていた。僕が、10月の全国身障者スポーツ大会を目指しているのだと話したら、鹿児島のメンバーらは、それはまずスパイクを買うべきだよ、とアドバイスしてくれた。スパイクがあったら、今日の1500mも3位だったんじゃないか、とやさしい言葉もかけてくれた。

翌競技2日目、前日に2種目を既に終えている僕の競技はないから、同行の女子選手を応援する。彼女は昨日の100m2位に続けて、今日の200mでは見事1位。これほど速いとは全く思っていなかった。

競技終了後は、大分に戻ってサッカー部、卓球部らと合流。皆で、高崎山の猿とたわむれる。3位入賞の歓びと、初めて知った全国のろう者が陸上競技に集まる世界での興奮を胸に、再び山口までの長距離ドライブだが、今度は穏やかで満たされた気分で帰路についた。


 

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